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君の隠し事は、甘い匂いがした。――この距離じゃ、その嘘全部バレてるぞ。  作者: 来里 綴
薫風の密室と、支えの行方

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第67話 雨上がりの旧校舎と、ひらかれる扉 4

 前よりは、ずっと案らしくなった。作法室の机の中央には、五人で作った紙の束がある。


 今の活動を残したまま、外から見えない部分には別の入口を作る。常に作法室を開けるのではなく、一般の生徒が香道に触れられる機会を限って用意する。


 その中には、普段の活動との両立や、先輩個人の支援だけに頼らないための話も入っていた。数日前までの「ここを残したい」から比べれば、話はかなり具体的になっている。


「これなら、前よりは説明になりますよね」


 星野が紙を覗き込みながら言った。


「少なくとも、『残したいから残してください』ではなくなったんじゃない?」


 柚木も隣から覗く。


「ええ」


 先輩は頷いてから、紙の端を軽く揃えた。


「皆さんにお願いした内容も、きちんと入っています。一般の生徒の方からどう見えるか、初めて触れる方に何が必要か、通常の活動と両立できるか。そのうえで、香道として外せない部分も残しました」


 澄が一度、机の上を見渡す。


「普段の活動をそのまま見せるんじゃなくて、入口を別に作るってところも入ってるね」

「ああ」


 俺も手元の紙を見直した。


 内容同士で明らかにぶつかっているところはない。少なくとも、五人で考えた範囲では。


「では、行ってまいりますわね」


 先輩が資料を手に取った。今日はこれを正式に提出して終わり、という話ではない。


 改善案として出す前に、生徒会側から実務上の問題がないか確認してもらう。そのための事前確認だ。


 説明するのは部長である先輩。俺は、ここまでの記録と各自の話を整理していた関係で同行する。


「神崎先輩」


 立ち上がったところで、星野に呼ばれた。


「はい」

「通りそうですか?」

「俺に聞くなよ」

「だって、一番こういうの見てそうじゃないですか」

「何を」

「穴とか」

「だから、それを見てもらいに行くんだろ」

「あ、そっか」


 星野が納得した横で、柚木が笑う。


「帰ってきて『全然駄目でした』だったらどうする?」

「その時は、その時じゃない?」


 澄が答えた。あっさりした声だった。


 先輩も笑う。


「そうですわね。まずは、見ていただきましょう」


 俺も、それでいいと思った。少なくとも今は、最初から駄目だと思って持っていく案ではない。


 作法室を出て、本棟へ戻る。廊下に人の気配が増えるにつれ、柔軟剤や制汗剤、午後まで教室に溜まった人間の匂いがまた重なってきた。


 作法室にいた直後だと、差が余計に分かる。俺は一度だけ浅く息を吐いて、先輩の半歩後ろを歩いた。


 確認の場には、二人の生徒会役員がいた。一人は二年一組の天宮彩葉。現生徒会の書記。


 もう一人は如月蒼真。こっちは同じ二年三組だから、毎日教室で顔を見ている。生徒会では会計をやっていることも知っていた。


 ただ、教室で見るのと、こうして資料を挟んで向かいに座るのとでは、さすがに見え方が少し違う。


「お願いします」


 天宮が先輩から資料を受け取る。


「事前に聞いていた内容より、かなり具体的になってますね」

「ありがとうございます」

「作法室をそのまま開放するわけではなくて、通常の活動は維持する。その上で、一般生徒が香道に触れられる機会を別に作る、と」

「ええ。その方向で考えております」


 先輩は、作法室を残したい理由と現在の使い方、外から活動が見えにくい点への対応を順に説明した。常時開放で普段の活動を崩すのではなく、別に小規模な接点を作る案だ。


 俺が口を挟む必要はほとんどなかった。前よりずっと筋が通っている。


 天宮も途中で否定せず、何度か資料へ書き込みながら聞いている。如月も同じだった。


「方向は分かりました」


 説明が一度切れたところで、天宮が顔を上げた。


「前より、何を変えようとしているのかも分かりやすいです」


 先輩の肩から、ごくわずかに力が抜けた。俺も同じだったと思う。少なくとも、入口で弾かれる案ではなかったらしい。


「では、実際にこれをやるとして」


 天宮の指が、資料の一行で止まった。


「この『限定的な機会』は、誰が運営する予定ですか?」


 先輩が一拍置く。


「香道部の部員で行うことを考えておりますが、具体的な分担まではまだ――」

「その場合、普段の活動はどうします?」

「日を分けることになるかと思います」

「場所も作法室ですか?」

「それも、まだ確定はしておりません」

「必要な道具や香材は?」


 質問は一つずつだった。どれも難しい言葉ではない。けれど、答えようとするたびに、まだ決まっていない部分が一つずつ浮いてくる。


「もちろん、今ここで全部決まっていないと駄目という話ではありません」


 天宮は資料へ視線を戻した。


「ただ、実際に動かすなら、誰が何をするのかがまだ読めないです」

「通常活動と分けるなら、そっちに人を出した時に普段の活動がどうなるかもありますね」


 如月が続ける。柔らかい口調だが、言っていることは単純だった。


 俺たちは「普段とは分ける」と決めた。でも、分ければ自動的に両立できるわけではない。


「そこは、もう少し詰める必要がございますわね」


 先輩は言い訳をせず、資料へ目を落とした。


「あと、もう一ついいですか」


 如月が紙の別の箇所を指した。


「一般生徒との接点を増やすこと自体は分かります。でも、それが作法室を継続して使う理由になるかは、別の話だと思うんです」


 先輩が顔を上げる。


「別の話、ですか?」

「例えば、別の文化部が同じように『一般向けの機会を作ります』って言った場合でも、それだけで専用の場所を継続して使える理由になるのか、って考えると」

「ああ」


 言われてみれば、その二つは別だった。


「他の部でも同じ説明が成立するなら、香道部がこの場所を使い続ける理由としては弱い、ってことか」


 俺が言うと、如月が頷いた。


「そう。香道部に固有の事情があるなら、それを説明できればいいと思う。ただ、『香道だから必要です』だけだと、判断する側は比較できない」


 先輩はしばらく黙っていた。やがて、ゆっくり頷く。


「香道には、場所や環境について必要な条件がございます」

「はい」

「ですが、それを特別扱いしていただく理由にはしたくありませんわ」


 声はいつもと同じだった。


「必要なのであれば、なぜ必要なのかを、わたくしたちが説明するべきです」


 天宮が短く頷いた。


「はい。そこが分かれば、見る側も考えられます」


 話はそこで終わらなかった。天宮が資料を一枚めくる。


「あと、この機会を実際にやった後なんですけど」

「はい」

「何を見たら、『前より改善した』って判断できますか?」


 また、先輩の返事が止まった。


「一般の方に参加していただけたか、ということにはなると思いますが……」

「参加した人数だけでしょうか」

「いいえ。それだけではないでしょうね」

「では、ほかには何を見ますか?」


 責めるような聞き方ではない。参加者がいれば成功なのか、一度できれば十分なのか。そこまで決めていなかった。


「……なるほど」


 先輩が息を吐いた。


 最初に机へ置いた時は、一つの案に見えた。今は、その内側にまだ決めていない部分が何層もある。


「つまり」


 先輩は二人を見る。


「現段階では、この案では足りないということですわね」


 天宮はすぐに首を振った。


「方向が悪いという意味ではありません」

「俺もそう思います」


 如月も続けた。


「前より、香道部が何を守りたくて、何を変えようとしてるのかは分かります」

「ただ、このままだと」


 天宮が資料を指先で軽く押さえる。


「判断する側が、判断できません」


 その一言が一番分かりやすかった。俺たちは条件に至った経緯を知っているが、この紙を見る人間はその時間を共有していない。だからといって、何人・何回まで二人に決めてもらえば、もう俺たちの改善案ではない。


「どう埋めるかは、香道部でもう一度考えた方がいいと思います」


 天宮が言った。先輩は資料を閉じる。


「分かりました。持ち帰って、もう一度確認いたします」


 二人の指摘で、考えていなかった部分がまだ残っていることは分かった。今はそれを持ち帰ればいい。


 作法室へ戻ると、空気がまた一段静かになった。畳と木と、薄い茶の匂い。


 澄は水屋から戻ってくるところで、柚木と星野もそれぞれ広げていたものを片づけ始めていた。


「おかえり」

「ただいま」


 澄が先輩の持つ資料へ視線を落とす。


「どうだった?」


 先輩は自分の席へ戻った。紙を机に置いてから、少しだけ考える。


「方向そのものは、否定されませんでした」

「お」


 柚木の顔が上がる。


「じゃあ――」

「ですが、このままでは足りないそうです」

「あー」


 上がった顔が、そのまま下がった。星野が首を傾げる。


「何がですか?」


 先輩がこちらを見る。俺は資料を開いて、さっきの流れを思い出した。


「一個じゃない」

「うわ」

「まず、実際にやる時の条件がまだ足りない。誰が動くのか、普段の活動と両立できるのか、準備をどうするのか」


 澄が頷いた。


「そこは、まだ方向だけだったね」

「それと、一般向けの機会を作るだけで、この作法室を使い続ける理由になるわけじゃない」

「……そっか」


 柚木が紙を見る。


「外から見えるようにすることと、この部屋が必要な理由は、同じじゃないんだ」

「ああ」

「あと、やった後に何を見れば改善したって言えるかも決まってない」


 星野が眉を寄せた。


「来てくれた人がいたら成功、じゃ駄目なんですか?」

「駄目とは言われてない。ただ、それだけでいいのかも決めてない」

「なるほど……」


 星野は自分の前にあった紙へ目を落とした。


「初心者が入りやすい方がいいっていうのは、間違ってなかったんですよね?」

「ああ。そこは否定されてない」


 俺が答える。


「星野の話が間違ってたわけじゃない」


 柚木も俺を見る。


「あたしのも?」

「同じ。澄の条件も、先輩の香道として外せない部分も、別に否定されてない」


 先輩が資料を見直した。


「内側では分かっていることを、外でも確認できる形にする必要がある、ということですわね」

「そういうことだと思います」


 俺が答えると、先輩は頷いた。


「そこまで含めて、改善案なのでしょう」


 少し悔しそうには見えた。でも、机の紙を全部自分の前へ集めることはなかった。


「今日、直します?」


 柚木が聞く。先輩は一度、資料を見た。


「いいえ」


 答えは静かだった。


「今日は、不足を持ち帰れたところまでにいたしましょう」

「明日から?」

「そこも含めて、改めて考えます」


 話がそこで切れると、机の上も少しずつ放課後の終わりへ戻っていった。澄が湯呑みを下げ、星野が自分のものを鞄へしまう。柚木は広げていた紙を揃え、俺も今日持っていった資料を他の記録と一緒にまとめた。


 先輩も、みんなと同じところで手を止めた。その日の紙には、答えよりも空欄の方が増えた。


 扉を少し開くだけでは足りない。外からでも、その先が見える形にしないといけないらしい。

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