第40話 薫風の街角と、残された注文 1
待ち合わせ場所に選んだカフェは、中心街から一筋外れたところにあった。昨日、澄が候補に挙げた店だ。
駅前で立って待つよりこっちの方が楽だろう、と言われて、俺もそう思った。静か、とは言い難い。
珈琲と焼いたパンの匂い。隣の席からは甘い香料。出入りする客が扉を開けるたびに、外の空気まで少しずつ混ざってくる。
それでも、人の多い場所で立ったまま待つよりはずっとましだった。
「玲奈ちゃん、まだかな」
向かいに座った澄がスマホを見る。
「時間にはなってないだろ」
「そうだけど」
澄はそう言って、窓の外へ目を向けた。
学校じゃない場所で向かい合っていても、こいつについては別に新鮮味はない。休日に顔を合わせること自体、昔から珍しくなかった。
違うのは、今日はここにあと二人来ることだ。
「あ、いたいた」
扉の方から明るい声が飛んできた。柚木が片手を上げて近づいてくる。
制服じゃない。当たり前だが、それだけで印象は少し変わる。
髪をいつもより少しまとめているせいか、学校では制服の中に馴染んでいた小物まで目についた。いつもの甘い香りも、今日は制服とは違う生地の匂いに混ざっている。
「お待たせ。って、二人とも早くない?」
「同じ方向から来たからな」
「休日までその効率なの?」
「待ち合わせに効率以外の何があるんだよ」
「そういうとこ」
何がだ。
柚木は笑いながら空いた席に鞄を置くと、すぐ澄の方へ視線を移した。
「澄ちゃん、そのカーディガンかわいい。そういうの着るんだ」
「たまにはね。玲奈ちゃんも今日、髪ちょっと違う?」
「分かる? ちょっとだけまとめてきた」
「似合ってるよ」
「やった」
俺を挟まずに会話が続く。
教室でも作法室でも見たことのある光景なのに、制服がないだけで妙に休日らしく見えた。
数分もしないうちに、もう一度扉が開く。
「すみません、お待たせしました」
星野だった。こちらも制服じゃない。
髪も小物も学校にいる時とは少し違っていて、全体にいつもより大人びて見える。星野は席まで来ると、三人の顔を順番に見た。
「真白先輩、今日すごく雰囲気違いますね」
「そう?」
「はい。あ、髪かわいいです」
「でしょ?」
柚木がすぐ乗る。
「くるみちゃんも今日はちょっと大人っぽいね」
「……ほんとですか?」
「うん。似合ってるよ」
澄に言われた星野の口元が、素直に緩んだ。
そのあとで、こっちを見る。
「神崎先輩は?」
「何が」
「そこからですか?」
何を求められているのか考えて、もう一度星野を見る。
服装。鞄。足元。
「その靴なら、今日くらい歩いても平気そうだな」
一秒。
「先輩、私いま靴の機能性を褒められました?」
「褒めたつもりはない」
「もっと悪い」
柚木が吹き出した。
「神崎に感想聞いたのが悪いって」
「でも普通、もう少し何かありません?」
「似合ってるんじゃないか」
「順番!」
星野が額を押さえる。澄まで笑っていた。
学校の外でも、結局こうなるらしい。全員揃ったところで、長居はしなかった。
俺はスマホに控えてある買い出しの順番を確認する。桜小路先輩から頼まれたのは、全部の買い物じゃない。店頭で俺が感覚上の差を確かめた方がいいものだけだ。
「まずここからでいい?」
澄が画面を覗き込む。
「ああ。先に頼まれた方を済ませたい」
「了解」
「そのあと時間あったら、普通に見て回ろ」
柚木が言う。
「賛成です」
星野もすぐ続いた。予定が決まる。
俺たちは店を出た。扉を抜けた瞬間、街が一段近くなった。
まず、食べ物。
油、焼いた肉、甘い菓子、珈琲。そこへ香水、整髪料、柔軟剤、汗。歩いている人間だけじゃない。店から漏れる空気と、立ち止まる集団と、すれ違う人間が次々に層を作る。
音も多い。
呼び込み。笑い声。車の走行音。誰かのスマホから漏れる音楽。
「……多いな」
思わず口に出た。連休だから混むとは思っていた。
昨日のうちに水筒も羽織るものも用意した。ミントの予備も鞄に入れてある。
それでも、準備した量と実際の人間の数は別の話だった。通りの先まで、人の流れが途切れていない。
普段の休日より明らかに密度が高かった。数十メートル進んだところで、ポケットからミントを一粒出す。
噛んでも、街が消えるわけじゃない。ただ、自分で選んだ強い刺激が一つあるだけで、無秩序に入ってくるものへ意識を持っていかれにくくなる。
前から来た集団を避ける。横から別の二人組が入ってくる。
その後ろでは、立ち止まった人間を避けた列が詰まっていた。最短で行くなら、このまま真っすぐだ。
でも、この密度の中を抜け続ける意味はない。
「慧くん、どう?」
隣から澄が聞く。
昨日の約束どおり、そこで帰る方向へ話を持っていくことはしなかった。
「まだ大丈夫。ただ、このまま真っすぐはやめる」
「うん」
それだけで澄は頷いた。
「一本向こう、さっき見えたけどこっちほど人いなかったよ」
柚木が少し先の角を示す。
「たぶん流れがこっちに寄ってる。回る?」
街の匂いは分かっても、人の流れの癖までは鼻じゃ読めない。
俺は示された方を見る。
確かに、曲がった先へ抜けていく人は少ない。
「そっち行く」
「はーい」
「遠回りくらい全然いいですよ。まだ午前ですし」
星野も軽く言って、方向を変えた。澄と柚木も続く。
四人で角を曲がった。一本入っただけで、人の密度は目に見えて下がった。
匂いが薄くなったわけじゃない。飲食店もあるし、すれ違う人もいる。
ただ、何がどこから来ているのかを切り分けられる程度には戻った。息を一つ深くする。
これなら歩ける。表通りより遠回りでも、俺にはこっちの方が早い。
「あ、これかわいい」
少し前を歩いていた星野の足が緩んだ。
小さな店のショーウィンドウに、髪飾りや小物が並んでいる。
「気になる?」
柚木も足を止める。
「ちょっとだけです。これ、使いやすそうじゃないですか?」
「見る?」
「今はいいです。帰りにまだ時間あったら」
「じゃあ場所覚えとこ」
澄も窓の方へ寄った。
「真白先輩は、こういうの使わないんですか?」
「使うよ。私は……こっちの方が好きかな」
澄が端に置かれた、飾りの少ないものを指す。
「あー、分かる。澄ちゃんっぽい」
「そうかな」
「うん。こっちより絶対そっち」
「私はこっちも好きですけど」
「それも分かる」
三人の話は、そのまま続いていく。
俺は隣を歩きながら聞いていた。
作法室でそれぞれ勝手に話している時と、大して変わらない。
「そろそろ行くぞ。店、次の角だから」
「分かってるって」
柚木が笑う。
「神崎先輩、休日でも目的地への意識だけ強いですね」
「先に用事を終わらせた方が楽だろ」
「はいはい」
歩き出した三人は、すぐさっきの小物の話へ戻った。俺もその横を歩く。
遠回りさせたわりに、誰も迷惑そうではない。むしろ表通りにいた時より、全員よく喋っている。
なら、わざわざ人の多い方へ戻る理由はなかった。今のところ身体も動く。
まずは桜小路先輩から頼まれたものを済ませる。そのあと時間が余れば、さっきみたいな寄り道をしてもいいだろう。
次の角を曲がる。控えていた店名と、目の前の看板が一致した。
「ここだな」
足を止める。ガラス越しに中を見ると、表の通りほど人は多くない。
俺は一度息を整えてから、入口へ手をかけた。まず一つ目。
今日の買い出しは、ここからだった。




