第26話 密林の穏者
密林フィールド。
地下41階~45階に存在するフィールドは、迷宮の探索を行う冒険者たちの中でも本当に限られた者だけが探索を行う。特に地下45階は、ボスがいることもあって遠ざけられている。
人の少ない階層。もっぱらシルビアの訓練階層として利用されていた。
「お、やっているな」
イリスの様子を確認した後で地下45階を訪れると動き回る気配だけが伝わってくる。
戦闘をしているのにひどく静かな空間。
決して気を抜いていた訳ではない。
「うおっ!?」
しかし、眼前をナイフが飛んで行くことに直前まで気付くことができなかった。
咄嗟に身を反らすことでナイフをやり過ごせた。
「ご主人様!?」
ナイフを投げた張本人であるシルビアが駆け寄ってくる。
「ちょっと休憩にしようか」
ナイフの飛んで行った方向からシルビアとは別人の声が聞こえる。
ただし、分かるのは方向だけ。どれだけ離れた場所から声が放たれているのか、捉えることができない。今も接近しているはずなんだけど、見失いそうになるほど気配が希薄だ。
姿を現したのは茶褐色の肌をした長身の女性。肌にピッタリと張り付いた緑色の独特な服を着ており、手にはナイフが握られている。エルフのように尖った耳をしており、金色の瞳は彼女の姿を見る者に畏れを抱かせる。ただし、迷宮主である俺には通用しないし、もう何度か顔を合わせているおかげで慣れた。
彼女は地下45階の管理を任されている魔物。人間、もしくはエルフのようにしか見えないが特殊な木精だ。
自然に生まれ、自然の中で生きる彼女は森に溶け込んでいる。
「邪魔しちゃったようで悪いな」
「邪魔だなんて、そんなことはないですよ」
「ええ、朝から訓練を続けていたせいでシルビアの集中力も切れてきたところです。ちょうどいいタイミングだったと言えるでしょう」
ワタワタと手を振りながら否定するシルビア。
対してドライアドは冷静に状況を説明してくれた。
「朝からって……随分と長くやっているな」
もう3時間以上は続けていることになる。
「私が無理を言って付き合ってもらった。しばらく相手をしてもらっていなかったから体が鈍ってしまったんだ。私が本気で体を動かすなら相手はシルビアぐらいしかいないから」
「ちょうどいい。二人の訓練の様子を見させてくれ」
「あまり見ていて楽しいものではないですよ」
「それでも構わない。今日は、それぞれ迷宮の魔物を相手に訓練しているみたいだし全員の様子を見ていくことにするよ」
シルビアとドライアドの訓練については話になら聞いたことがあった。
ただし、今まで機会がなくて見ることは叶わなかった。
離れた場所にある樹を背にして立つと対峙する二人を見る。
「ルールはどうする?」
「いつも通りで構わないでしょう」
「じゃ、どっちから?」
「わたしが捕らえます」
二人の間で条件の擦り合わせが行われる。
ドライアドの方も了承すると自然な動作で姿を消す。
「え……」
姿が消えるまで消えようとしていることに全く気付けなかった。
姿を消すなら2種類の方法がある。素早く動くことで相手に知覚させることなく消える方法と幻覚を見せて惑わせることによって姿を消す方法。
ドライアドが行ったのは、その両方。
素早く森の景色に姿だけでなく気配まで溶け込ませることによって消える。
「さすがは隠れることに特化した魔物」
森の中限定ではあるが、彼女の存在を感知できる者は限られる。
それが、穏者の木精。
「けど、このままだとつまらないな」
逃げる穏者の木精の位置が分からない。
そこで迷宮の地図を起動させる。二人の位置が表示されて分かりやすくなった。
「お、シルビアも負けていないな」
完全に隠れながら周囲を移動する穏者の木精。その気配を完全に捉えられているのかシルビアが目で追っていた。
ヒュン!
風切り音だけを響かせてシルビアの手からナイフが投げられる。
投げられた先にいるのは穏者の木精。
手にしていたナイフで投げられたナイフが落とされる音が響く。正確に投げられたナイフだったが当たらなかった。
それで諦めないシルビア。
地を蹴って飛び出すと穏者の木精へと迫り、手を伸ばす。
ナイフを投げたのは、そこにいるという確信を得る為。そして、ナイフによって弾かれた以上はそこにいるのは確実。
シルビアの伸ばした手が空を切る。
「さすがだね。躊躇うことなく私の首へナイフを投げたよ。防がなかったら首に刺さっていたよ」
森の奥から穏者の木精の声だけが聞こえる。
シルビアはナイフで防御しなければならない攻撃をしていた。
「必ず防いでくれると信じていましたから」
「どうした? 普段は、そんなにえげつない攻撃はしてこないじゃないか」
「本気でやるよう言ったのはドライアドさんの方ですよ」
「……違うね。主が見ている前だから張り切っているのか?」
「……!」
シルビアの手から3本のナイフが同時に放たれる。
しかし、動揺している中で放ったせいかナイフは穏者の木精に当たることなく木に突き刺さる。
「図星みたいだね。そんなに動揺した状態で私を捕らえられるのかい?」
「それ以上余計な事を言う前に捕まえます」
シルビアが森の奥へ向かって駆ける。
それを見て穏者の木精も森の奥へと後ろ向きのまま逃げ出した。
二人がしている訓練は、簡単に言うなら『鬼ごっこ』。どちらかが鬼となって、相手へ触れることができれば勝ち。
今は鬼になったシルビアが穏者の木精を捕らえようとしている。指先だけでもいいから触れることができればシルビアの勝利扱いになるらしいが、穏者の木精のフィールドとも言える森の中で彼女に触れるのは至難と言っていい。
「二人ともどういう動き方をしているんだ」
近くで戦っていた頃は地面の草を踏みしめる音が聞こえていた。
ところが、離れてしまった今となっては相手の投げたナイフを落とす音とナイフを交錯させる金属の音ぐらいしか聞こえない。
気配を完全に絶った者同士の鬼ごっこ。
逃げる穏者の木精は、鬼に気配を捕らえられないようにしている。
逆にシルビアは、穏者の木精の知覚から逃れられた隙を突いて触れるつもりでいる。
「……どこにいるんだ?」
鬱蒼と生い茂った密林。
既に二人の姿は見える範囲になかった。
今は地図だけが頼りだ。
「あ……」
二人を表示する点が重なる。
シルビアが穏者の木精を捕らえることに成功したということだ。
「いやぁ、参った」
しばらくすると穏者の木精が戻って来た。
森の中を駆けていたはずなんだけど、体には汚れすらついていなかった。
「つい楽しくなって目の前の戦闘に集中していたら大きな木を迂回して戻って来たナイフに気付かなかったよ」
「穏者の木精さんの方こそ、いつも以上に気配の消し方が巧妙でしたよ。そっちこそ張り切っているんじゃないですか?」
「ま、私たちが本気で戦うことなんてないからね。自分の実力を改めて主に見せられる瞬間っていうのは嬉しいものだよ」
笑い合いながら歩いている二人。
どちらの攻撃も相手の急所を狙ったもので、防ぐことに失敗していれば致命傷になっていたかもしれない攻撃。そんな攻撃を交わし合った間だというのに、そんな様子など感じさせないほど自然な様子だ。
穏者の木精の姿が人間に近いこともあって若い女性の友達同士が談笑しているだけにしか見えない。
「これが私たちの訓練だよ」
「どうでした?」
そう尋ねられても困る。
「二人とも速過ぎて何があったのか分からなかった」
おまけに気配が希薄過ぎて姿を捉えることもできなかった。
これは、シルビアが「見ていて楽しいものではない」と言った理由が分かった。
「じゃ、続きといこうか」
「ええ」
攻守を交代してシルビアが逃げ、穏者の木精が追う。
これを何度も繰り返すのが彼女たちなりの訓練らしい。
「――ごめん。俺は下の方を見て来ることにするよ」




