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レイは激怒した。
「のだぁあああああああ!!」
砂漠に絶叫が響いた。
砂丘の鳥たちが一斉に飛び立ち、ラクダ商隊が「またか」と遠い目をした。
世界最強の獣人、レイ。
黒竜を殴り飛ばし、魔王を泣かせ、大陸西部連合軍を「うるさいから」で追い返した男。
そんな怪物が今、怒りで尻尾を膨らませていた。
「吾輩の短剣なのだぁあああ!!返せなのだぁあああ!!」
原因。
短剣を盗まれた。
ちなみにその短剣。
別に伝説の武器でも何でもない。
神話級の魔力もなければ、古代王の遺産でもない。
ただの獣人族製の短剣だった。
少し頑丈。
ちょっと切れ味が良い。
それだけである。
だが。
レイにとっては大問題だった。
なぜなら。
「のだぁ……あれ、お気に入りだったのだぁ……」
獣人族最後の遺品だからである。
もっとも。
別に泣きながら一族の誇りを語ったりはしない。
レイはそこまで繊細ではない。
単純に。
「肉切る時にちょうど良かったのだぁ」
という理由が八割だった。
残り二割は思い出である。
その短剣を盗んだのが、“砂漠の女王”だった。
南方最大国家・ザルハディア。
無数のオアシス都市を支配する巨大王国。
香辛料、黄金、奴隷、宝石。
全てが集まる富の国家。
そしてその頂点に君臨するのが、女王サフィール。
美貌と悪辣さで有名な女だった。
税は重い。
敵には容赦しない。
商人は搾る。
気に入らない部族は砂漠送り。
しかも本人はそれを悪いと思っていない。
「弱い者は利用されるために存在しますもの」
と笑顔で言うタイプである。
レイはそんなこと知らなかった。
そもそも政治に興味がない。
肉と昼寝とお嫁さんのことしか考えていない。
ではなぜ女王と関わったのか。
簡単である。
飯。
王都アズ・ラハム。
世界最大級の市場。
レイはそこで巨大串焼きを食べていた。
「のだぁ〜〜♡美味しいのだぁ〜〜♡」
一本で牛一頭分くらいある串焼きを頬張りながら、幸せそうに尻尾を振るレイ。
周囲の商人たちは震えていた。
「なんだあの化け物……」
「串を丸ごと食ってるぞ……」
「骨まで噛み砕いた……」
そこへ。
偶然、お忍び中の女王サフィールが通りかかった。
金の装飾布。
褐色の肌。
宝石だらけの腕。
そして蛇みたいな目。
女王はすぐにレイへ興味を持った。
「……面白い男ね」
護衛が慌てる。
「陛下、お近づきになるのは危険です」
「大丈夫よ。ほら、ああいう馬鹿は扱いやすいでしょう?」
その予想は半分当たっていた。
実際レイは馬鹿だった。
しかし。
強さまで計算に入っていなかった。
女王は微笑みながら近づいた。
「あなた、旅人?」
「のだっ♡そうなのだっ♡」
「ふぅん。素敵な短剣ね」
「のだぁ?これかぁ?」
レイは嬉しそうに短剣を見せた。
ちょろかった。
あまりにも。
女王は心の中で笑った。
(犬みたいな男ね)
そして。
彼女は気づいた。
短剣の材質が異常なことに。
魔力伝導率。
耐久性。
古代獣人族特有の鍛造痕。
今では失われた技術だった。
女王の目が変わる。
(……売れば国宝級ね)
その瞬間。
欲しくなった。
女王は他人の物を奪うのが好きだった。
権力者だからである。
そして。
その日の夜。
レイが宿で爆睡している間に、女王直属の盗賊団が短剣を盗んだ。
なお。
盗賊団は侵入直後、レイの寝返りで壁ごと吹き飛ばされ、三人死にかけた。
それでも何とか盗み出した。
命懸けである。
翌朝。
「のだぁ?」
レイは三秒固まった。
「……のだぁ?」
荷物を漁る。
ない。
もう一回漁る。
ない。
ベッドをひっくり返す。
ない。
「…………」
沈黙。
そして。
「のだぁあああああああああああああ!!!!!」
宿屋が吹き飛んだ。
衝撃波で市場の屋根が十数枚飛んだ。
ラクダが失神した。
レイは泣きそうな顔で叫んでいた。
「短剣ぃいいいいい!!吾輩の短剣なのだぁあああ!!」
宿屋の主人が半泣きになる。
「し、知らねぇよぉ!!」
「返せなのだぁあああ!!」
「俺じゃねぇって!!」
だが。
レイは匂いを嗅いだ。
獣人族の鼻は異常に良い。
「のだぁ……香水臭いのだぁ……」
女王直属盗賊団の香油だった。
追跡開始である。
そこからは地獄だった。
盗賊団のアジト壊滅。
裏市場半壊。
闇商人号泣。
傭兵団三つ消滅。
砂漠の巨大盗賊都市、一夜で崩壊。
レイは泣きながら暴れていた。
「返せなのだぁあああ!!」
しかも本人に悪気がない。
本気で「落とし物探し」感覚なのである。
最悪だった。
数日後。
ついにレイは王宮へ辿り着いた。
巨大な白亜宮殿。
千人の兵士。
魔導結界。
砂漠最大国家の権力の象徴。
だが。
「のだぁああああ!!女王ぉおおおお!!」
ドゴォォォォォン!!!
門が吹き飛んだ。
兵士たちが悲鳴を上げる。
「き、来たぁあああ!!」
「災害獣だぁ!!」
「止めろぉおおお!!」
止まらなかった。
槍が折れる。
魔法が弾ける。
騎士団長が壁に埋まる。
レイは泣きそうな顔で進んでいた。
「吾輩の短剣返せなのだぁあああ!!」
ついに玉座の間。
女王サフィールは呆然としていた。
想定外だった。
ここまで来るとは思わなかった。
いや普通来ない。
王国軍で止まる。
止まらなかった。
レイは涙目で女王を指差した。
「お主なのだぁあああ!!」
「……たかが短剣でしょう?」
その瞬間。
空気が止まった。
レイは固まった。
「……たかが?」
女王は肩を竦めた。
「金なら払うわ。百万でも二百万でも」
「…………」
「それで満足でしょう?」
レイはしばらく黙っていた。
そして。
「のだぁ」
静かに言った。
「あれ、肉切るのにちょうど良かったのだぁ」
女王は頭を抱えそうになった。
遺品とかじゃないのか。
もっと感動的な理由はないのか。
だが次の瞬間。
レイは小さく続けた。
「……父ちゃんにもらったのだぁ」
静寂。
ほんの少しだけ。
レイの耳が下がっていた。
「だから返せなのだぁ」
女王は初めて理解した。
この男。
馬鹿だが。
本気で怒っている。
しかも。
めちゃくちゃ強い。
数秒後。
女王は即座に短剣を返した。
「ご、ごめんなさい」
世界最強の男を敵に回すほど、流石の悪辣女王も愚かではなかったのである。
なお。
レイは短剣を受け取ると即機嫌を直した。
「のだっ♡」
単純だった。
そしてその日の夜。
女王は泣きながら、半壊した王宮の修理費を計算していた。
一方レイは。
「のだぁ〜〜♡」
王宮の厨房で巨大肉料理を食べながらご機嫌だった。
平和である。




