第54話 薄暑の放課後と、消えない数字 4
放課後の作法室では、昨日と同じように紙をめくる音がしていた。正確には、同じではない。
机の上に広がっている資料も、柚木と星野が話している内容も、桜小路先輩の手元に積まれた紙の量も少しずつ違う。それでも、ここへ来てそれぞれが自分のやることを始めれば、同じ放課後の続きに見えた。
「神崎先輩、これ昨日のやつですか?」
星野が俺の前にある束を見る。
「続き」
「まだあるんですね……」
「増えた」
「増えたんですか?」
向こうで柚木が笑った。
「完全に戦力じゃん、神崎」
「紙を並べてるだけだけどな」
「それをちゃんとできる人を戦力って言うんじゃない?」
知らない。俺は一枚目へ視線を戻した。
昨日までに手順はだいたい分かっている。記録の日付を確認して、一覧と照らす。対応する資料を揃えて、判断できないものだけ分けておく。
昨日までなら一度手を止めていたところも、今日はそのまま進められる。手元の紙が少し広がったところで、隣にいた澄が自分のノートを閉じた。
そのまま俺の腕に触れない位置まで湯呑みをずらして、空いた場所を作る。
「ここ、使っていいよ」
「ありがとう」
「うん」
それだけ言って、澄は少し横へ寄せたノートをまた開いた。俺も紙へ戻る。
数枚進めたところで、一つだけ手が止まった。一覧に記載された項目と、手元にある資料の対応が取れない。
記録そのものが抜けているわけではなさそうだった。単に、どの資料を参照しているのか分からない。
前なら、ここで桜小路先輩に聞いていた。俺は、まず自分で辿れるところまで辿る。
俺は一覧の端に付けられた参照記号を見直した。生徒会側で管理している記録に繋がっているらしい。
「桜小路先輩」
「はい」
「この項目、生徒会側の資料を確認しないと分からなさそうです」
差し出した紙を先輩が見る。
「ええ。その部分でしたら、高科副会長が整理なさっている資料の方が早いと思いますわ」
「じゃあ聞いてきます」
「お願いいたします」
紙を持って立ち上がる。澄も柚木も星野も、それぞれ自分の手元へ戻っていた。
作法室を出ると、廊下の空気が少し重くなる。教室ほどではないが、人が行き来した後の匂いは残っていた。
それを避けるように歩きながら、手元の紙を見る。高科副会長。
昨日、一条会長を見た。その時から、高科副会長の方も一度整理しておこうとは思っていた。
ちょうどいい。この確認で、今まで見えていたものも一緒に見直せる。
生徒会側の執務場所へ入ると、高科副会長は机に資料を広げていた。一条会長も少し離れたところで別の書類を見ている。
「高科副会長、今いいですか」
顔を上げた高科副会長が、俺の持っている紙へ視線を落とした。
「大丈夫です。何か確認ですか?」
「ここです。参照先がこっちの資料だけだと分からなくて」
紙を渡す。
高科副会長は該当箇所を確認してから、自分の机の脇に置かれたファイルへ手を伸ばした。
迷わなかった。
「この項目なら、こちらです」
開かれた資料には、俺が持ってきた一覧と対応する記号が振られていた。
その横には別の記録への参照先も並んでいる。
一つの紙だけで完結させるんじゃなく、必要なら元の記録まで辿れるようになっていた。
「これ、全部高科副会長が整理したんですか?」
「僕が担当した部分はそうです。ただ、元の記録はそれぞれ別です」
高科副会長がページをめくる。
「この一覧だけだと数字しか残らないので、確認が必要になった時に元へ戻れるようにしています」
昨日までなら、その手際の良さ自体が気になっていた。監査の草案にも深く関わっている。
香道部について質問すれば、必要な数字がすぐ出てくる。普通より先まで準備しているように見える。
実際、その認識は間違っていない。高科副会長は、先まで準備していた。
ただし。
「ここも、もうまとめてあるんですね」
俺が別の欄を指す。
「そこは確認される可能性が高いので」
高科副会長は、それだけ答えて別の紙を重ねた。
「問われてから探すと、比較条件がずれることがあります。先に同じ条件で見られるところまで揃えておいた方がいい」
「なるほど」
香道部だから早かったわけじゃない。聞かれる可能性のあるものを、聞かれる前に並べてある。
数字を出すために調べているというより、数字を後から誰でも確かめられるようにしている。監査への関与が深い。
その事実は変わらない。でも、担当している仕事そのものが深いなら、それで説明はつく。
「神崎くん、その箇所ならこちらも使ってください」
追加でもう一枚渡される。
受け取った時、横から一条会長の声がした。
「高科くん、こちらの確認は終わりました」
高科副会長が顔を向ける。
一条会長は書類を手にしたまま、次の言葉を待っていた。
「分かりました。では、次はこちらをお願いします」
高科副会長が一枚抜き出して渡す。
一条会長が内容を見る。
「この二点ですね」
「はい。片方は記録が揃っています。もう片方はまだです」
「分かりました」
一条会長が自分の机へ戻る。高科副会長の視線も、すぐ手元へ戻った。
昨日までなら、あの視線にも別の意味を残していたかもしれない。一条会長の状態を見ている。
何かを気にしている。そこまでは別に間違いじゃない。
今のやり取りを見れば、もっと簡単な説明がある。同じ場所で同じ仕事をしている人間が、相手の返事を待って、次の処理へ進める。
それだけだ。
高科副会長は俺の紙をもう一度見た。
「他に分からないところはありますか?」
「今のところは大丈夫です」
「では、もし参照先が切れていたら持ってきてください。こちらで確認します」
「分かりました。ありがとうございます」
資料を受け取って、その場を離れる。廊下へ出てから、紙を持ち直した。
何かを見落とした感じはしない。むしろ逆だ。高科副会長の動きは、副会長としての仕事だけで説明できる。今のところ、そこに別の理由まで考える必要はなさそうだった。
仮説が一つ消えた。それでも、手元の数字は消えない。香道部へ監査が入っていることも、一条会長に桜小路先輩へ向いた何かがありそうなことも、そのまま残る。
高科副会長個人を外しても問題が残るなら、次に確かめるものは絞れる。香道部は、本当に特別なのか。
俺は受け取った資料を持ったまま、作法室へ戻る廊下を歩き出した。




