宇宙の果(は)ての物語
「まず大前提として、さ。今回の『スーパーガール』は、去年に上映されたリチャード・ガン監督による『スーパーマン』と、繋がりがあるのよね。スーパーマンが、スーパーガールのペットである犬を、一時的に預かってて。『スーパーマン』の最後のほうで、スーパーガールが登場して犬とじゃれ合うっていうシーンがあったわけよ」
『うん、知ってる。『スーパーマン』の映画で、スーパーガールというキャラクターが紹介されて。そうやって観客に期待を持たせてから、別の監督さんによる『スーパーガール』が今年、上映されたんでしょ。で、客入りは、あんまり良くないみたいと』
「ついでに言えば、『スーパーマン』の評価は80点くらいかな。娯楽作品としては合格点ね」
私も彼女も、去年の『スーパーマン』は観ている。だからストーリーは理解しているし、今日の話題は『スーパーガール』なので、『スーパーマン』については特に深く語らない。私は更に話を進めさせてもらった。
「それで、今回の『スーパーガール』だけど。話は西部劇映画の『勇気ある追跡』を元にしてるみたいね。英語の原題だと『トゥルー・グリット』で、要するに敵討ちの物語なんでしょ。まあ私は、その西部劇映画を観てないんだけど」
『私も観てなーい。五十年以上も前の西部劇でしょ。リメイクもされたらしいけれど、そっちも観てないなぁ』
敵討ちの話というと、私は日本の時代劇を連想してしまう。鬼滅の刃みたいにストーリーを工夫しないと、どうにも古臭くなるイメージがあるのだ。
「『トゥルー・グリット』の内容を簡単に言うと、女の子が悪党に親を殺されて、その敵を討つ展開みたいで。敵討ちの物語だから、最後に敵を殺すのよ。その殺人行為を直接、女の子がやるかどうかは知らないけどね」
『で、『スーパーガール』は、スーパーガールが女の子の敵討ちを手伝う展開になるのよね。女の子か、あるいはスーパーガールが、手を汚すことになる。女子による殺人の物語でしょ。それはテーマが、ちょっと重い気がするんだけどな。実際に観て、貴女はどう思った?』
「言われると、確かにテーマは重いんだけどね。全体的には、おバカな感じの映画なのよ。むしろテーマが重いからこそ、おちゃらけた描写で、少しでも観客への負担を軽くするっていう映画作りしかできなかったんじゃないかな。全体的にパロディーっぽさが目に付いちゃって、それが結果として、お客さんを多く呼べなかった理由になったと。そう思うよ、私は」
先に作られた『スーパーマン』と繋げるため、基本的に明るい性格のヒロインである『スーパーガール』が製作されたと私は思うが。その前に企画されていたバージョンの『スーパーガール』を私は観てみたかった。サッシャ・カジェという女優さんが演じるはずだったバージョンで、ストーリーはもっとシリアスになっていたと思われる。
「結局ね、今回の『スーパーガール』って、『スーパーマン』を引き立たせるための映画にしかなってないのね。バットマンに対するロビンみたいな役割というか。要するにスーパーマンが主役で、スーパーガールは脇役という立ち位置なのよ。だから『スーパーマン』より活躍してはいけないし、強くても賢くてもいけないの。物足りなかったなぁっていうのが率直な感想ね」
今回のスーパーガールは故郷を失ったことでトラウマを抱えていて、疑似的なアルコール中毒になっている。スーパーパワーがあるから回復は可能なのだが、心の傷が原因なので、なかなか本調子には戻らない。
そうこうしている内に映画のなかでは新たな犠牲者が出てしまう展開で、スーパーガールも観客も、イライラさせられたものだ。そこからスーパーガールも精神的に立ち直っていくのだが、スーパーマンが主役なら、もう少しスッキリした物語になっていたんじゃないかと私は思う。
「もう少し、映画への不満を続けるとさ。この映画、宇宙が舞台なのね。スーパーガールは地球から離れた星で飲んだくれてて、キャンピングカーみたいな宇宙船で犬と生活してるの。犬のトイレなんか無くて、床に敷いてある新聞紙の上にオシッコしてるのよ。いくら汚れ役のヒロインだからって、この描写はどうかなぁと思ったなぁ。これで観客に好かれるのは無理じゃない?」
どうでもいいが、星から星へと移動する『スーパーガール』の世界で、通貨はどうなっているのだろう? 統一されているのだろうか。案外、地球のドル紙幣とかが使えるのかもしれない。
『まあ、そんな汚れ役のヒロインだから、最終的に自分で手を汚す展開なんでしょ。小さな女の子が殺人をする描写は、今のご時世じゃ難しいんじゃない? 強いスーパーガールが、悪を片づけてあげないとさ』
「それは確かにねぇ。あと、不満というか基本的な部分だけど、宇宙の片隅の星で最初の事件が起きるのね。女の子の家族が、宇宙海賊の一員に殺されるんだけど。地球の出来事じゃないから、どうしても他人事みたいに感じちゃうのよ。わかるかなぁ、言ってること」
『ああ、わかるわかる。たとえば日本人の観客だったら、日本やアメリカっていう、良く知ってる国のことには感情移入ができるけど。でも国名も知らないような場所での出来事には、ちょっと感情移入が難しくなるかもしれないと。そういうことでしょ?』
「そう! まさに、そういうことよ。私が言いたいのはね」
彼女は私の考えを理解してくれていた。私はいい友だちを持ったものだ。
「それで言うと、最初に殺される家族や、生き残る女の子は確か東南アジア系の役者さんが演じているのね。これって映画の『ダイ・ハード』と同じでさ。主な観客層のターゲットを白人に設定してるから、最初に殺すキャラクターは、白人以外にしたほうが好都合なの。メイン観客層の不快感を低くするための措置なのよ。『ダイ・ハード』でも、最初のほうで日系人の社長さんが殺されてたよね。ちょっと嫌な気持ちになったなぁ、日本びいきの私としては」
私が細かいことを気にしすぎなのだろうか。そうかもしれない。いつまでも細かいことを言っていてはストーリーも語れないのだが、かと言ってストーリーをすべて話してしまうのもネタバレが過ぎるだろうから問題である。引き続き、細かいところを語るとしようか。
『つまり事件の始まりは、場所がマイナーで、規模も小さくて。今ひとつ観ていても感情移入できなかったのに、役者さんの人種からは製作者の意図が見えて、なんだか萎えちゃったと。そういう感じ?』
「ええ、まさしく。あらためて繰り返し言うけど、全体的にパロディーっぽい映画でさ。で、パロディーってどうしても、作品への没入感を削がれちゃうのよ。『ああ、この作品は現実じゃなくて、作りものなんだな』って、意識させられちゃうの。別にパロディーは嫌いじゃないけど、それなりに製作費を掛けた映画作品なんでしょ、『スーパーガール』は。作品が安っぽく見えるような作りは、損だと思うんだけどな。見限られたら、お客さんだって観に来ないんだから」
『ネタバレ記事で読んだけど、地球ではない星に、西部劇みたいな酒場が出てくるんでしょ。それも『スター・ウォーズ』っぽいよね。他にも、地球っぽい文化が他の惑星に根付いているとか。そういうパロディー要素を前面に出した作品なのかな』
「そうなのよ。だって宇宙なのにポップコーンが食べられるんだから。『これは気楽なポップコーン映画なんですよ』って言ってるようなものでさ。他の惑星の家に冷蔵庫があって、中にビンに入った牛乳があったり。果ては惑星の酒場で、宇宙人の歌手が地球の流行歌を唄っていたりね。開き直りかたが凄くてさぁ。まあ言い出したらキリがないけどね、なんで宇宙人が英語を喋ってるのかとか」
映画のなかでは、翻訳機の描写もあった気はする。どうでもいいから、もう覚えてないけど。
『私、八十年代のアメコミをたまに読み返すんだけど。一時期、宇宙が舞台のアメコミって多かったのね。でも、少なくとも私は、あんまり面白くなかったのよ。結局、地球の外でやってる出来事に興味が持てなかったの。アメコミヒーローがいるなら、地球のほうを救ってほしかったなぁ。そう思わない?』
「そうね、本当にそう思うわ」
私たちは通話で、お互いに笑い合った。スーパーマンが大人気なのは、地球で活躍し続けてくれているからかもしれない。




