第14話③「終わらない残響」
灰色の朝。
ユナを失って、数週間。
カイは、まるで抜け殻のように街を歩いていた。
冷たいとも暖かいとも感じない空気の中を、人々が行き交っている。
笑い声。
話し声。
靴音。
車の走行音。
すべてが遠かった。
まるで自分だけが、世界とは別の層にいる。
視界に映るものすべてが、薄い膜を一枚隔てた向こう側にあるようだった。
現実の輪郭が、曖昧になっている。
カイは足を止めた。
目の前のビルに設置された大型広告スクリーンを見上げる。
鮮やかな映像が流れ、軽快な音楽とともにニュースが次々と切り替わっていく。
新商品の発表。
企業の業績。
都市開発の進捗。
今日の天気。
どれも平穏なニュースだった。
だが――。
カイには、すべてが作り物に見えた。
ユナ・セラフィムが犯罪者として指名手配されていたことなど、最初から存在しなかったかのように、世界は次のニュースへ進んでいる。
あれほど世界を揺るがした存在が、記録から消えていく。
そして、記憶からも。
「……俺だけなのか」
この異常に気づいているのは。
カイ自身も、もう追われていない。
シン統治システムにとって、ユナと指輪さえ排除できれば、他のことなどどうでもいいのだろう。
その事実は、安堵をもたらさなかった。
むしろ、妙な空虚さだけが残った。
必要とされない。
意味を持たない。
それは、存在していないのとほとんど同じだった。
ふと、カイは足を止めた。
目の前に、一軒のカフェがある。
初めてユナと二人で入った店だった。
扉を見つめた瞬間、胸の奥が軋む。
入ることもできない。
立ち去ることもできない。
カイは、ただその場に立っていた。
そして、あの日の光景が蘇る。
気まずさと不満が半分ずつ混ざった、ユナの顔。
あのときの空気は妙に居心地が悪かった。
けれど、どこか心地よかった。
言葉にしなくても伝わる距離。
まだ不器用だった二人の関係。
「お詫びにおごるなんて、聞いてないんだけど!」
そう言っていたユナ。
ところが、ピザとスパゲッティが運ばれてくると――。
「うわっ……これ、絶対おいしいやつ!」
目を輝かせていた。
そして、カイの分まで遠慮なく食べていた。
計算も、遠慮もない。
ただ「楽しい」という気持ちに従っている。
呆れながらも、カイはどこか安心していた。
「……ユナ」
名前を呟く。
すると、もう一つの場所が頭に浮かんだ。
告白をした公園。
気づけば、カイの足はそちらへ向かっていた。
公園のベンチに腰を下ろす。
カイが告白した後に、子供のように泣くユナ。
その涙は、驚くほどまっすぐで、取り繕いのない感情そのものだった。
こんなにも感情をむき出しにできる存在がいるのかと、戸惑いすら覚えた。
ユナ
「うえ〜ん!だって……カイのこと大好きなのに、ずっと……意地張って、我慢してたから……もう、無茶苦茶うれしくて……」
そして、カイは目を閉じる。
逃げるように閉じた視界の奥から、記憶が一気に溢れ出す。
笑っているユナ。
泣いているユナ。
怒っているユナ。
戦っているときの勇ましいユナ。
食事をしているときの嬉しそうなユナ。
眠っているユナ。
その温もり。
その鼓動。
そして――。
唇を重ねた瞬間。
ひとつひとつが、あまりにも鮮明だった。
幻なのに、現実よりも重い。
カイの頬を涙が伝う。
拭おうとして、手を止めた。
止めたら、何か大切なものまで消えてしまいそうだった。
ユナのいない世界。
その言葉を思い浮かべるだけで、胸の奥が沈んでいく。
ユナは消える直前、カイに言った。
《自分だけの“真実”をずっと求め続けて》
何度も、その言葉を思い返した。
けれど、考えれば考えるほど、「真実」という言葉は遠ざかっていく。
自分だけの真実。
それは何なのか。
どうすれば見つけられるのか。
答えは出ない。
カイは俯いた。
(これから俺は、何をすれば……)
問いは、胸の奥へ沈んでいった。
そのときだった。
端末が突然、激しく震えた。
画面が干渉ノイズに覆われる。
規則性のない波形が、画面いっぱいに走り回る。
「何だ……?」
異音の向こうから、声が響いた。
《フェイクの裏に眠る――》
カイの目が見開かれる。
《“本当のユナ”を探せ……カイ》
「誰だ!」
問いかける。
だが、返事はない。
通信が途切れた。
画面からノイズが消える。
まるで、最初から何もなかったかのように。
「……本当のユナ?」
カイは端末を見つめる。
そこには、一つの座標だけが残されていた。
点滅する数字。
それだけが、不思議なほど鮮明だった。
まるで、他のすべてが偽物で、その座標だけが現実であるかのように。
カイは立ち上がる。
表示された座標を確認する。
アストラシティ――廃ビル街の外縁部。
「フェイクの裏に眠る、本当のユナ……」
胸の奥に、ほんのわずかに火が灯る。
ユナは消えた。
世界からも、記録からも。
それでも――。
まだ終わっていない。
カイは端末を握り締めた。
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