第25話②「思考と行動の探索」
その頃、レジスタンス本部。
ユナが使っていた部屋で、カイは壁一面の本棚を見上げていた。
並んでいるのは、ざっと四百冊。
そのほとんどが哲学書だ。
「……これ、全部読むとして、どこから手を付けりゃいいんだ」
シン統治システムに頼らず、自らの力で真実へ辿り着く方法を探していたユナ。
彼女が何を考え、何を求めていたのか。
それを知るため、ここにある本をすべて読むと決めた。
とはいえ、四百冊。
さすがのカイも途方に暮れる。
部屋を見渡したとき、机の上に置かれた端末が目に入った。
「何か、ヒントとかねえかな」
椅子に座り、端末を立ち上げる。
表示されたのはパスワード入力画面だった。
「パスワードか……なんだ?」
ユナなら何にするか。
思いつくものを片っ端から入力していく。
《ANALOGMINDCAFE》
――パスワードが違います。
《PICO》
《COFFEE》
《TRUTH》
《BOARDGAME》
すべて外れ。
「雑な性格のあいつのことだから、複雑なパスワードにはしない。絶対、単純なはずだ」
そこだけは妙な確信があった。
そして、ふと思いつく。
「もしかして……」
《KAI》
――ロック解除。
「……単純すぎだろ」
カイは苦笑した。
デスクトップには、《蔵書リスト》というファイルがある。
「あった……!」
開いてみると、まさに探していたものだった。
本棚にある書籍が、
《読破済み》
《途中まで》
《積読》
に分類されている。
さらに《読破済み》の中には、赤字で《必読!》と書かれた本まであった。
カイはその一冊、マルティン・ブーバーの『我と汝』を本棚から抜き取る。
ページを開くと、何度も読み返した跡と大量の付箋が残されていた。
「まずは、“必読”からだな」
本を手にしたまま、カイは壁一面の蔵書を見上げる。
「ユナ。おまえが求めていた真実に、俺も辿り着いてみせるよ」
四百冊という途方もない道のり。
それでも今のカイには、不思議と遠く感じなかった。
***
その頃、《Analog Mind Café》。
焙煎の違いによる飲み比べを終えたユカとソウタを前に、ピコが尋ねる。
「改めて、どうでした? 焙煎の違いは?」
ユカはもう一度、三つのグラスを見比べた。
中煎りは、少し甘くて軽い。
深煎り寄りは、香ばしくて落ち着く。
深煎りは、煙のように重くて苦い。
「うん、すごかった!」
隣でソウタも頷く。
「ほんと、別物なんだね」
ユカは感心しながら深煎りのグラスを眺めた。
「しかも、それをユナお姉ちゃんは、人それぞれで作り分けてたんだよね……ほんと、すごすぎだよ」
「しかもユナは、それを“大変な作業”だとは思っていませんでした」
ピコの言葉に、ユカが顔を上げる。
「心の底から、楽しんでいました」
「……そっか」
ユカは店内の壁へ目を向けた。
飾られている写真。
カイの隣で、満面の笑みでピースをしているユナ。
「やっぱり、楽しむ者が最強なんだ」
写真を見ているうちに、ユカの頭へ光景が浮かんでくる。
このカフェで。
笑いながら。
夢中になって豆を焙煎するユナの姿。
「なんか、ユナお姉ちゃんが焙煎してるところ、想像できそう」
「実際、すごかったですよ」
そう言って、ピコは当時のことを語り始めた。
***
もくもくもく……!!
店内を大量の煙が埋め尽くす。
換気扇が全力で唸る中、ユナは満面の笑みでフライパンを振っていた。
シャカシャカシャカッ!!
「ユナ! もう二ハゼを過ぎています!」
チリチリチリッ――!!
「これ以上やると炭になります!!」
それでもユナは止めない。
「まだよ!!」
目をギラリと輝かせ、フライパンを振り続ける。
「私は……深煎りの限界を超える!!」
そして高々とフライパンを掲げた。
「そして――私が、コーヒーの神になる!!」
「なぜ、そこまで!?」
ユナはニッと笑い、ピコへ指を突きつける。
「決まってるでしょ!」
煙の中で、無駄に爽やかな笑顔。
「愛するカイのためよ!!」
「わーっ!! ユナ! 目を離しちゃダメです!!」
「わわっ!?」
慌ててフライパンへ視線を戻す。
「もう! ピコが変なこと聞くからぁ!」
豆をザルへあけた瞬間――
ぶわぁぁっ!!
大量のチャフが宙を舞った。
「うわぁぁっ!! またチャフが!!」
「あははははっ!!」
煙。
舞い散る薄皮。
騒がしい声。
それでもそこには、確かに楽しい時間が流れていた。
もう失われてしまった、ユナとの時間が。
***
話を聞き終えたソウタが笑う。
「あはは、すごいね」
ユカも小さく笑った。
その表情を見て、ソウタが首をかしげる。
「どうしたの?」
「んーん」
ユカは並んだ三つのグラスを見つめる。
「たぶん、ユナお姉ちゃん――こういう時間、すっごく好きだったんだろうなって」
煙まみれになって。
笑って。
失敗して。
誰かの好みを考えて。
完成したコーヒーだけじゃない。
そこへ辿り着くまでの時間ごと、ユナは楽しんでいたのだ。
ソウタも少し目を細めた。
「……そうだね。きっと、そうだったと思う」
ユカは深煎りのグラスを持ち上げた。
黒に近い色。
苦くて、重くて、それでもどこか温かい香り。
「私――それ、継いでいきたいなって思っちゃった」
ソウタは、どこか安心したように頷いた。
「それは、すごくいいことだと思う。たぶん、ユナさんも喜ぶんじゃないかな」
「……ありがと」
少し照れくさそうに笑ったユカは、すぐにいつもの調子を取り戻す。
「よーし! これでカイに飲んでもらうコーヒーも完成したし!」
ぐっと拳を握る。
「《Analog Mind Café》、再開だね!」
その瞬間。
「はぁっ!?」
ピコが信じられないものを見るような顔をした。
ユカとソウタが同時に固まる。
「えっ?」
「えっ?」
ピコはバンッと作業台を叩いた。
「豆と焙煎だけで満足しないでください!!」
ユカが思わずのけぞる。
「うわっ、圧が強い!」
「先ほども説明しましたが、コーヒーの味を決める要素は焙煎だけではありません!」
ピコが次々と挙げていく。
「挽き方! 抽出時間! 湯温! 蒸らし時間! 注湯速度!」
「増えたぁっ!?」
ソウタも顔を引きつらせる。
「なんか項目がどんどん増殖してるよ!?」
「これらすべてのマトリクスを検証し、最適解へ到達するまで――」
嫌な予感に、ユカの顔が青ざめる。
「まさか……」
「今夜は徹夜です」
「ええぇぇぇぇぇーーーっ!?!?」
ソウタが悲鳴を上げる。
「そんな! ブラックすぎるよ!」
ピコは得意げに答えた。
「コーヒーですから、ブラックなのは当然です」
「うまいこと言った顔してる!?」
「そこ、決めるところじゃないから!」
「っていうか、少しくらい寝かせてよぉ!!」
「大丈夫です。コーヒーを飲めば、眠くなりませんから!」
「カフェインに頼りすぎでしょ!?」
「その理論、絶対どこかで破綻するよ!?」
わちゃわちゃ、ぎゃーぎゃー。
騒がしい声が、静かだったカフェへ戻っていく。
煙の残る店内。
並んだショットグラス。
絶えない笑い声。
まるで――
ユナが、そこへ帰ってきたみたいだった。
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