三つの窪み
ロクハラ消失は、もう一人の俺にとっての最大の失敗だったようだ。
最もやらかしてしまった惨事だそうで、サーシャとリグーリアが詳しく話してくれた。
現実と仮想現実の垣根があやふやになってしまった要因でもあったそうだ。
「飛行船の上で研究を進めていたXRの技術を可能とする為のナノマシン群が、機器の共振反応により破損して拡散してしまったのだ」
停泊した大型飛空挺のデッキの上で、リグーリアが説明してくれた。
大きめのテーブルを囲み、お茶を啜りながらの会談のような形になった。
「XRって何のこと?」
ミシェルが用意された焼き菓子を頬張りながら尋ねた。
「その前に、まず襲撃のことを謝らなければいけないね。申し訳なかった」
「えっと、誰の指示だったの?」
ミシェルはまた尋ねた。
テーブルを囲んでいたのはサーシャ、リグーリア、ミシェル、ユーキ、リト、ソフィア、真樹、桐葉の8人だった。
「長い間伏せっていた陛下が目を覚まして下した始めの命令は『目撃情報があるクリスティーナ・タチムラとよく似た人物を探して連れてくるように』だったのだが」
「うん。それをクラバロウ・セリム・ブラストは拉致監禁という手段を使ってしまった。それを知った陛下、当時は総統だったけれど、まぁ彼は激怒したわけだ」
リグーリアとサーシャが繋ぐように話を続け、サーシャはため息をついた。
「自らの心がおかしくなっていってきていることに気づいていた陛下は、記憶に残っていたクリスティーナという女性に会えば、解消されるのではないかと考えておられた」
「脳の異常覚醒によってラプラスの悪魔と化していても、自らの心の崩壊については、未知数だったわけだな」
「大きな腫瘍に蝕まれていたのなら、波があった可能性もあるよね?」
ユーキと桐葉がそれぞれに一言発した。
「色々疑問なんだけど、そもそもそっちのバカ息子は、どうして急に軍の総統なんて地位についたの?」
真樹が尋ねる。
「元々奴隷解放と国の再建のために軍に潜り込んだわけだけれど、軍の中でも博士としての威光を崇拝している者は多く、ナベシマの直属の部下の1人だったクラバロウ・セリム・ブラストの心酔は大きく、それを利用することにしたんだ。更に、俺とリグーリアは兵卒として志願して、6年の歳月をかけて地道に登ったよ。途中でミスってこのざまだけどね」
サーシャは笑いながら両目を覆った眼帯に手をやった。
「私は運よく上官に気に入られ、上に上がっていった。上というのは、軍部の方ではなかったが、そちらのお嬢さんのお父上キンブリーどのだ。感謝している」
ソフィアと目が合って、リグーリアは少し悲しそうにうなだれた。
「リグーリアは文武両道で、要領がいいから実力を見出されただけだよ。言い忘れたけれど、俺とリグーリア、イリナは兄妹なんだ。俺が長男、リグーリアが弟で、更に下の妹がイリナ。リグーリアは見た目がこれだから、年齢が分かりにくいんだよねー」
ジロリとサーシャを睨むリグーリア。
「博士が何故総統に?」
話がずれていたのをリトがまた戻す。
「コンラッド・ナベシマを排除したことで、ナベシマを疎ましく思っていた者たちが一気に祭り上げたんだ」
「なるほどね」
サーシャの言葉に納得した様子のユーキは黙って一点を見つめていた。
「俺はもう一人の俺が異常に残忍な性格だったような気がしたんだが、気のせいだろうか? 話し方も最初に会った時はサーシャさんっぽかった。あのアルス・マグナで会った時は何か、残忍というより厳格な感じ?」
「確かに、無駄に残忍に振舞っていた気がするよ。一種の狂気に駆られてロクハラを消失させ、多くの兵と市民の命を一瞬にして奪ったことを、ひどく後悔していたんだ」
「頭がおかしくなってしまったと言って、泣いておられたこともあった」
「でも実は、陛下は首を落としたと思ってらっしゃったけれど、実は拡張現実と仮想現実を組み合わせた幻覚のようなものを見せていたんだ」
サーシャとリグーリアが補足し合うように交互に答えた。
「えっと、何だっけ? |SubstitutionalRealityじゃない?」
桐葉が耳慣れない単語を言った。
「何だそれ?」
ユーキがハテ? という顔をしている。
頭が良くなっても知らない単語は知らない。
「代替現実って言って、現実世界に一部仮想現実を混ぜ込むみたいなやつだね」
「何であんたそんなの知ってるの?」
馬鹿にしていたのか真樹が目を丸くしている。
「あー、アイドル業界で、ARとかMRとか、結構話は出てたりしたんだよね」
「エイアール? エムアール?」
更に耳慣れない言葉が出てきて、誰が口にしたのやら、あちこちから疑問符付きの単語が飛び交う。
「VR、ヴァーチャル・リアリティ、仮想現実は有名だけど、AugmentedReality、拡張現実、MixedReality、複合現実ってのもあってね。拡張現実っていうのはほら、ポケ○ンGOみたいなやつね。複合現実はVRとARの二つが混ざった感じ?」
流石人気アイドルユニットの事務所社長。
2.5次元アイドルともしのぎを削り合っていたらしく、天然と見せかけて案外詳しかった。
「色々とあることはわかった。大量殺りくを起こしてしまったことがあって、それ以降無自覚で誰も殺害しないようにしていたということか」
《おーい、聞こえるかい? みんなでちょっと船から降りて来てもらえるかな?》
アルの声がどこかのスピーカーから聞こえた。
ユーキ、ミシェル、リトが飛空挺から先に降り、桟橋を渡ると、松葉杖をついたヨースケは被りものを外した状態で、イオリは腕を吊った状態で、既にアルス・マグナの地表で待っていた。
飛空挺が停泊している場所は、円形の大穴の端から伸びた桟橋で、その大穴の大きさは、大型の飛空挺が数隻は停泊できるくらいはあった。
例の土星がてっぺんに乗ったような形の塔から少し離れた場所に、無人の近未来都市のような無機質な住宅地のようなビル群のような地域があり、かつてこの宙空都市を何者かが使っていたと思われる様子が窺えた。
桟橋から降り立って少し市街っぽい広場に出ると、公園のベンチのようなものにクリスが座っていて、その横には猛禽類の嘴が付いた杖を支えにしたもう一人のユーキが少ししんどそうに座り込んでいた。
「おー、王様の方か。生きてたんだなぁ。おもしれー! ホントに2人いらぁ」
ヨースケは一緒に歩いてきたユーキと、座り込んでいるユーキを交互に見た。
「ふっ、ヨースケ……。さらおうとしたりして悪かった。言い訳はあとでさせてくれ」
これまでの強気な雰囲気が、随分柔らかくなっていた。
「変な感じだな。まぁ、細かいことは気にすんな!」
ヨースケは相変わらずあっさりしている。
「それより、お前たち結婚したんだって?」
「えっ?!」
イオリの言葉に、ミシェル、リト、ユーキ、後から出てきた真樹、桐葉が一斉に驚きの声を上げた。
「ユーキ! そんな大事なこと何で母さんに言わなかったの?!」
「あー……。まさか母さんがいると思っていなかったんだ」
何だかやりづらそうなもう一人のユーキ。
「ラフィ……まさかあなたが…。駆け落ちやるならミシェルの方だと思ってたわ」
「え、そっち?」
ミシェルが桐葉に突っ込みを入れた。
「駆け落ちじゃないって!」
今度はクリスが真っ赤な顔で困っていた。
船から降りてきたばかりの方のユーキは複雑な気分だった。
そんなやりとりをしていると、アメノトリが遠い空の彼方から近づいてきた。
広場にアメノトリは水平着陸を行い、中から竜胆翁と車椅子のリゼットが降りて来た。
続いてイリナと、もう一人降りて来た。
降りて来た人物を見て、ユーキは目を見張った。
他の者も同様だったはずだ。
「ご機嫌いかがかな? 諸君」
歯車と革紐で装飾されたお洒落なシルクハットにモノクルを付けた、小粋な装いの老紳士。
燕尾服をはためかせ、口許には白い髭をたくわえていた。
眼光は深く鋭く、いつか時の坩堝で見た時、もしくは無名駅で見かけた時と変わらず、全てを見通しているような底知れない雰囲気を持っていた。
「まずは、自己紹介をしなければならないな。私の名は司馬龍人。肉体は植物状態であるがゆえに、正確にはその精神体というべきだが」
まず驚いていたのは真樹とユーキだった。
「どうりでわしのことも知っておるわけじゃな」
竜胆翁が笑う。
聞き慣れない名だったためか、リゼットは訝しげな目で老紳士を見ていた。
「ナベシマの仇敵で、わしらがいた世界での元国家元首じゃ。ナベシマに暗殺されかけて、植物状態だったんじゃ。それが何故ここにおるのかは知らんがの」
「幽子というものを御存じか? 原子や素粒子とはまた由来が異なる粒子の1つで、時を含む次元を通り抜ける性質を持つという」
「ずいぶんオカルトじみた話じゃの」
話が突飛過ぎて、誰も返答が出来ない。
竜胆翁だけが返事を返しているような状態だ。
「魂と呼ばれるものがあるとするならば、その幽子に分類される何らかの素粒子で構成されている、意識を保有するものだろう。つまり、私がそれを体現したような存在だ」
「それが何故、俺たちにちょっかいを出してくるんだ?」
ユーキが言葉を挟んだ。
「出来ることがあるならば、やってみたくなるのが人の性というものではないかね? 我が息子よ」
「俺には父親の記憶がない。しかし、この世界に来てから司馬龍人が父親なのだということは知った。今、ここであんたが現われた理由はいくつか思い当たる」
「ふむ。ならば問おう。人間の脳は普通その一割しか使われていないという。その約5割が覚醒していると思われる優樹。共にラプラスの悪魔と呼ばれる存在となったお前ならば、考えるまでもないだろう」
「アルさん。案内してくれ」
ユーキはアメノトリの操縦席に声をかけた。
「あ、ごめんね。私そっちじゃないよ。今準備してたとこ。ちょっと待ってね」
全く逆方向から声がして、ユーキの眉が片方上がった。
「ラプラスの悪魔って何だっけ?」
ミシェルとリトが首を傾げていた。
「因果律に基づいて未来の決定性を論じる時に仮想された超越的存在の概念で、全宇宙のあらゆる未来を物理学的な観点から確定的に知りえる存在じゃ」
「はぁ……」
竜胆翁の説明に、ミシェルが絶対分かってないだろうという生返事をした。
「まぁ、あらゆる情報を感じ取る事が出来て、知らないはずのことでも、何でも推測して分かってしまう存在と言ったらいいかの」
「準備出来た。今から転送するよー」
アルがワンドのようなものを地面に立てると、周囲の景色が変わった。
またあの、ドームのような場所だった。
中央の台座が一部凍り付き、その箇所も欠落して亀裂があちこちに発生している状態だった。
「あー。俺ら、水に流されてここに迷いこんだわ」
ヨースケが言った。
「みんな一度はここに来たことがある感じかしら?」
桐葉が言ったが、リゼット、リト、ソフィアは首を横に振っていた。
「俺も初めてここに来た」
意外にももう一人のユーキも初めて来たようだった。
「1つに戻さなければならないものがある。転移によって分かれた三つのものをここへ」
老紳士が台座下に見える階段を指して言った。
「階段の奥に何かあるのか?」
「あっ、これか?」
ヨースケがサーテジェイブを懐から出した。
2人のユーキもそれぞれサーテジェイブを取り出した。
ふらついたもう一人のユーキの肩を、クリスが支える。
ヨースケは松葉杖では降りれなさそうだったので、ユーキにサーテジェイブを放った。
「あたし行くよ」
放られたサーテジェイブをキャッチしたのはミシェルだった。
ブルッと肩を震わせると、ユーキにつかまりながら降りて行った。
「怖いのか?」
「寒いだけ!」
ユーキが訊くと、意固地になってそう言った。
ユーキは羽織っていたマントコートをミシェルにかぶせた。
4人が階段を下りていくと、老紳士がステッキを使って台座を中心に大きな円を描いた。
地面に線を描いているわけではなく、ステッキの軌跡が淡く線になって輝いている感じだ。
四重くらいの円で、いくつかの仕切りが入り、何やら文字のようなものを書き込んでいっている。
要は魔法陣だ。
「やっぱり魔法使いだったんだ」
リトが呟いた。
「魔法とは、未知なるものを指して言うことが多い。少年よ。宇宙には魔法としか思えない真理の法則がごまんと存在することを忘れないでおきなさい」
老紳士がそう囁いた頃、2人のユーキと双子は、三つの窪みがある扉のような場所の前にいた。
「何で三つあるんだろうって思ってはいたんだ」
ユーキが言って、1つ目を嵌めた。
ミシェルもそれに続いて2つ目を嵌める。
「これを嵌めることで何が起きるのか、今の俺には想像することが出来ない」
そう言うと、もう一人のユーキがクリスに支えられながら、最後の1つを嵌めた。
そのタイミングで、頭上の台座付近では老紳士が魔法陣をステッキの先で触れた。
その時だった。前回は濃密な空間の壁のようなものが出現したが、今回は一気に吸い込まれた。




