第1話 ポンコツは一人で十分です
「というわけで、あなたにはマリアーナの専属侍女になってもらうわ」
ラファーム侯爵夫人は、穏やかにそう言いました。
「はい、光栄です」
私は優雅に一礼します。完璧です。ここまでは。
(落ち着いて、ナターシャ。ここから“ちょっとドジ”を演出するのよ……!)
そう、私は決意していました。
これから花嫁修行を兼ねて仕えるラファーム公爵家。
家族は言いました。
少しだけ失敗する。少しだけ抜けている。守ってあげたくなる侍女。
それが理想。
「ナターシャ」
「はい、お嬢様」
「一つお願いしてもいいかしら?」
「もちろんでございます」
きました。最初の見せ場です。
ここでほんの少しミスをして、「あら、可愛いわね」と思わせる——完璧な計画。
「その花瓶、そこに置いてくれる?」
「かしこまりました」
私は花瓶を手に取り——
カタン。
慎重に置きました。
……完璧です。完璧すぎました。
(違う、違うわナターシャ! 今のは普通すぎる!)
やってしまいました。失敗すらしていません。これではただの有能です。
次こそは——そう思った瞬間。
「きゃっ」
ガシャン。
振り向くと、お嬢様が別の花瓶を割っていました。
「……お嬢様?」
「ごめんなさい、裾が引っかかってしまって」
「そこ、何もありませんでしたよね?」
「ええ」
ええ、じゃありません。
ええ、じゃ。
(なにそれ怖い)
「大丈夫よナターシャ、安物だったから」
「いえ、先日“とても良い買い物をした”とおっしゃっていた気が」
「そうよ?」
「おいくらで?」
「さっきの花瓶の三倍くらいだったかしら」
「高いです」
間髪入れず突っ込みます。
「でも商人の方が“特別に”って」
「それ、全員に言ってます」
「まあ」
まあ、ではありません。
私は思わず額を押さえました。
(ダメだわ、このままでは……)
“少しドジな侍女”どころではありません。
この方、放っておいたら生活が成り立たないレベルです。
「ナターシャ」
「はい」
「次はお茶にしましょう」
「かしこまりました」
私は慎重にカップを用意し、お嬢様の前に置きました。
ここで失敗してはいけません。今度は本当に危険です。
「ありがとう」
お嬢様は微笑み、カップに手を伸ばし——
触れる前に落としました。そう見えました。
パリン。
「……え?」
「……え?」
二人で同時に固まりました。
「今、触っていませんよね?」
「ええ」
「あれでどうして落ちたんでしょう」
「不思議ね」
「不思議で済ませてはいけません」
私は断言しました。
そして確信します。
(私がしっかりしないと、このお嬢様ダメだ)
——その瞬間でした。
「ナターシャ」
「はい、お嬢様」
「やっぱりあなたがいないと私、生きていけないわ」
「まだ何もしていませんが」
「これからしてくれるでしょう?」
「……ええ、まあ」
否定できませんでした。
というか、もう無理です。
この人を放っておくという選択肢は、存在しません。
「ではお嬢様、本日のお茶会ですが」
「ええ」
「私も同行させていただきます」
「侍女が同席するの?」
「“たまたま近くにいる”だけです」
「まあ、便利ね」
「ええ、とても」
私は静かに決意しました。
社交の場だろうが、私室だろうが関係ありません。
このお嬢様からは、絶対に目を離さない。
(ポンコツを演じるのは、やめよ)
そんな余裕、どこにもありませんでした。
——ラファーム侯爵家。
そこは、想像以上に手強い場所だったのです。




