33 聖女エレノアの決意
聖女エレノアは、その夜ほとんど眠れなかった。
白亜宮殿西棟。
聖王国使節団用に与えられた客室は豪奢だったが、今の彼女には何の意味もなかった。
窓の外では王都アズ・ラハムの灯りが揺れている。
豊かな国。
笑う民衆。
熱狂。
そして。
世界最強の怪物。
「…………」
エレノアは静かに目を閉じた。
昼間の光景が脳裏へ焼き付いている。
巨大な古代竜。
それを片手間みたいに持ってくるレイ。
そして。
女王サフィールの隣で笑っている姿。
最初、エレノアは“利用可能”だと考えていた。
単純。
美女好き。
感情的。
だからこそ、揺さぶれると思っていた。
だが。
違った。
レイは確かに単純だ。
しかし。
その単純さそのものが危険だった。
あの怪物は、“敵か味方か”を極端に分類する。
そして一度“自分の側”認定した相手への執着が異常に強い。
それはもはや恋愛感情だけではない。
縄張り。
群れ。
帰巣本能。
獣そのものだった。
エレノアは机の上の古文書へ視線を落とした。
獣人族研究記録。
ここ数ヶ月、彼女は徹底的に調べている。
滅びた種族。
そして。
なぜ滅びたのか。
ページをめくる。
『獣人族は極めて強靭』
『しかし知能水準は著しく低い』
『集団で毒酒を飲み死亡』
『巨大魔獣を討伐後、食べ過ぎによる腹裂死』
『単純な挑発へ全力で乗り、崖から転落』
『仲間内の喧嘩で集落半壊』
アホばかりだった。
しかも。
恐ろしいのはそこではない。
彼らは“自分たちの愚かさ”で滅びた。
外敵ではない。
知能不足。
衝動。
感情。
それで終わった。
エレノアは静かに息を吐く。
「……なのに」
レイだけが生き残った。
偶然。
本当に偶然。
食べ過ぎなかったから。
騙され切らなかったから。
ただそれだけ。
だが。
その“最後の一匹”が、世界最強だった。
そこが最悪だった。
もし。
もしレイが普通の放浪者なら、まだ良かった。
だが違う。
今のレイはザルハディア王国そのものになり始めている。
民衆は安心し。
属国は従い。
他国は怯える。
しかも。
女王サフィールがその怪物を完全に囲っている。
エレノアは理解していた。
聖王国アルディアにとって、これは長期的に極めて危険だ。
宗教的にも。
軍事的にも。
政治的にも。
特に。
ユニコーン。
あれが決定的だった。
民衆は“物語”を信じる。
世界最強の獣人。
砂漠の女王。
神聖幻獣。
あまりにも神話的過ぎる。
時間が経てば経つほど、ザルハディアは“神に祝福された国”として扱われ始める。
それは。
聖王国の存在基盤を侵食する。
「…………」
エレノアは静かに結論を整理していく。
レイを奪うのは困難。
女王サフィールとの結びつきが強過ぎる。
なら。
答えは一つ。
殺す。
その思考へ至った瞬間、エレノア自身は驚くほど冷静だった。
むしろ。
当然の帰結に近い。
聖王国のため。
世界の均衡のため。
そして。
何より。
あの怪物は存在してはいけない。
強過ぎる。
単純過ぎる。
感情的過ぎる。
もしサフィールが死んだらどうなる。
もし本気で怒ったら。
もし誰かへ執着したら。
国家どころか大陸全体が壊れる。
エレノアは再び古文書を開いた。
獣人族。
彼らの死因。
特徴。
弱点。
『感情刺激に極端に弱い』
『挑発へ乗りやすい』
『食への執着が異常』
『仲間意識が極端』
『好意対象へ無防備』
そして。
エレノアは一つの記録で指を止めた。
『獣人族は警戒心が低く、信頼対象からの贈与を疑わない』
「…………」
静かに目を細める。
なるほど。
やはり。
獣人族は最後まで獣人族なのだ。
レイも同じ。
女王サフィール相手では特に顕著だった。
完全に無防備。
つまり。
信頼関係そのものが弱点になる。
その時だった。
扉の外から、かすかに笑い声が聞こえる。
回廊の向こう。
レイとサフィール。
「のだっ♡」
「ちょっと、重いってば」
「好きなのだっ♡」
楽しそうだった。
エレノアは静かにその声を聞いていた。
そして。
ゆっくり瞳を閉じる。
感情はない。
嫉妬でもない。
ただ。
必要だから殺す。
聖王国のために。
均衡のために。
あの怪物は、いずれ手遅れになる。
だから。
その前に終わらせる。
エレノアは窓の外の夜景を見ながら、小さく呟いた。
「……ごめんなさい、レイ様」
その声は、驚くほど静かだった。




