25、我慢
25、我慢
人は何かを得るために、何かを失うのかもしれない。
強くなるために、失う物は意外と多かった。
まずは時間だ。莉奈や智樹と過ごす時間は極限に少なくなった。そして自由。この丸4日、城の外に出ていない。さらには……自信。
自分の力量が見えてくると、自分の弱さを嫌と言うほど思い知らされる。自分自身が見えれば見えるほど、えも言われぬ不安が襲って来る。
不安だ……。
今さらこんな事をしていて意味があるのか?俺が負けたら莉奈はどうなる?この世界はどうなる?
夜になり、気分転換に中庭に出た。すると、誰もいない廊下に人影を見た。
莉奈……?
どこへ行くんだ?俺は莉奈の姿を追った。着いた先は莉奈の部屋だった。そこで莉奈は荷造りをしていた。
「どこへ行くつもりや?」
「ラル!ちゃんとノックしてよ!」
最近の莉奈は空腹でイライラしていた。
「イグニス。トパーズの研究所に魂の代わりになるものがあるかもしれないんだって!」
「それ、ホンマなんか?」
「なんか、モルスのヴィトロに入った水を遠心分離機にかけて、その一部だけを抽出すれば……あ、当然中の人は無事なんだけど……」
莉奈は何だか嬉しそうに話していた。しかし……悠希が迎えに来るかもしれないこの状況で1人で行かせる訳にはいかない。でも、俺は稽古があるし……
「もう少し我慢できんか?もう少し!あと少しなんや」
何より、俺はどこかトパーズを信じられない所がある。あれでも茜の魂の一部だ。
「もう少しって……いつまで?いつまで私はここに隠れていればいいの?」
「でも、今お前が捕まったら……」
「世界が終わる?ラルは世界と私、どっちが大事なの?」
嫌な感じだ……。茜の時の事を思い出した。
茜もこうやって、どうにもならない事を俺に当たり散らしていた。
そんな事を考えていると、莉奈は俺の腰についていた採集用の小刀を抜いて、自分の胸を突き刺した。
「止めろ!何やってんだ!!」
それはヤバいだろ!俺は慌てて回復呪文をかけようと唱え始めたが、莉奈に止められた。
かろうじてHPゲージは減っていない。
……減ってない?これだけ出血していて?
「落ち着け。少し落ち着こう」
そう言って、俺は莉奈を抱え、中庭に続く廊下に腰を下ろした。すると、莉奈は俺の胸に頭をつけて、震えた声で言った。
「こんな事をしても、HPゲージは少しも減らない。でも、こうすれば痛みで……気が紛れる……」
「これは…………」
思わず言葉を失った。
莉奈は太腿や腹、あらゆる場所につけた傷を俺に見せた。その傷はどれもかすり傷のような浅いものではなかった。
その傷を見て……愕然とした。
「どんなに痛くても、苦しくても、それでもHPゲージは減らないのに……お腹は減る」
俺の知らない所で、今までそうやって我慢してきたのか?それを俺は……これ以上我慢しろと簡単に言った……。
…………最低だ。
「私、もう人間じゃ無いみたい。もう…………これ以上は嫌。これ以上は無理。これ以上我慢するなら、今ここで殺して。殺してよ……ねぇ……」
俺は何も知らなかった。俺が強さと引き換えに失った、最も大事ものは…………莉奈の心だった。
その顔に以前のような笑顔は少しも見られなかった。
「HPゲージ減らんのに、どうやって殺せって言うんや?」
「何度も何度も刺して、痛みで私が何もわからなくなるくらいにして……」
俺は莉奈を強く抱きしめた。自分の不甲斐なさと、弱さと、後悔と悔しさで、強く強く抱きしめた。
「ごめん……ごめんな莉奈……やっぱり、あの時クローゼットから出すんや無かった」
あの時、ずっとしまっておけば良かった。あの時、この手を離さなければ……死の国からもっと早く助けに行きさえすれば……
今さら、後悔ばかりだった。
もっとレベルを上げておけばよかったとか、真面目にスキル上げておけばよかったとか…………
莉奈が器になってしまった今では、いくら後悔しても遅い……。
「謝らないでよ……ラル……回復してあげる……」
そう言ってキスをしても、莉奈は満たされない。
いくら俺が回復しても、莉奈のその減らないHPゲージが…………少しも満たされる事はなかった。
「ラル……泣いてるの?」
泣いていても、根本的解決にはならない。それはわかってる。だけど…………
どうしようもない波に飲み込まれて、追い込まれた。
何だか……心がちぎれそうだった。
どんなにレベルを上げても、稽古をしても、俺は少しも強くなってない。
弱い……弱く愚かで醜い。
「ごめんね、ラル。私、全然我慢できなくて……ラルは凄く頑張ってるのに……それなのに、当たったりして……ごめんね」
下を向いて泣いている俺の頭を、莉奈は優しく撫でた。
白いもふもふの、ガイドのエメラルドになっていた時の事を思い出した。その時は、莉奈の事も、この世界の事も、大嫌いだった。それなのに、その大嫌いだったものを今は何が何でも守りたい。そう思う……。
「ラル……大好きだよ」
その手で撫でられると、何でも許せてしまう気がする。その声で名前を呼ばれると、何でもできてしまう気がする。
「俺もや……俺も、大好きや!」
その後すぐに、イグニスへ行った。イグニスにある、トパーズの研究所へ。
俺は最後までトパーズの研究所には賛成できなかった。だが……莉奈の苦しみが少しでも和らぐなら……
人は極限状態になると、危険だとわかっていても手を出してしまう。曖昧で確証の無い物にでさえ、すがりついてしまう。
トパーズの研究所の前には、多くの人が押しかけていた。
「モルスのヴィトロを持っているんだろ?出せよ!」
「トパーズ様、どうか私達にモルスのヴィトロをお恵みください!」
「空のモルスのヴィトロはもうありません!もう帰ってください!!」
外にでていたトパーズは、人々に囲まれて困っていた。
「もうやめてください!」
そう叫んだのは、莉奈だった。
「世界は終わりません。私が絶対に終わらせません!」
そう言うと、人々が自然と莉奈に道を開けた。
「莉奈さん!エメラルド様!来てくれたんですね!どうぞ中へ!」
俺達が中へ入ると、研究所は散らかっていた。相変わらずトパーズは忙しく動いていた。トパーズはお茶を入れながら、俺達にこの世界の情勢を話して聞かせた。
「先日のアンデッド大量発生で人々が不安になりだして、多くの人がモルスのヴィトロを求めるようになりました」
ヌーベスに物資が行き渡らない事、各地でモルスのヴィトロを求め暴動が起きている事。
「モルスのヴィトロにも数に限りがあります。当然、この世界の全ての人を救えるほどありません」
「じゃあ……やっぱり……私が死ぬしか……でも、何をやっても死ねない」
「死ねない……?器になった者は死ねないのですか?」
トパーズは何やらカルテのような物にメモっていた。これも『purus aqua』の研究だろうか?
それにしても、この世界を救う方法が何かあるのか?
「このまま私が逃げ続けて魂を飲まなければ、世界は救えるんだよね?」
「おそらくは…………しかし、今まで聞いた事はありません。器が空のままどうなったか、どこにも記述がありません」
結局、莉奈を救う方法は誰も知らない。普通ならこの空腹に耐えられず、集めたモルスのヴィトロの魂を飲み干すのが普通らしい。
「このまま……餓死するしかないのかな?それなら死ねるのかな?」
「何死にたがってんねん!死ぬって事は俺と離れるって事やぞ!?」
「離れたって大丈夫だよ。私、ずっとラルの事が好きだもん」
なんだよそれ…………
そうやって、自分だけ先にさっさと覚悟決めやがって……
「だって私さえいなければ、誰も傷つかないし、誰も苦しまない……」
「誰も…………?俺は?その中に俺も入っとる?そら間違いや!俺は莉奈がいなくなれば傷つくし、苦しむ!」
すると、莉奈は困った笑顔で言った。
「…………ありがとう。ラル」




