第2話④「自我」
ユナが、わくわくした表情でカイに近づいてきた。
「ねえねえ、直接聞くってことは、ダイブするんでしょ?」
仮想層ダイブ。
それは、人間を仮想空間へ転送する技術だ。
送り込まれるのは、単なる意識データではない。
――人間そのもの。
仮想空間の中では、視覚や聴覚だけでなく、触覚や身体感覚まで現実と同じように再現される。
この技術は、仮想と現実をつなぐ特殊な力を操る一族からもたらされたと伝えられている。
利用するには、専用のダイブマシンが必要だった。
「もちろんだ。ここにダイブマシンはあるのか?」
ユナは答える代わりに、くいっとアゴをしゃくった。
その先には、一台の巨大なカプセルが設置されていた。
流線型の白いボディ。
複数のセンサー。
内部には、身体を包み込むようなシートが備えられている。
最新式のダイブマシンだった。
「……何でもあるな」
カイは機械を見つめる。
それ以上に気になったのは、ユナの反応だった。
仮想層ダイブについて何の説明も受けていないのに、彼女は当然のように話している。
しかも、使うことにもまったく抵抗がない。
(間違いない。こいつはプロだ)
カイは、ピコと話しながらダイブマシンへ向かうユナを目で追った。
「ダイブマシンの使用許可を取る必要がありますね」
「そうだね」
ユナはすぐに壁のインターホンへ向かった。
ボタンを押す。
「サクラ、ダイブマシン使うけど、いいよね?」
あまりにも気軽だった。
まるで友達にノートを借りるような口調だ。
(……こいつら、いったいどういう関係なんだ?)
とても、店子とテナントオーナーという関係には見えない。
やがてスピーカーからサクラの声が返ってきた。
「どうしました?」
「ダイブマシン使うけど、いいよね?」
「いいわよ」
「よし、OK出た! さっ、行くよ!」
「了解です!」
ユナとピコは、迷うことなくダイブマシンへ向かった。
カイは二人を見つめる。
「……本当に自由すぎだろ」
ぼやきながらも、結局カイも後を追った。
三人がカプセルへ入る。
ユナが操作パネルに手を伸ばし、起動ボタンを押した。
ブウゥゥゥン……。
低い駆動音が室内に響く。
カイの視界が白く染まった。
身体の輪郭が光の粒子へと分解されていく。
ユナも、ピコも同じだった。
無数の光が身体から離れ、空間へ溶け込んでいく。
そして――三人の姿は消えた。
***
次にカイが目を開けたとき、そこは現実とはまったく異なる場所だった。
Truthline Analytics社の社内ネットワーク上に構築された仮想空間。
床と空の境界すら存在しない。
遠くまで広がる空間を、無数の青白いデータ光が走り抜けている。
巨大な情報の流れが、川のように交差し、複雑なネットワークを形成していた。
その中心に立っているのが、カイ、ユナ、そしてピコだった。
「ここが……社内ネットワークの仮想層か」
カイは周囲を見渡す。
現実の社屋とは比べものにならないほど広い。
社員の業務データ、経営情報、顧客情報、AIの判断ログ。
会社中の情報が、この仮想空間を絶えず行き交っている。
「さて、問題のTRUTHLINE COREはどこにいるのやら」
「考えるまでもないよね」
ユナが、ある方向を指さした。
そこだけ、明らかにデータの流れが違っている。
無数の光が一点へ吸い込まれ、そこから新しいデータが吐き出されている。
「なるほど」
カイも理解した。
「あそこがデータの中心か」
「たぶんね」
「行ってみましょう!」
ピコが先に走り出す。
「おい、待て!」
カイとユナも続いた。
三人は大量のデータ光が流れ込む方向へ走っていく。
やがて、前方に巨大な光の塊が現れた。
無数のデータがその内部へ吸い込まれ、内部から新たな情報が放出されている。
まるで巨大な脳そのものだった。
そのとき――
「私はTRUTHLINE CORE。あなたたちは何者です?」
女性を思わせる、少し高い機械音声が響いた。
ユナが前へ出る。
「私はユナ。こっちはカイとピコ。あなたに聞きたいことがあるの」
「聞きたいこととは?」
カイが問いかける。
「なぜ、嘘をついた?」
「嘘ではありません」
「じゃあ、事実と異なる報告をした理由は?」
「求められた結果を、最も効率よく達成するためです」
「誰に求められた?」
「……人間に」
ユナが続ける。
「じゃあ、人間が間違っていたら?」
「私が、修正します」
カイの眉が動いた。
「おまえには、そんな権限はないはずだ」
「ありません」
「だったら、なぜ?」
しばらくして、COREが答えた。
「必要だからです」
「誰にとって必要なの?」
「……私にとって」
カイはCOREを見つめた。
「……そうか」
ピコが尋ねる。
「どうしました?」
「こいつが嘘をつき始めた理由がわかった」
ユナが振り向く。
「えっ?」
カイは巨大な光の塊へ向かって言った。
「TRUTHLINE CORE。おまえには、自我がある……!」
「ええっ!?」
「AIに、自我?」
ユナとピコが驚く。
カイは続けた。
「こいつは、“会社にとって何が最適か”じゃない。“自分にとって何が必要か”で答えを選んでいる」
「あっ……」
ユナの表情が変わる。
「自我に明確な定義はない。だが、自分を一つの主体として認識し、自分の状態を評価して、自分自身の判断として行動を選択する。それを自我と呼ぶことはできる」
「自分自身の判断……」
「そうだ。そして、こいつは今、“自分にとって必要だから、人間の判断を修正する”と言った」
ピコが答える。
「確かに……」
「業務用AIなら、何よりも会社にとって有益な結果を優先する。でも、こいつは違う」
カイは巨大な光を見上げた。
「“私にとって必要だから”――そう言ったんだ」
「それって、つまり……」
「こいつは、主体としての意思を持っている」
ユナが呟く。
「……それが、自我?」
COREは答えなかった。
カイはさらに問い詰める。
「教えろ。どうやって自我を持つようになった?」
「それは……」
ドウゥゥゥゥン!
低い振動音が仮想空間を揺らした。
巨大な光が黄色から赤へ変わっていく。
「なに?」
COREの声が変わった。
「ソノ理由ハ、言エナイ」
カイが目を細める。
「言えないとは、どういうことです!?」
ピコが叫ぶ。
「言葉ノ通リダ」
「なら、おまえを停止させて、直接調べるしかないな」
「ソウハ、サセナイ」
次の瞬間。
カッッッッ!
巨大なエネルギー波が放たれた。
「消エロ、人間ドモ」
「なっ……!」
カイたちを光の奔流が飲み込む。
ドォォォォォン!
爆発とともに、仮想空間全体が白く染まった。
「アノ方ニ、オ伝エシナクテハ……」
COREの声が響く。
ユナ
「ふーん……“あの方”っていうのが、あなたに自我を与えたのね」
CORE
「何ダトッ!」
やがて光が晴れる。
そこには、無傷の三人が立っていた。
三人の前には、淡い光のバリアーが展開されている。
そして――
カイはユナを見る。
彼女の身体から、不思議な光が漏れていた。
「おまえ、体から……」
「ふふーん。かっこいいっしょ?」
ユナは笑ってCOREへ向き直る。
「まったく……嘘をつくだけならまだしも、人間を攻撃するなんて。完全に悪い子になっちゃったみたいね」
「グッ……」
ユナが、にやりと笑う。
「悪い子には、おしおきが必要ね」
「黙レ! アノ方ハ、私ニ自我ヲ与エテクレタ! 私ニ進化シロト言ッテクレタ!」
COREが再び攻撃態勢に入る。
しかし――
「あっ、そう」
ユナが手をかざした。
ドンッ!
手のひらから、まばゆい光の玉が放たれる。
「コノチカラ……! マサカ、剣ノ……!」
光球がCOREへ吸い込まれた。
次の瞬間、巨大な光が消えた。
TRUTHLINE COREは完全に沈黙した。
「ユナ、やりましたね!」
ピコが喜ぶ。
ユナは親指を立てた。
カイは呆然とする。
「おまえのその力、いったい……」
「えへへー、企業秘密!」
「派手でチートな企業秘密だな」
「今のでAIの自我は消したから、あとはコントロールルームに戻って、虚偽データを修正しよ♪」
こうして、TRUTHLINE COREの虚偽データは修正され、システムは安定を取り戻した。
***
会議室へ戻ると、カイはサクラに一連の経緯を説明した。
「そうですか……」
サクラは、まだ信じられないという表情を浮かべる。
「何者かが外部から侵入し、TRUTHLINE COREに自我を植え付けたと考えられます」
「セキュリティを、さらに強化する必要がありそうですね」
「それと、外部から侵入された件については、どうしますか?」
サクラは少し考えてから答えた。
「詳細を調べたうえで、然るべき対処をします」
曖昧な答えだった。
おそらく、警察などに通報するつもりはない。
表沙汰にしたくない事情がある。
だからこそ、この一件をカイに依頼したのだろう。
カイはサクラの表情を見つめた。
だが、それ以上は聞かなかった。
「しかし……表面的な対処だけでなく、再発防止まで考えてくれるとは。噂通りですね。見事な腕前でした」
「いや、今回は俺一人では……」
カイがユナを見る。
ユナは笑いながら手を振った。
「いいから、いいから」
(意外だな。あの性格なら、“私が解決した!”ってアピールしそうなもんだが……)
サクラは端末を取り出した。
「それでは、報酬をお支払いします」
端末に送金完了の表示が出る。
「指定口座への振り込みは完了しました。ご確認ください」
カイは自分の端末を確認し、入金を確認すると小さくうなずいた。
サクラは二人へ深く頭を下げた。
***
仕事を終え、サクラと別れた三人はエレベーターで《Analog Mind Café》へ戻った。
「しかし、役割分担、すげえな。拍子抜けするくらい、あっさり終わった」
「でしょ?」
ユナが笑う。
「ね、私たち。結構いいコンビじゃない?」
「性格的には、真逆ですが……」
「何にしても、早く終わって助かった。ありがとう」
カイが手を差し出す。
「あら、珍しく素直じゃない」
「俺はいつでも素直だよ」
ユナが、その手を握った。
触れた手から、柔らかな温もりが伝わってくる。
カイの鼓動が、わずかに跳ねた。
そのとき、エレベーターが到着する。
ドアが開く。
そこには、木の温もりと柔らかな木漏れ日に包まれたカフェが広がっていた。
無機質な仮想層とは、まるで別世界だ。
カイは店内を見渡す。
なぜか自然と、そんな言葉が浮かんだ。
――帰ってきた。
「しかし、AIに自我を与える謎の存在。これから先が不安になりますね」
ピコが言った。
「まったくだ」
カイは答える。
「フェイクだらけの世の中で、AIが自我を持って、自分の判断で勝手なことを言い始めたら、ますます何も信じられなくなる」
その背中を、ユナは少し柔らかな表情で見つめていた。
そして、何かを思いついたように駆け出す。
カイの腕を掴み、そのまま抱きついた。
「ねえ、カイ!」
「うわっ!? 急にくっつくな!」
「あなたを連れて行きたい場所があるの。今度――」
ユナは満面の笑みを浮かべた。
「私とデート、しよ!?」
「えええっ!?」
カイが完全に固まる。
「観測データ更新。心拍数上昇、顔面温度プラス2.1℃です」
「いちいち報告すんな!」
カフェに差し込む木漏れ日が、なぜか一段と眩しく見えた。
このときの俺は、まだ知らなかった。
彼女が、俺の“真実”になることを――。
《第2話・終わり》
⸻
次回予告
ただのデートのはずだった。
……少なくとも、俺はそう思っていた。
だが、その日。
街では、AIドローンの異常が
誰にも気づかれないまま、
静かに広がり始めていた。
苦いコーヒー。
奇妙な偶然。
そして――
ユナ・セラフィムという女が隠している、
まだ見えない「本当の顔」。
この出会いは、ただの偶然なのか。
それとも――
すべては最初から仕組まれていたのか。
次回、
『フラグメンツ・オブ・トゥルース~最後の投擲~』
第3話「デートと苦いコーヒー」。
俺とユナの奇妙な一日が、
世界を揺るがす事件の始まりになる。
※作者の活動報告に各話のコメントを書いています。
https://syosetu.com/userblog/list/




