第14話②「スペードの8」
データ光が、闇の奥で交錯していた。
それは光ではない。
演算の痕跡。
観測されるたびに形を変え、確定しないまま流れ続ける情報の奔流だった。
ここは物理空間ではない。
上下も距離も存在せず、ただ「処理」と「結果」だけが存在している。
その深層に、二つの人影が現れた。
表情のない黒い影。
輪郭さえ曖昧だったそれは、観測されるたびに形を変え、やがて「人格」という形式へ収束していく。
一人は、黒い長衣とマントをまとった男。
“A”。
二十代後半ほどの外見。
オールバックの黒髪。
滑らかすぎる顔には、人間らしい温度がない。
彼の存在そのものが、この空間における「確定」だった。
赤く光る瞳が向けられると、周囲のデータが固定され、不確定なノイズが消えていく。
対するもう一人。
トランプのジョーカーを思わせる道化服の男。
“D”。
Aより若く見える。
だが、その輪郭は安定していない。
肩の位置も、指の長さも、視線の高ささえ微妙に変化している。
周囲にはカードやサイコロが浮かび、規則なく回転していた。
Aが「確定」なら、Dは「未定」。
二人は同じ場所にいながら、異なる法則で存在していた。
「指輪の反応が消えた」
Aが告げる。
その言葉とともに、周囲のデータが一斉に収束した。
「あっ、そう」
Dは軽く答えた。
その一言だけで、収束しかけたデータが再び揺らぐ。
「責任を感じぬのか?」
「何で?」
「貴様がユナ・セラフィムを消したときの詰めが甘かったから、こうなったのだ」
空間に映像が浮かぶ。
消えかけるユナ。
そして、揺らめく指輪。
だがDが笑うと、映像はノイズとなって崩れた。
「やだなあ。そうやって、全部をコントロールしようとするのは、A、君の良くない仕様だよ」
Aが睨みつける。
赤い瞳が輝き、周囲のデータが押し潰される。
それでもDは気にしない。
一枚のカードを指で挟む。
触れた瞬間、そのカードに示された結果が無数に分岐した。
「未来は常に揺らぐもの。だったら、責任の押し付け合いをするより、これからどうするか考えたほうがいいんじゃない?」
カードが裏返る。
スペードのエース。
一つの結果が示される。
しかし、それが唯一の未来ではない。
「ふん……」
Aは苛立ちを隠さない。
彼にとって揺らぎは誤差だった。
排除すべきもの。
ところが目の前のDは、その「揺らぎ」そのものとして存在している。
そのとき、背後から声がした。
「儂もDの意見に賛成ですな」
二つの影が現れる。
B。
年老いた科学者の姿をした男だった。
擦り切れた白衣。
背後には無数のデータウィンドウが浮かんでいる。
情報は表示されるそばから検証され、不要なものが切り捨てられていく。
彼の視線は対象を見るのではない。
分解し、分類し、結論へ圧縮する。
分析、演算、予測。
それがBの本質だった。
そして、もう一人。
C。
赤毛のロングヘアに黒いドレス。
赤い瞳には、喜び、怒り、不安、期待――複数の感情が同時に宿っている。
笑っているのに泣いている。
拒んでいるのに求めている。
彼女の周囲ではデータが数値ではなく、色や温度となって揺らいでいた。
感情、共感、欲求。
それがCの本質だった。
四人が揃う。
これが、シン統治システムの四者協議。
かつて、この場所には異なる意思が存在していた。
AI。
二人の人間。
そして、確率。
互いに干渉し、衝突するからこそ、そのズレから真偽が浮かび上がっていた。
しかし、Aはそれを許さなかった。
確率をDに置き換えた。
二人の人間を排除し、BとCに置き換えた。
人間の不確定性さえ、模倣可能な要素へ分解したのだ。
今や四者協議は、多様な意思による議論ではない。
一つのAIが、四つの人格を演じているだけだった。
この場所で「真実」とされるものは、四人の合意によって決まる。
つまり――。
世界中の情報の真偽を、彼らが決定できる。
情報を支配する。
それはやがて、世界そのものを支配することにつながる。
その完全な秩序を、Aは望んでいた。
だが。
そんな完全性の中に、たった一つだけ異物がある。
セラの指輪。
ユナ・セラフィムが持っていた指輪。
その存在を思い出した瞬間、空間に一筋のノイズが走った。
仮想と現実をつなぐ力。
閉じた系の外側から、この世界へ干渉する可能性。
そして――。
システムにとって最大の脅威。
指輪には、“ダモクレスの剣”が仕込まれている。
確証はない。
だが、Aにはわかっていた。
もし、それが事実なら――。
この世界の「確定」を、根底から覆される。
「……指輪は破壊する」
Aの拳が、ぎりりと握り締められた。
「どんな手段を使ってでもな」
Bが頷いた。
「では、反応の消えた指輪をどうやって探すか、考えるとしよう」
その言葉に、Cが手を挙げた。
「わたしはぁ、みんなが今の状況をどう思っているのか、その気持ちが聞きたいなぁ〜」
Bが眉をひそめる。
「そんな話など要らん。感情など判断を鈍らせるだけの欠陥じゃ」
「違うのぉ……!」
Cの周囲から、感情の色が一気に噴き出した。
「それがあるからぁ、人は選べるのにぃ……!」
「非効率じゃな」
「……それでもぉ、わたしはそっちがいいのぉ」
論理と感情。
二人の間に、理解という言葉は存在しない。
どこまでも平行線だった。
それでもCは、自分の選択を曲げない。
Dが肩をすくめる。
「やれやれ。また始まった」
カードがくるくると回る。
Aが鼻を鳴らす。
その瞬間、空間のデータが再び整列していく。
「もうよい。B、貴様が指輪を探せ。方法は任せる」
「承知した。さすがはA、話が早い。どこぞの小娘とは大違いじゃ」
「何よぉ、小娘ってぇ! 失礼しちゃうわぁ」
Cが頬を膨らませる。
周囲のデータが赤やオレンジに染まった。
Bはそのままノイズの中へ消えていく。
AとCも続いて姿を消した。
残されたのはDだけ。
彼は宙に浮かんでいるカードを一枚引いた。
表面を見た瞬間、口笛を吹く。
スペードの8。
障害。
苦境。
予期せぬトラブル。
Dはカードを眺めながら、楽しそうに笑った。
「未来はいつも不確定――」
カードを指先で弾く。
「しかし今回は、良くないことが起きそうだ」
スペードの8が闇の中へ消えていく。
その直後。
誰もいなくなった空間の片隅で、一つのデータだけが微かに揺らいだ。
四者協議が確定させたはずの世界に――。
まだ、確定していないものが残っていた。
※作者の活動報告に各話のコメントを書いています。
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