32
聖女エレノアは、半ば諦め始めていた。
白亜宮殿西棟、来賓用庭園。
昼下がり。
白い東屋の下で紅茶を飲みながら、エレノアは静かに息を吐く。
「……難しいわね」
その呟きに、側近の修道女が小さく頷いた。
「はい」
「想像以上です」
実際その通りだった。
レイ。
世界最強の獣人。
確かに単純。
美女好き。
感情豊か。
だが。
女王サフィールへの執着が強過ぎる。
しかも。
サフィール側も完全に囲い込みへ入っている。
政治的にも。
感情的にも。
あそこまで互いへ慣れ切っているとは、エレノアも予想していなかった。
特に厄介なのは。
レイが“他人へ懐く”ことと、“女王から離れる”ことを別問題として認識している点だった。
蜂蜜では確かに喜んだ。
泣くほど。
だが。
だからといって。
女王への執着が揺らいだわけではない。
むしろ。
最近は妙に警戒されている。
特に。
聖騎士隊を見る時。
「…………」
エレノアは少し遠い目をした。
正直、かなり怖い。
レイは笑顔で。
「全員殺すのだぁ」
とか言う。
しかも本気。
聖騎士隊の精神疲労は既に限界だった。
その時だった。
ズシン。
ズシン。
地面が揺れる。
修道女たちの顔色が変わった。
「……来ました」
エレノアも気づく。
遠くから、もの凄い圧迫感が近づいてくる。
数秒後。
「のだっ♡」
レイだった。
しかも。
何かを担いでいる。
いや。
“何か”ではない。
巨大過ぎる。
黒紅色の鱗。
折れた巨大角。
異様な牙。
それは明らかに。
竜。
しかも超大型。
庭園へいた全員が凍りついた。
「…………」
「…………」
レイは超笑顔だった。
「蜂蜜のお礼なのだぁ!」
そして。
ドゴォォォォン!!!
竜の死体を庭へ置いた。
庭石が砕ける。
木が揺れる。
修道女が一人気絶した。
「パパドラゴンなのだっ♡」
レイは嬉しそうだった。
エレノアは数秒、本気で思考停止した。
「…………え?」
パパドラゴン。
大陸北部危険指定区域の古代竜種。
しかも。
かなり上位。
聖王国側の記録でも、“国家単位で討伐隊を編成する対象”として分類されている。
つまり。
国が滅びるレベルの怪物。
それを。
お礼感覚で持ってきた。
意味が分からない。
「のだっ♡」
レイは得意げだった。
「すごい強かったのだっ♡」
周囲のザルハディア兵たちは遠い目をしていた。
「……またやった」
「最近レイ様、機嫌良いから狩りも派手なんだよな」
「いやこれ派手で済むか?」
エレノアはようやく口を開く。
「……あの」
「のだぁ?」
「これは……?」
「お礼なのだっ♡」
レイは即答した。
「蜂蜜くれたのだっ♡」
「だから吾輩もプレゼントなのだっ♡」
獣人族的価値観だった。
つまり。
“凄い物を貰ったから、自分も凄い物を返す”。
極めて単純。
だが。
スケールがおかしい。
エレノアは巨大竜の死体を見る。
黒紅の鱗だけで国家級財宝。
牙も骨も魔法素材。
内臓すら高値で取引される。
つまり。
とんでもない価値。
しかも。
古代竜討伐という実績そのものが恐ろしい。
修道女たちは完全に青ざめていた。
「こ、これを一人で……?」
「怖過ぎます……」
一方。
レイ本人は完全に善意だった。
「のだっ♡」
「蜂蜜、嬉しかったのだっ♡」
エレノアは静かにレイを見た。
本気で感謝している。
そこに政治はない。
打算もない。
だからこそ厄介だった。
もし。
もしこの怪物が本気で誰かへ懐いたら。
本当に世界が変わる。
エレノアは改めて理解した。
サフィールがここまで神経質になる理由を。
その時。
後方から、静かな声。
「……何してるの?」
女王サフィールだった。
黒衣姿のまま、こちらを見ている。
そして。
庭の巨大ドラゴン死体を見て、一瞬だけ沈黙した。
「…………」
レイは即振り向く。
「陛下ぁっ♡」
「……それ何」
「お礼なのだっ♡」
「……そう」
サフィールは静かにため息を吐いた。
だが。
内心では少し理解していた。
獣人族。
あの滅びた馬鹿民族。
彼らにとって“食べ物”や“共有した記憶”はかなり重い。
だから。
蜂蜜は効いた。
そして。
レイは本気で返そうとしている。
ただし。
加減が存在しない。
女王は巨大竜を見上げながら、小さく呟いた。
「……ほんと、犬が獲物持ってくるみたい」
「のだっ♡」
褒められたと思っている。
尻尾ぶんぶん。
エレノアはその光景を静かに見つめていた。
そして。
少しだけ笑う。
なるほど。
確かにこれは、簡単には奪えない。
この怪物は。
既に“帰る場所”を決めてしまっている。




