第14話①「身勝手な女神さま」
夜。
アストラシティ再開発地区の廃墟ビル街。
かつては無数のホログラム広告が瞬き、人とデータが交差していた場所も、今では電源の落ちた巨大な骸と化していた。
割れた窓ガラスが風に鳴り、遠くから未処理のシステムノイズのような低い唸りが聞こえてくる。
そのビルの屋上で、一人の少女が空を見上げていた。
ユカ。
屋上の縁に腰掛け、足をぶらぶらと揺らしている。
冷たい夜風が、無防備な足元をすり抜けていく。
「そんなことをすると、危ないから、やめなさい」
以前、トモにそう言われた。
危ない。
頭ではわかっている。
けれど、ユカにはどうにも腹落ちしなかった。
むしろ――。
「どこまでなら大丈夫なんだろう?」
確かめてみたい。
それがユカという少女だった。
足元を覗き込む。
遥か下に地面が見える。
街灯の消えた路地は黒く沈み、底のない穴のようだった。
落ちれば、大怪我では済まない。
それなのに、怖くなかった。
なぜだろう。
ユカは考える。
きっと、自分には落ちることより怖いものがある。
一人になること。
どこかわからない場所に、一人で取り残されること。
広い世界の中で、自分だけが切り離されてしまうような感覚。
両親はいない。
きょうだいもいない。
リサたちは自分を大切にしてくれている。
それは、とてもありがたい。
それでも――。
ユカの中には、ずっと埋まらない空白があった。
与えられる優しさと、自分が求めている「本当の繋がり」。
その違いを、まだ言葉にはできない。
そんなことを考えながら、ユカは夜空を見上げた。
「きれい……」
ユカは星を見るのが好きだった。
都市の明かりから離れた廃墟では、普段なら見えない星まで、はっきりと浮かび上がっている。
まるで――空の向こうから、こちらを覗き返しているようだった。
そのとき。
ユカは空に立ち上る光に気づいた。
夜の闇を貫く、細くまっすぐな光柱。
自然現象とは思えない。
まるで誰かが、そこに印を打ったような光だった。
「なんだろ、あれ?」
ユカの瞳が輝く。
恐怖ではない。
純粋な好奇心だった。
「よし、行ってみるか!」
ユカは立ち上がると、非常階段へ向かった。
そして手すりの柱につかまる。
「こっちのほうが早いよね」
そのまま、するすると滑り降りていく。
トモには「危ない」と言われている。
でも、やってみなければわからない。
金属の柱が軋む。
手のひらに振動が伝わる。
もうすぐ地面――。
バギッ!
柱が折れた。
「あっ……」
ユカは柱と一緒に落下した。
ドシン!
尻もちをつき、砂埃が舞い上がる。
「いったあ……」
涙目になりながら、お尻をさする。
そして折れた柱を見る。
「うーん。あのぐらつき具合なら、あと三回はいけると思ったんだけどなあ」
首を傾げる。
失敗を悔しがる様子はない。
むしろ、仮説が外れたことを素直に受け入れている。
「でも、いいや。データは取れた!」
ユカは拳を握った。
そして、光柱へ向かって歩き出した。
瓦礫を踏みながら、廃墟の街を進んでいく。
やがて、道の中央に光のポイントが見えてきた。
光柱の根元。
まるで地面に何かが突き刺さっているようだった。
「あった!」
ユカは駆け寄る。
光の中心にしゃがみ込む。
「これ、指輪……?」
地面に落ちていたのは、ごつい指輪だった。
ユカが拾い上げた瞬間――。
光が消えた。
指輪には細かな文字列が刻まれている。
ただの装飾ではない。
文字そのものが、かすかに脈動している。
「なにこれ……?」
そのとき。
どこからともなく、声が聞こえた。
《やっと見つけた。あなたが、ユカね……》
「だ、誰?!」
ユカは慌てて周囲を見回す。
誰もいない。
《怖がらなくていいわ。私は女神……》
「め、女神さま?! すごっ!」
ユカは背筋を伸ばした。
そして、なぜか軽く頭を下げようとする。
《……ウソだけど》
「ええーっ! ウソなのーっ!」
ユカは盛大にずっこけた。
《ふふ。いいリアクション、ありがとう。冗談はこのくらいにして、私はユナ……》
その声は優しく、どこか懐かしかった。
「ユナ……さん」
不思議だった。
初めて聞く声なのに、悪い人ではないと直感的にわかる。
むしろ――。
ずっと、この声を探していたような気さえした。
《ユカ、あなたにお願いがあるの》
「お願い?」
ユカは手の中の指輪を見る。
さっきまで、ただの拾い物だった。
それが今は、何か大きな意味を持っているように感じられた。
《その指輪を、カイに渡してほしいの》
「えっ、カイって誰? そんな人、知らないんだけど?」
《大丈夫。もうすぐ会えるわ》
その言葉とともに、遠くの空を青白い光の粒が流れ始めた。
星が軌道を外れ、こちらへ落ちてくるようだった。
ユカは空を見上げる。
「……」
胸の奥がざわつく。
何かが動き始めた。
そんな感覚だった。
そして、ユナの気配が薄れていく。
「何で、私にお願いするの? ユナさんは、何者なの?」
追いかけるように問いかける。
もっと聞きたい。
なぜか、行ってほしくなかった。
《ふふ。カイのこと、よろしくね》
声が遠ざかっていく。
《ユカ、会えてよかった……》
「ユナさん……?」
返事はない。
ユナの気配が完全に消える。
ユカはその場に立ち尽くした。
やがて、ぽつりと呟く。
「なんか、一方的に押し付けて消えちゃうなんて……ユナさんって、ずいぶん勝手な人だな」
そう言いながらも、表情は緩んでいた。
嫌な感じはしない。
むしろ――信頼されたことが、少し嬉しかった。
会ったこともない人なのに。
「カイさんって、どんな人なんだろう?」
ユカは指輪を握りしめる。
冷たい金属の奥に、かすかな熱を感じた。
空を見上げる。
青白いデータ光が、流れ星のように夜空を流れている。
その光は一定の方向へ進んでいた。
まるで、道を示しているように。
ユカはその先を見る。
廃墟の向こう。
まだ見たことのない場所。
理由はわからない。
でも――。
行かなきゃいけない。
ユカは一歩、踏み出した。
その足取りは、少しだけ弾んでいた。
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