第4話 舞踏会はもっと戦場です
王都最大級の舞踏会——その入口に、私は立っていました。
(帰りたい)
「ナターシャ、顔が怖いわ」
「気のせいです」
「いいえ怖いわ」
「気のせいです」
私は即答しました。
なぜなら今、私の視界には“事故の未来”しか見えていないからです。
本日の主役の一人——
「ナターシャ、このドレス変じゃないかしら?」
「完璧でございます」
——ラファーム侯爵家長女、マリアーナお嬢様。
年齢は十七歳。
そして。
ファーブレア王国でも屈指の美貌を持つご令嬢です。
透き通るような白い肌、柔らかく波打つ金の髪、宝石のような瞳。
その姿はまさに“完璧な令嬢”。
……外見だけは。
(どうしてこれでモテないのか、世界七不思議の一つです)
理由は簡単ですが、認めたくはありません。
「では参りましょうか」
「ええ……ええ、大丈夫よナターシャ」
「はい、大丈夫ではありませんので隣にいます」
「心配性ね」
「現実主義です」
そうして私たちは、舞踏会場へ足を踏み入れました。
⸻
煌びやかなシャンデリア。
華やかな音楽。
優雅に笑い合う貴族たち。
そして——
「きゃっ」
開始三十秒で転びかけるお嬢様。
「まだ何もしていませんよね!?」
「気持ちが先に」
「体も来てください」
私は素早くしっかり支えました。
完璧な防御です。今のは防げました。
(よし、いける……今日はいける……!)
そう思った瞬間。
「マリアーナ嬢」
落ち着いた声が聞こえました。
振り向くと、そこには。
「アーヴィン様」
ラスタム公爵家嫡男、アーヴィン様が立っていました。
端正な顔立ちに、洗練された立ち居振る舞い。
誰が見ても一流とわかる貴公子。
そして。
(まともな人)
この空間において、非常に貴重な存在です。
「先日はどうも」
「こちらこそ」
穏やかに微笑み合う二人。
……お嬢様、ほんの少し頬が赤いです。
(わかりやすい)
「本日はお綺麗ですね」
「……っ、あ、ありがとうございます……!」
噛みました。
見事に噛みました。
ですが。
(可愛いので問題ありません)
アーヴィン様も微かに笑っています。
問題なしです。
「よろしければ、一曲」
「は、はい……!」
来ました。
本日の最大イベントです。
(落ち着いて、ナターシャ……ここが正念場……!)
「ナターシャ……」
「大丈夫でございます。私が見ています」
「見ないでほしいわ」
「見ます」
私は間髪入れず答えました。
⸻
——ダンスフロア。
音楽が流れ、二人は向かい合います。
「よろしくお願いします」
「こ、こちらこそ……」
手を取り合う。
そして——
始まりました。
(……あれ?)
一歩。
二歩。
——普通です。
(普通に踊れている……!?)
驚きました。
いや、よく見れば。
ほんのわずかにタイミングがずれている。
ですが、それを。
アーヴィン様が自然に修正しています。
(この人、全部合わせてる……)
気づかせないレベルでのリード。
さすがです。
「……楽しいですね」
お嬢様が、小さく言いました。
「ええ」
アーヴィン様も穏やかに返します。
その空気は、とても自然で。
——穏やかで。
(……いい)
思わず、そう思いました。
ドジもない。失敗もない。
ただ、普通に。
楽しそうに踊っている。
それだけで。
(こんなに綺麗なものなんですね)
私は少しだけ、息を吐きました。
——その時です。
「……あ」
お嬢様の足が、わずかに絡みました。
(来た!!)
転びます。
確信しました。
ですが。
ぐっと。
アーヴィン様が引き寄せました。
自然な動きで。
まるで演出のように。
「大丈夫ですか?」
「は、はい……!」
距離が近い。
近すぎます。
お嬢様の顔が、一気に赤くなりました。
(これは……)
確定です。
——恋です。
⸻
ダンスが終わり、二人はフロアを離れます。
「ありがとうございました」
「こちらこそ」
軽く頭を下げ合い。
そして。
「ナターシャ……!」
「はい」
「今の、今の……!」
「成功でございます」
「本当に!?」
「奇跡的に」
「奇跡なのね」
「奇跡でございます」
私は断言しました。
ですが。
お嬢様の表情は、とても明るくて。
「……楽しかったわ」
その一言で、すべて報われた気がしました。
⸻
その直後。
「ナターシャ」
「はい」
「歩ける気がしないわ」
「歩いてください」
「無理よ」
「無理ではありません」
一歩踏み出し——
つまずきました。
「何もないですよね!?」
「ええ」
「どうして!?」
私はしっかりと支えます。
完璧です。
今度も守りました。
——ですが。
反動で。
ぐらり。
近くのテーブルが揺れました。
(まずい)
カップが——
「っと」
落ちる前に、手が伸びました。
アーヴィン様です。
すべて支えました。
完璧です。
「……助かりました」
「いえ」
彼は小さく笑って。
「もう慣れました」
「慣れないでください」
私は答えました…切実に。
⸻
「ナターシャ」
「はい」
「……私、変じゃなかったかしら」
お嬢様が、不安そうに聞きます。
一瞬、言葉を選びました。
ですが。
「とても」
「とても?」
「印象に残る姿でした」
「それ褒めてるの?」
「最大級に」
私ははっきり言いました。
事実です。
誰よりも目立っていました。
良い意味で。
確実に。
「退屈しない時間でした」
アーヴィン様も言います。
「また踊りましょう」
「……はい」
小さく頷くお嬢様。
その顔は。
最初よりずっと——柔らかくて。
(ああ)
私は思いました。
(これは、進みますね)
ゆっくりでも。
確実に。
⸻
そして。
「ナターシャ」
「はい」
「ケーキが落ちたわ」
「見ればわかります!!」
現実は、やはり容赦ありませんでした。
⸻
(でも)
私は、落ちたケーキを片付けながら思います。
(悪くありません)
むしろ。
(楽しいですね、これは)
——ラファーム侯爵家。
その舞踏会は。
やはり戦場でしたが。
少しだけ。
希望の見える戦場でした。




