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昼下がりだった。
山脈を裂くように吹く強風が、乾いた草原をざわざわと揺らしている。
巨大な黒岩の上で、一人の青年が腹を出して寝ていた。
「のだぁ……むにゃむにゃ……焼き肉追加なのだぁ……」
青年――レイは、すやすやと気持ち良さそうに寝息を立てていた。
身長は二メートル近い。
筋肉は鎧のように厚く、肩幅は熊より広い。
銀色の長髪はぼさぼさで、獣耳だけがぴくぴく動いている。
もし人間族の兵士がこの場にいたら卒倒していただろう。
なぜならこの男は、“世界最強”だったからである。
古龍を殴り飛ばし。
魔王軍を半壊させ。
海を泳いで横断し。
大陸最強国家の王城を「うるさいから」で半壊させた男。
それが獣人族最後の生き残り、レイであった。
もっとも。
「のだぁ……肉汁が逃げるのだぁ……焼き過ぎ禁止なのだぁ……」
本人はそんなことを一切気にしていない。
むしろ「今日のお昼ご飯の肉、美味しかったなぁ」くらいしか考えていなかった。
獣人族は強かった。
圧倒的に強かった。
素手でドラゴンを撲殺し。
怒ると山が崩れ。
子供でもオーク百匹くらいなら普通に狩れた。
しかし。
賢さが終わっていた。
本当に終わっていた。
人類史に残るレベルで終わっていた。
獣人族は大昔、人間族にこう評されている。
『神が武力を与えすぎた代わりに、知能を与え忘れた種族』
実際、その通りであった。
例えば。
ある獣人族の戦士は「酒飲み放題」の看板を見て、一週間飲み続けて死んだ。
別の獣人族は「この壺を買えば金運が上がる」と言われ、全財産で壺を買い、その壺に頭を突っ込んで抜けなくなって餓死した。
また別の獣人族は、人間族の詐欺師に「海の向こうに無限焼き肉の国がある」と騙され、そのまま泳いで行方不明になった。
さらに別の獣人族は、大食い大会で優勝しようとして巨大魔獣を丸焼きで二十頭食べ、その場で爆発した。
文字通り爆発した。
胃袋が限界を迎えたのである。
獣人族は周囲に肉片を撒き散らしながら、
「のだぁああああ!!幸せなのだぁあああ!!」
と言い残して死んだ。
そんな種族だった。
なので滅んだ。
戦争ではない。
飢餓でも疫病でもない。
ただただ全員アホだったのである。
ちなみにレイは獣人族の中では「かなり頭が良い」と言われていた。
なぜなら。
「のだぁ?腹八分目が大事なのだぁ」
という概念を理解していたからである。
人間族からすると幼児レベルの知能だが、獣人族基準では革命的天才だった。
実際、レイは子供の頃から一族の長老たちに期待されていた。
「レイは賢いのだぁ!」
「お肉を五十人前で止められるのだぁ!」
「水浴び中に川下へ流れていかないのだぁ!」
「毒キノコを毎回は食べないのだぁ!」
大絶賛である。
なお全部、人間族の三歳児でも出来る。
レイはそんな同族たちを見ながら育った。
そして。
ある日、気づいたのである。
「のだぁ……もしかして吾輩の同族、お馬鹿なのだぁ?」
遅かった。
その頃には既に獣人族の人口は激減していた。
酔っぱらって火山に落ちる者。
人間の商人に「食べ放題永久無料券」を売りつけられて破産する者。
冬眠ごっこをして本当に凍死する者。
「このキノコ、光ってるから美味しそうなのだぁ♡」で死ぬ者。
そんな日常である。
レイは頭を抱えた。
「のだぁあああ!!なんで毎回食べ物関係なのだぁあああ!!」
だが、同族たちは真顔だった。
「美味しそうだったのだぁ」
「しょうがないのだぁ」
「後悔はしてないのだぁ」
救いようがなかった。
そして最後には。
獣人族最強の王でさえ。
「この蜂蜜酒、樽ごと飲めばもっと美味いのでは?」
という発想に到達し、普通に死んだ。
獣人族は滅んだ。
あまりにも平和的で、あまりにも馬鹿な終焉だった。
レイはその最後を見届けたあと、一人で旅に出た。
「のだぁ……」
最初は泣いた。
そりゃ泣く。
一族全滅である。
しかし三日後には。
「のだぁ?でも焼き肉独り占め出来るのだぁ?」
とか考え始めていた。
切り替えが早過ぎた。
もっとも、その後の世界の方が大変だった。
なにせレイは強過ぎる。
しかも一般常識が獣人族基準である。
だから人間社会で問題を起こしまくった。
パン屋で試食を全て食べ尽くし。
「のだぁ?美味しかったから追加要求なのだぁ!」
と笑顔で言って出禁。
王都の噴水で水浴びして衛兵出動。
冒険者ギルドでは「ドラゴン討伐報酬少ないのだぁ!」と机を握り潰し。
さらには。
「のだぁ!吾輩、お嫁さん欲しいのだぁ!」
と求婚した結果、緊張し過ぎた貴族令嬢が失神。
気づけば“災害指定生物”扱いである。
しかし。
誰もレイを止められない。
強過ぎるからだ。
魔法?
効かない。
毒?
「のだぁ?ちょっと舌が痺れるのだぁ!」
で終わり。
呪い?
「なんか肩凝るのだぁ」
で済む。
勇者?
三回くらい泣かした。
魔王?
レイの昼寝を邪魔して半殺し。
そんな男だった。
そして今日も。
レイは巨大岩の上でお昼寝していた。
平和である。
その時だった。
遠くから人間の悲鳴が聞こえた。
「た、助けてくれぇええええ!!」
「魔物だぁぁぁ!!」
レイの獣耳がぴくりと動く。
「のだぁ……?」
ゆっくり起き上がるレイ。
すると山の向こうから、巨大な黒竜が現れた。
翼を広げるだけで空が暗くなる。
伝説級災害魔獣。
国を滅ぼす存在。
人間なら絶望するしかない怪物だった。
しかし。
レイは寝ぼけ眼で黒竜を見たあと。
「のだぁ?」
首を傾げた。
「……お主、美味しいのだぁ?」
黒竜が咆哮した。
次の瞬間。
ズドォォォォォォン!!!
山が吹き飛んだ。
数秒後。
黒竜は地面に埋まっていた。
頭から。
レイに殴られたのである。
「のだぁ。昼寝の邪魔はダメなのだぁ」
レイは眠そうに尻尾を揺らした。
そして黒竜の尻尾を掴む。
ずるずる引きずる。
「うむ。今日は竜肉ステーキなのだぁ」
人類最強国家が十年かけても討伐出来なかった黒竜は、その晩、普通に焼かれた。
なおレイはちゃんと食べ過ぎなかった。
獣人族唯一の生き残りなので、その辺だけは学習済みなのである。
「のだぁ!腹八分目なのだっ♡」
世界最強の獣人は、ちょっと誇らしげだった。




