表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
5/13

第五話 送り出す父


 俺の名は大帯日子淤斯呂和気おおたらしひこおしろわけ。十二代目の王。

 息子が——怖い。

 双子が生まれた。

 兄を大碓おおうす。弟を小碓おうす。——同じ日に生まれた。同じ母から。しかし——最初から違った。

 大碓おおうすは泣いた。大きな声で。元気な子だった。——普通の子だった。

 小碓おうすは——泣かなかった。

 生まれて、目を開けて、俺を見た。——生まれたばかりの赤子が、父を見た。見る、というより——測る目だった。あの目を昔の帳簿で読んだことがある。初代の長男・多芸志美美たぎしみみの目。何かを測る目。

 嫌な予感がした。——生まれた日に。

 小碓おうすは——大きくなった。速く。

 歩くのが早かった。喋るのが早かった。走るのが早かった。——何でも速い子だった。兄の大碓おおうすより先に歩き、先に喋り、先に走った。

 弟が兄を追い越す。——それだけなら珍しくない。問題は速さだった。追い越し方が速すぎた。兄が一歩歩く間に三歩走る。兄が一言喋る間に十言喋る。——速い。何もかもが速い。

 止まらない子だった。

 座っていない。常に動いている。走っている。木に登っている。石を投げている。——止まれない。体が止まることを知らない。

「あの子は——止まれない子です」

 母が言った。——心配の声で。

「止まらなくていい。——走っているうちは、ましだ」

 俺は——そう答えた。走っているうちは。走っている子供は、ただの元気な子供だ。——止まったときに何をするかが怖い。

 十五の年だった。

 大碓おおうすが——飯の席に来なくなった。

 朝の飯。夕の飯。王の家では一緒に食う。——大碓おおうすが来ない。三日続けて来なかった。

 小碓おうすに言った。

「兄が飯に来ない。——お前、声をかけてこい。一緒に食おうと」

「分かった」

 それだけだった。——「分かった」と言って、走っていった。いつも通り。速く。

 翌朝。大碓おおうすが来なかった。——小碓おうすは来た。一人で。何事もない顔で飯を食っていた。

「兄は」

「教えた」

「教えた?」

「朝の飯に来いと教えた」

「教えたのに来ていないが」

「来られない」

「なぜだ」

「壊したから」

「…………」

「朝、かわやに入るところを待っていた。出てきたところを掴んだ。——教えた。飯に来いと。力を入れすぎた」

「力を入れすぎた——とは」

「壊れた。——兄が。こもに包んで捨てた」

 飯を食いながら言った。——飯を食う手が止まらなかった。はしを動かしながら、兄を殺したことを報告した。

 怖かった。

 息子が怖かった。——十五歳の子供が、兄を素手で殺して、飯を食いながら報告している。手が震えていない。声が震えていない。——何も震えていない。

 震えるべきだ。人を殺したなら。兄を殺したなら。——震えるのが人だ。

 震えていない。

 この子は——止まれないだけではない。震えない。止まることも震えることも知らない。走るだけだ。走って、ぶつかって、壊して、走り続ける。

 怖い。——俺は王だ。王が息子を怖がっている。

 怖いものは——遠ざける。遠ざけるには——送り出すしかない。

 西にクマソがいる。——熊曾建くまそたける。西の国の豪族。王に従わない者。従わせる必要がある。兵を送る必要がある。

 兵を——送るのではない。息子を送る。

小碓おうす

「何だ」

「西に行け。——クマソを討て」

「…………」

「お前の力を使え。——ここではなく、西で」

 ここではなく。——ここでは使わせられない。ここで使えば——俺が壊される。宮が壊される。国が壊される。

 西で使え。遠くで。——俺の目の届かないところで。

「兵は」

「少しだけつける。——多くは要らないだろう。お前の力なら」

「…………」

「行けるか」

「行ける。——走ればいい」

 走ればいい。——この子は走ることしか知らない。走る場所を与えれば走る。走っている間は——ここにいない。ここにいなければ——怖くない。

 小碓おうすが——出て行った。西に向かって。走って。

 速かった。——振り返らなかった。走る子供は振り返らない。前しか見ていない。

 見送った。——宮の前で。

 初代の王は——息子を心配しながら戦に送り出したと帳簿にある。多芸志美美たぎしみみに船を任せ、物見を任せ、背中を見ていたと。

 俺は違う。

 俺は——息子を恐れて送り出した。心配ではなく恐怖で。「行ってこい」ではなく「行ってくれ」で。

 父が息子を恐れて遠ざける。——これが俺の治め方だ。初代の王とは違う。初代は聞こえる王だった。息子の心を聞こうとした。聞こえなかったが——聞こうとした。

 俺は聞こうとしなかった。怖くて聞けなかった。——飯を食いながら兄を殺す子供の心を聞く耳が、俺にはなかった。

 小碓おうすが走っていった西の方角を——見ていた。

 あの子は帰ってくる。——たぶん。クマソを殺して帰ってくる。帰ってきたら——次はどこに送る。東か。北か。——どこか遠くに。ずっと遠くに。

 帰ってくるたびに送り出す。——帰らせないために。

 ひどい父だ。——分かっている。

 分かっていてやる。王だから。国を守るために。国を——あの子から。

 走っていく背中が小さくなった。——速い。小さくなるのが速い。

 あの速さは——誰の血だろう。俺の血ではない。母の血でもない。——もっと古い血だ。初代の兄にいたという。声がでかくて前に出たがる兄。あの血が——十二代を経て、こんな形で出たのかもしれない。

 走ることしか知らない子供。——止まることも、震えることも、帰ることも知らない子供。

 その子供に——名前がつく。西で。敵の口から。

 日本武尊やまとたけるのみこと

 ——まだ知らない。俺も、あの子も。あの名前を、まだ。

〈第五話・了〉


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ