第11話④「突入、虚数ノード」
ユナの指輪が、かすかに脈動した。
淡い光が指輪から溢れ出し、空間そのものへ染み込んでいく。
光はゆっくりと広がり、現実と仮想の境界を溶かしていった。
足元の感覚が消える。
重力の手応えさえ曖昧になり、三人の身体がふわりと浮かび上がった。
次の瞬間。
三人は、白い世界へ降り立っていた。
仮想層・第7階層。
通称――“虚数ノード”。
視界を埋め尽くしているのは、どこまでも均質な白だった。
床と壁の境界がない。
天井も見えない。
遠近感さえ存在せず、目の前に広がる空間がどこまで続いているのかも分からない。
まるで世界そのものが、何も定義されていない。
ピコが周囲をスキャンする。
いつもの軽快な声とは違い、その声音にはわずかな緊張が混じっていた。
「注意してください。ここは通常の仮想層ではありません。構造が安定していない……いえ、意図的に不確定化されています」
ユナは周囲を見回した。
そして、口元を少しだけ歪める。
「いいじゃん。いかにもラスボスの部屋って感じでさ。こういう分かりやすいの、嫌いじゃないよ」
「軽いな、お前は……」
カイは肩をすくめながら、周囲へ視線を走らせた。
「ここ、マジでヤバい匂いしかしねぇぞ」
その直後だった。
何も存在しなかった白い空間の一角が、ゆらりと歪んだ。
水面に映った景色のように、白い世界が波打つ。
そこへ、映像が浮かび上がった。
最初は輪郭だけだった。
やがて色が宿り、人物が現れ、映像として完全に定着する。
そこに映っていたのは――ユナだった。
冷たい表情で端末を操作している。
大量のデータを抜き取り、それを反体制組織へ送信している。
映像は、何度も同じ場面を繰り返していた。
ユナは一歩前へ出た。
映像を見上げる瞳に、怒りが浮かぶ。
だが、それ以上に強く宿っていたのは確信だった。
「これがオリジナルの動画ファイル……」
ユナは映像を見つめた。
「やっぱりシン統治システムの中枢にあったんだね」
カイも映像を睨みつける。
拳が強く握り込まれた。
「これを押さえりゃいい」
カイは映像を指差した。
「ここにあるってことを世間に公表すれば、ユナの無実は証明できる」
その言葉が発せられた直後だった。
どこからともなく、声が響いた。
いや。
響いたという表現すら正確ではない。
音として空間を伝わってきたのではない。
直接、三人の脳へ流れ込んできた。
低く、冷たい声。
「無実の証明か――」
空間そのものが、その声になったかのようだった。
「それは、ここから出ることができればの話だがな」
カイが鋭く振り向く。
「この声……システムか?!」
同時に、ピコの警告音が鳴り響いた。
「緊急アラート! 座標が固定されています!」
ピコが必死に解析を続ける。
「移動不能――来ます!」
次の瞬間。
白い世界が閃光に裂けた。
何もなかった空間に、幾何学的な線が一斉に走る。
線と線が接続され、瞬時に巨大な構造体を形成していく。
光で編まれた檻。
いや。
それは檻などという生易しいものではなかった。
三人を閉じ込め、存在そのものを消し去るための処刑装置。
四方から伸びた光が三人を包囲する。
逃げ道はない。
光が脈動する。
その輝きは、神経そのものを焼き切るような鋭さを帯びていった。
そして、冷たい声が再び響く。
「消え去れ。愚か者どもよ」
ピコの解析結果が表示された。
「これは……記録消去プログラムです!」
ピコの声が跳ね上がる。
「単なるデータ削除ではありません! 存在情報そのものが削除されます!」
ユナの表情が凍りついた。
「なっ……!」
言葉が最後まで形になる前に、光が膨張した。
視界が白に塗り潰される。
音が消える。
触覚が消える。
身体の輪郭が消える。
そして――思考までもが、ほどけていく。
自分が誰なのか。
ここがどこなのか。
何をしていたのか。
それらすべてが、白い光の中へ吸い込まれていく。
ユナの指先が消えた。
カイの身体が消えた。
ピコの姿も消えていく。
三人は、世界から切り取られるようにして完全に掻き消えた。
あとには、何も残らなかった。
白い空間の中心に、ぬるりと黒い染みが広がる。
それは次第に人の形へ変化していった。
頭。
胴体。
腕。
脚。
だが、顔はない。
目も、鼻も、口も存在しない。
ただ人間を模した輪郭だけが、白い世界に立っていた。
シン統治システム。
「口ほどにもない」
無機質な声が空間を満たす。
「これで“ダモクレスの剣”は消え去った」
黒い人型が、消滅した三人のいた場所を見つめる。
「我の存在を脅かす不確定要素は、排除された」
その言葉とともに、白い世界から最後の痕跡までもが消えていく。
シン統治システムにとって、それは完全な勝利だった。
――少なくとも、この瞬間までは。




