第24話③「ユナが求めた真実」
ユカがコンロへ火をつける。
青い炎が、フライパンの底を舐めた。
「火はどのくらい?」
「中火です。温度でいうと、150〜180℃くらいから開始します」
「へぇー……」
ソウタがフライパンを覗き込む。
「熱しすぎると、外側だけ焦げて、中が生焼けになりますので」
「コーヒーなのに生焼けとかあるんだ……」
ユカは袋を抱え、そのまま勢いよく豆を投入しようとする。
ザザーッ――
「多すぎです」
ピタッ。
「えっ」
「そんなに入れてはいけません。量は少なめです」
「えぇー!? 大盛りは正義じゃないの!?」
「多いと、熱の伝わり方にムラが出ます」
ピコはフライパンを指差す。
「目安は、底がギリギリ埋まる程度です」
「ユカちゃん、ラーメン屋みたいな感覚で入れようとしてたね……」
ソウタが苦笑する。
「いやでも、いっぱい作った方がお得感あるじゃん!」
「失敗して全部無駄になる方が、圧倒的に損です」
「ぐうっ……正論……!」
ユカは渋々、量を減らした。
コロコロと、生豆がフライパンの上へ広がっていく。
「では、始めます」
ピコの声が少しだけ真剣になる。
「ここからが最重要です」
「おお……!」
「とにかく動かしてください。絶対に止めないでください。ひたすら振って、混ぜ続けてください」
「指示が雑! て言うか、急に根性論!?」
「止まると即焦げます」
「怖っ!!」
「焙煎は、“均一に熱を与え続ける作業”です」
「わ、わかった……!」
ユカは両手でフライパンを掴み、必死に振り始める。
シャカッ、シャカッ――。
木べらで混ぜる。
また振る。
さらに混ぜる。
数分後。
緑色だった豆が、少しずつ黄色味を帯び始めた。
「あっ! 色変わってきた!」
「ほんとだ。なんか、とうもろこしみたいな色」
ソウタも興味深そうに覗き込む。
「水分が抜け始めています。ここから香りも変わりますよ」
青っぽかった匂いが、少しずつ香ばしさへ変わっていく。
「おおー……なんか急に“コーヒー感”出てきた!」
だが、その頃には――
「ぬおおおお……」
ユカの額から汗が流れ、腕がぷるぷると震えていた。
「重っ……! 地味に重い、これ……!」
「まだ序盤です」
「嘘でしょ!?」
シャカシャカシャカ――!!
「ソウタ! 交代ぃぃ!!」
「オッケー!」
フライパンを受け取ったソウタは、意外にもリズムよく軽やかに振り始めた。
シャッ、シャッ――。
「おお……なんか上手い」
「時々、食堂で炒飯作ってるからかな?」
「焙煎と炒飯って同じカテゴリなの!?」
「フライパン技術としては、わりと近いです」
「マジか……」
ユカは汗を拭きながら、器用にフライパンを振るソウタを眺める。
「思った以上に大変だねー……」
「フライパン焙煎は、わりと体力勝負と言われています」
「なんか……職人って感じしてきた」
「あはは……」
ソウタが照れたように笑う。
シャカッ、シャカッ――。
一定のリズムで揺れるフライパンから、少しずつ香ばしい匂いが立ち上り始めていた。
***
レジスタンス本部。
廊下を歩いていたサクラが、一つの扉の前で足を止めた。
「ここよ」
上着のポケットからカードキーを取り出し、カイに渡す。
ここが、ユナの部屋――。
レジスタンスの一員としてのユナ。
自分が知らなかった、もうひとつの顔。
ユナがいなくなったあとで、彼女の知らない一面に触れることになるとは思わなかった。
カードキーをかざす。
電子音とともにロックが外れ、カイはゆっくりとドアを開けた。
「……!」
部屋から、懐かしい匂いがした。
ほんのわずかに残る、ユナの匂い。
カイは思わず目を閉じる。
胸の奥が強く揺さぶられる。
やがて目を開け、部屋を見渡した。
室内は驚くほど簡素だった。
ベッドと机と椅子。
そして、ひときわ目を引くものがある。
壁一面を覆う巨大な本棚。
そこには大量の本が、ぎっしりと詰め込まれていた。
「これは……」
カイが本棚へ近づく。
「すごいでしょ。全部、哲学書よ」
「哲学書? あいつ、そんなの読んでるなんてひと言も……」
あらためて背表紙を追う。
パスカルの『パンセ』。
マルティン・ブーバーの『我と汝』。
キルケゴールの『死に至る病』。
見渡す限り、哲学書ばかりだった。
「意外だった? ユナのこと、ただのカフェオタク、ボードゲームオタクだと思ってた?」
「いや、そう言えば……」
カイは、ふとある出来事を思い出した。
***
《Analog Mind Café》。
カイとユナは、チェスの途中だった。
「コーヒー淹れてくるから、私の番も動かしといて!」
カウンターへ向かうユナに、カイが盤面を見ながら声を飛ばす。
「俺から見て左手前を原点にして、ナイトをX軸5、Y軸3に置くぞ」
「そこ来たかぁ。じゃあ私はビショップ。X軸2、Y軸4に動かして」
「……盤面見てないのに分かるのかよ」
「だって、全部覚えてるもん」
カイは言われた通り駒を動かす。
「でも、こういうときX軸Y軸って便利だよな」
豆を挽きながら、ユナが答える。
「それ考えたの、デカルトだよ」
「デカルト?」
「そう、哲学者の。座標の考え方のもとを作ったの」
「哲学者なのに数学もやるのかよ」
「ふふっ。面白いでしょ? まあ、チェスは普通e3とか言うんだけどね」
「そうなのか……」
カイは盤面を見て、次の手を考える。
「て言うか、俺、相当追い込まれてないか?」
「おそっ! 今ごろ気づいたの? あと二手でチェックメイトだよ」
ユナは得意気に笑った。
***
あのときは、ユナの妙な雑学程度にしか思わなかった。
だが、この本棚を見て、ようやくつながった気がした。
「しかし、なんだって、こんなに哲学書を読んでたんだ?」
「ユナはシン統治システムを使わずに、真実へ辿り着く方法を探していたの」
「……!」
「その答えを、哲学に求めていた」
ユナが残した言葉がよみがえる。
《自分だけの“真実”をずっと求め続けて》
そうだ。
ユナはずっと、真実へ辿り着く方法を探していた。
そして、その続きをカイに託した。
「真実に辿り着く、か……」
カイは壁一面の本棚を見上げる。
まずは、この本を読んでみよう。
自然と、そう思った。
ユナが何を考え、
何を探し、
何を自分に託したのか。
それを知ることもまた――
ユナが望んだ、
“真実を求め続けること”なのだから。
※作者の活動報告に各話のコメントを書いています。
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