第42話 薫風の街角と、残された注文 3
入口の扉を開けると、木と紙、それから店の奥に長く残っている香りが入ってきた。香木店だからといって、店中が強く香っているわけじゃない。
棚に収められているものは輪郭が薄い。そこへ、取り出された品から立つ香りだけが少し濃く混ざる。
さっきまで歩いていた通りとは、入ってくるものの種類が違った。
「ここ、落ち着くね」
後ろで柚木が声を落とした。
「なんか、外と空気が違います」
星野も店内を見回している。
「静かだからじゃない?」
澄の声も、自然と小さい。俺もスマホを取り出し、桜小路先輩から控えていた内容を開いた。
今日は選ぶ必要はない。ここで受け取るものは、最初から決まっている。
店の人に桜小路先輩から預かっている内容を伝えると、話はすぐ通った。
「少々お待ちください」
「お願いします」
奥へ下がった店の人を待つ間、カウンターの端へ寄る。
朝から歩いた分の重さは、まだ身体に残っていた。
それでも、さっき休んだおかげで頭は動く。
「神崎先輩」
「ん?」
「あれって、作法室にもあるやつと同じですか?」
星野が少し離れた棚を指した。
「知らない」
「見もしないんですね」
「見ても分からないからな」
「潔い……」
星野が笑い、その横で柚木が棚を覗き込む。
「澄ちゃんは分かる?」
「似たものはあるけど、同じかは見ただけじゃ分からないかな」
「そっか」
二人はそれで納得して、また別の棚へ視線を移した。俺より澄の方が、この辺りは詳しい。
しばらくして、店の人が包みを持って戻ってきた。名前と内容を確認する。
桜小路先輩から聞いていたものと食い違いはない。
「こちらでお預かりしている分になります」
「ありがとうございます」
受け取って終わり。
そのはずだった。
包みを鞄へ入れる前に、ふと思い出す。
「すみません」
「はい」
「今、桜小路の名前で預かってるのはこれだけですか?」
あとから別の受け取りがあると分かれば、またここまで来ることになる。
確認できるなら今やった方がいい。
店の人は手元の記録へ目を落とした。
「確認いたしますね」
ページを何枚か繰り、指先で項目を追っていく。
横から柚木の視線を感じたが、今回は何も言ってこなかった。
「はい。現在お預かりしているものは、こちらですべてです」
「分かりました」
「以前でしたら、この時期にはもう少しお預かりしていることも多かったのですが。今年はこれで間違いありません」
手が止まった。
「以前より少ないんですか?」
「そうですね」
店の人は記録へもう一度目を落とす。
「桜小路様には長くご利用いただいておりますが、今年は例年より少なめかと思います」
「去年と比べても?」
「ええ。同じ頃でしたら、もう少しご注文をいただいていましたね」
聞き間違いではない。作法室で桜小路先輩から見せられた一覧。
去年の同じ時期より、今年の数字が少なかった。桜小路先輩自身も、減らしているものがあると言っていた。
あの時点では、部内の予定にそう記されているというだけだった。補充する時期をずらしただけかもしれない。
あとから追加するものがあるかもしれない。記録の切り方が違う可能性だって残っていた。
でも、この店でも少ない。少なくとも、ここでは実際に取引量が減っている。
「何か理由を聞いてますか?」
「いえ、そこまでは」
店の人は首を横に振った。
「こちらでは、ご注文いただいたものをご用意しておりますので。特に事情を伺ったことはありませんね」
「そうですか」
それ以上聞くことはなかった。
店の人が知らない事情を尋ね続けても、新しいことは出てこない。
「ありがとうございました」
受け取りを済ませて、四人で店を出た。扉が閉まる。
飲食店から流れてくる油と甘い匂い。通り過ぎる人から入れ替わる香料と汗。少し離れた車道から来る排気。
さっきまでより、一度に拾うものが増えた。
「……やっぱ外、多いな」
「店の中、かなり静かだったもんね」
柚木が隣へ並ぶ。
「でもさ」
「何だよ」
「お店の人も普通に『今年は少ない』って言ってたね」
「ああ」
そこは同じことを考えていたらしい。
「作法室で話してた記録だけじゃなかったってことですよね」
星野が言う。
「少なくとも、あの店に関してはな」
一店舗で確認できた。それは事実だ。
でも、理由まで分かったわけじゃない。この店だけ時期がずれたのかもしれないし、別の調達先を使っている可能性もある。
今の材料で一つに決めるのは早い。
「桜小路先輩、理由までは言ってなかったよね」
柚木が言った。
「補充の仕方と使い方を見直してる、とは聞いた」
「じゃあ、それで減らしてる可能性もあるか」
「ああ」
「そっか」
それで話は切れた。
少し前では、星野が澄の持っている袋を覗き込んでいる。
「真白先輩、それ重くないですか?」
「大丈夫。そんなに入ってないよ」
「じゃあ次、増えたら私持ちます」
「その時はお願いしようかな」
「はい」
俺はスマホで残りの予定を確認した。
まだ受け取り先がある。
「慧くん」
「ん?」
「次、予定通り行けそう?」
澄が聞いた。身体の状態を一度確かめる。
店を出た分、鼻に入ってくるものは増えている。朝から歩き続けた疲れも消えてはいない。
けれど、まだ歩ける。人の多い通りを避ければ、次の店まで行く余裕もある。
「行ける。予定通りでいい」
「分かった」
澄はそれだけ言って頷いた。
「次って、あっちですよね?」
星野が進行方向を見る。
「ああ」
「じゃあ行こっか」
柚木が歩き出す。俺たちも続いた。
次の店も、桜小路先輩が前から使っている取引先だ。予定は朝から変わっていない。
頼まれたものを受け取って、確認して、買い出しを続ける。ただ、さっきまではそれだけだった次の予定に、一つだけ気になることが増えていた。
この店だけが少ないのか。それとも。
答えを決めるには、まだ早い。俺は三人と並んで、予定していた次の店へ向かった。




