第60話 青嵐の作法室と、抱えた仕事 4
しばらくして、俺は手元に残っていた別の資料へ目を落とした。生徒会の監査に関係するものだ。
新しいことは書かれていない。部員数、活動実績、作法室の利用、予算――これまでに見た話ばかりだ。
一枚めくって、手が止まる。桜小路先輩が注文を減らした理由が分かっても、こっちは何も消えていない。
先輩が自分の家に頼りすぎない形へ変えているからといって、生徒会が「では問題ありません」となるわけじゃない。
生徒会が見ているのは、学校の場所や予算を香道部へ使い続けていいか。桜小路先輩が考えていたのは、自分が卒業したあとも、部が自分や家の力に頼りきらず続いていけるか。似ているが、同じ問題ではない。
「神崎、また難しい顔してない?」
柚木の声に顔を上げる。
「普通」
「その『普通』、便利すぎない?」
「便利なら使えばいいだろ」
「そういう話じゃないんだけど」
柚木が呆れたように笑う。
その横で、星野が俺の手元を覗き込んだ。
「監査のやつですか?」
「見直してるだけ」
「何か分かったんです?」
「まだ整理中」
「じゃあ邪魔しないでおきます」
そう言って、星野はすぐに自分の作業へ戻った。ありがたい。
俺も視線を紙へ戻す。求めている答えは違っても、どちらも「今できている」だけでは足りない。
「……なるほど」
漏れた声に、桜小路先輩がこちらを見た。
「何か見つかりましたか?」
「見つけたっていうほどじゃないです」
俺は紙から手を離す。
「先輩が考えてたことと、生徒会が見てることって、同じじゃないんですね」
「ええ。そうでしょうね」
桜小路先輩は特に驚かず頷いた。
「生徒会には生徒会の立場がありますもの」
「でも、どっちも今だけ動けばいいって話じゃない」
先輩の目が細くなる。
「……そうですね」
それ以上は続けなかった。
共通点が見えても、監査の答えが出たわけではない。けれど、考える場所は前より絞れた。
紙を戻しかけた時だった。
「桜小路先輩、これ終わりました」
星野がまとめた束を差し出す。
「ありがとう、星野さん。そちらへ置いておいてくださいな」
「はい」
「先輩、こっちも確認だけお願いします」
今度は柚木が一枚抜き出した。
桜小路先輩は受け取り、目を通す。
「ええ。ここはこちらで確認します。柚木さんは残りをまとめていただければ大丈夫ですわ」
「了解です」
会話は短い。星野は次の作業へ戻り、柚木も残った紙を揃え始める。
桜小路先輩は二人から受け取ったものを確認すると、自分の手元にあった別の資料へ視線を戻した。前に見た時と同じだった。先輩は、俺たちへ渡せる仕事をちゃんと渡している。
星野から受け取った紙、柚木から渡された一枚、その前から先輩の手元にあった資料。一つ確認が終わっても、先輩の前から紙はなくならない。
澄も自分の分を終え、俺の前にもまだ任されている分がある。仕事は確かに散っているのに、桜小路先輩のところだけは、散らした後にも残っている。
試験勉強の時は、量が多いことしか分からなかった。今なら、後輩へ仕事を渡しながら、渡し方や最後の判断は先輩に残る理由も分かる。
それでも、続けられる形にするための仕事をいちばん多く持っているのは先輩だった。
「慧くん」
澄に呼ばれて顔を上げる。
「それ、終わった?」
「ああ。今終わる」
最後の一枚を揃える。いつの間にか、片付けを始める時間になっていた。
柚木が使ったものを戻し、星野が周りの紙を集める。澄も手早く自分の場所を整えていく。
俺も資料を所定の場所へ戻した。桜小路先輩だけが仕事を続ける、という流れにはならなかった。
「では、今日はここまでにしましょう」
先輩自身も残っていた紙をまとめる。
「忘れ物はありませんか?」
「大丈夫です」
星野が答え、柚木も鞄の中を確認してから頷いた。五人で最後の確認をして、作法室を出る。
戸が閉まる。旧校舎の廊下を歩き出すと、さっきまで近くにあった紙の匂いも、畳の乾いた匂いも少しずつ遠くなった。
隣には、いつも通り澄がいる。
「帰ろうか、慧くん」
「うん」
注文を減らした理由は分かった。監査の答えはまだ出ていない。
それでも、作法室を出る直前まで桜小路先輩の前に残っていた紙だけは、頭から離れなかった。




