24 聖女エレノア編
聖王国アルディアは、表向きには静かだった。
だが、その実、中央大聖堂の奥では連日のように緊急会議が続いていた。
原因はもちろん、ザルハディア王国。
より正確に言えば。
女王サフィールと、世界最強の獣人レイである。
「……愚かな女だ」
聖王ベネディクト八世は、静かにそう言った。
巨大な聖堂の最奥。
金と白で統一された玉座の間には、重苦しい沈黙が漂っている。
老齢の聖王は、長い指で机を叩きながら、報告書へ目を落としていた。
『ザルハディア王国、今年度税収過去最高更新』
『属国連合、更なる忠誠宣言』
『東方交易路、実質的にザルハディア経済圏へ』
『ユニコーン凱旋式、民衆熱狂』
どれも最悪だった。
しかも。
その中心にいるのが若い女王。
ベネディクトはそこが気に入らなかった。
「結局、女など所詮は感情で動く」
周囲の枢機卿たちは黙っている。
誰も反論しない。
聖王は続けた。
「今は運良く怪物を飼い慣らしているだけだ」
レイ。
世界最強。
各国が最も恐れている存在。
だが。
聖王は内心、サフィールを軽視していた。
若い。
美貌頼り。
粛清好き。
つまり。
長期的には破綻すると考えている。
特に。
“男”の扱い方。
そこをベネディクトは見下していた。
「いずれ破綻する」
彼は確信していた。
女は感情で独占したがる。
だが男は違う。
強い男ほど、より多くの女へ流れる。
ましてやレイのような怪物なら尚更だ。
だからこそ。
「……試してみるか」
聖王は静かに言った。
その瞬間、周囲の空気が少し変わる。
枢機卿の一人が慎重に尋ねた。
「聖女様を、ですか」
「ああ」
聖王は頷いた。
「今代聖女は美しい」
それは事実だった。
アルディア聖王国の聖女。
エレノア。
金色の髪。
透き通る白い肌。
青い瞳。
民衆からは“神の娘”とまで呼ばれている。
しかも。
政治的教育も完璧。
感情を隠し。
男を立て。
必要なら涙すら武器にする。
聖王はゆっくり笑った。
「女王サフィールは勘違いしている」
「……と申しますと」
「怪物を“囲った”つもりでいる」
だが違う。
と聖王は考えていた。
男は支配できない。
特に、強者ほど。
ならば。
より優れた女を差し向ければいい。
若く。
美しく。
神聖で。
優しい。
そして。
“聖女”。
宗教的権威まで備えている。
サフィールのような毒婦とは真逆の存在。
民衆受けも圧倒的だ。
もし。
もしレイがエレノアへ興味を示せば。
ザルハディア内部は確実に揺れる。
女王と怪物の結びつき。
そこへ亀裂が入る。
それだけで十分価値がある。
「呼べ」
聖王が命じる。
しばらくして。
静かに扉が開いた。
エレノアだった。
白銀の聖衣。
長い金髪。
完璧な微笑み。
まさしく“聖女”。
そのものだった。
「お呼びでしょうか、お父様」
澄んだ声。
ベネディクトは静かに娘を見た。
そして思う。
勝てる。
少なくとも、“女”としては。
サフィールより。
「エレノア」
「はい」
「ザルハディア王国へ行ってもらう」
エレノアの表情は変わらない。
だが、瞳だけが少し揺れた。
当然だ。
今、大陸で最も危険な国家。
そして。
そこには世界最強の怪物がいる。
「目的は?」
聖王は静かに答えた。
「レイだ」
沈黙。
エレノアは理解した。
政治。
権力。
そして女。
全部込みの命令だ。
ベネディクトは椅子へ深く座り直す。
「お前なら出来る」
「……」
「サフィールは若い」
「はい」
「しかも独占欲が強い」
「はい」
「ならば崩せる」
聖王は確信していた。
女王サフィールは、“女として”レイを繋ぎ止めている。
ならば。
より理想的な女を見せればいい。
聖女エレノア。
清楚。
慈愛。
神聖。
民衆が愛する理想の女。
男が憧れる存在。
それが彼女だった。
「レイという男は、美女に弱いのだろう?」
「……報告では」
「なら問題ない」
ベネディクトは小さく笑った。
「結局、男など単純な生き物だ」
その頃。
遥か遠く。
ザルハディア王国。
「のだっ♡」
レイは女王サフィールへ抱きつきながら、超機嫌良く肉を食べていた。
「陛下ぁ♡」
「暑いわよ」
「好きなのだっ♡」
完全に大型犬である。
しかも。
サフィールの方も、最近はそれを当然のように受け入れ始めていた。
誰も気づいていない。
いや。
サフィールだけは、薄々気づき始めていた。
周囲が“レイを奪おう”と動き始めていることに。
そして。
その最初の一手が、静かにザルハディアへ向かっていた。




