29 女王の返礼
深夜。
白亜宮殿最上階。
昼間の喧騒が嘘みたいに静まり返った王宮の中で、女王サフィールの私室だけがまだ柔らかな灯りを残していた。
重い絹幕の向こうでは夜風が揺れ、甘い香油の香りが漂っている。
そして。
「のだっ♡」
寝台の上では、レイが完全に蕩けていた。
女王へ抱きつきながら、尻尾をぶんぶん振っている。
サフィールは片肘をつきながら、その銀髪を指先でゆっくり弄んでいた。
「……随分ご機嫌ねぇ」
「のだっ♡」
レイは即答する。
「蜂蜜、美味しかったのだっ♡」
「そう」
「懐かしかったのだぁ……」
少しだけ声が弱くなる。
サフィールは静かにレイを見た。
昼間、あれほど泣くとは思わなかった。
滅びた獣人族。
普段はアホみたいなレイも、あの話になると時々妙に静かになる。
だから。
女王は理解していた。
あの蜂蜜は、かなり効いた。
そして。
聖女エレノアがそこまで調べていたことも。
「……ほんと面倒」
小さく呟く。
「のだぁ?」
「なんでもないわ」
サフィールは微笑みながらレイの頬を撫でた。
その一方で。
王宮の別区画では、女王直属の臣下たちが死ぬほど働かされていた。
「急げ!!」
「まだ積み込み終わってないぞ!!」
「宝石箱は慎重に扱え!!」
「神代織物を追加しろ!!」
完全に戦場だった。
原因。
聖女エレノアへの返礼品。
しかも。
異常に豪華。
超豪華。
狂ってるレベルで。
巨大な黄金装飾箱。
神代香油。
最高級宝石。
古代織物。
幻獣皮の外套。
さらに。
レイが過去に討伐した魔物素材まで詰め込まれている。
もはや小国家なら財政崩壊する量だった。
臣下たちは泣きそうだった。
「なんでここまで……」
「女王陛下が“絶対に格で負けるな”と」
「怖ぇよ……」
だが。
サフィールには明確な理由がある。
借りを作らせない。
それだけだった。
レイは単純だ。
非常に。
だからこそ危険。
恩を受ければ、普通に“お返ししなきゃ”と思う。
しかも。
世界最強。
つまり。
下手に他国へ情を持たせると、本当に他国のために働きかねない。
それはサフィールにとって最悪だった。
「……ほんと馬鹿犬みたい」
寝台の上。
レイは既に半分寝ぼけながら女王へ擦り寄っている。
「陛下ぁ♡」
「なに?」
「好きなのだっ♡」
「はいはい」
サフィールは微笑む。
だが。
頭の中は冷静だった。
エレノアは危険。
あれはただの聖女ではない。
ちゃんと政治を理解している。
しかも。
レイの“滅びた同族への感情”を狙ってきた。
つまり。
今後も色々仕掛けてくる可能性が高い。
だから。
先に潰す。
借りを。
恩義を。
全部。
「返礼品は?」
女王が小さく問う。
寝室外で控えていた侍女が即答した。
「既に聖女様側へお届けしております」
「そう」
「皆様、かなり驚かれておりました」
当然である。
返礼の規模がおかしい。
しかも。
“個人への贈り物”というより、半分国家外交だった。
聖王国側も理解する。
これは。
『借りは返した』
という意思表示。
そして。
『これ以上レイへ恩を売るな』
という無言の牽制。
非常にサフィールらしいやり方だった。
一方。
聖女エレノア側の客室。
大量の贈り物を見た聖騎士たちは完全に固まっていた。
「……なんだこれは」
「宝石だけで城が建つぞ」
「返礼の規模じゃない」
エレノアは静かにその山を見つめていた。
そして。
小さく笑う。
「なるほど」
分かりやすい。
女王サフィール。
かなり本気で警戒している。
しかも。
感情だけではない。
政治的にも。
レイを“絶対に他国へ渡さない”という意志が徹底している。
そこが厄介だった。
一方その頃。
寝台の上。
「のだぁ〜〜♡」
レイは完全に幸せそうだった。
サフィールの膝へ頭を乗せ、尻尾を揺らしている。
女王はそんなレイを見下ろしながら、静かに髪を撫でた。
「……あなた、本当に危なっかしいのよ」
「のだぁ?」
「他人にちょっと優しくされるとすぐ懐くし」
「のだっ♡」
褒められたと思っている。
サフィールは少し吹き出した。
そして。
そのままレイの顎を指で持ち上げる。
「でも」
「のだぁ?」
「他所へ行ったら許さないわよ」
柔らかい声。
なのに妙に怖い。
レイは数秒きょとんとしたあと。
「行かないのだっ♡」
即答だった。
「吾輩、陛下の隣好きなのだっ♡」
サフィールは少し黙った。
こういうところがずるい。
計算じゃない。
本気で言っている。
だから。
余計に手放したくなくなる。
女王は静かに微笑み、そのままレイの額へ口づけた。
王宮の外では、まだ臣下たちが死にそうな顔で贈答品の整理を続けている。
だが。
寝室の中だけは、妙に穏やかな空気が流れていた。




