第11話②「私なりのやり方」
月日は流れ、17歳の春。
ユナは母の書斎にいた。
目の前に浮かんでいるのは、巨大なホログラムスクリーン。
そこに描かれているのは、“シン統治システム”の全体構成図だった。
幾重にも連なるAI、データベース、監視網。
世界中の情報を集約し、人間社会の意思決定を支配する巨大なシステム。
その全貌を目にした瞬間、ユナの顔から血の気が引いた。
「こんなの……正気の沙汰じゃない」
喉が乾く。
視線だけが、複雑に入り組んだ構成図の上をさまよった。
「AIに全てを委ねるなんて、リスクが大きすぎる!」
ユナは顔を上げ、母を睨みつける。
しかし、ユリの表情は変わらなかった。
「でも、それが最適解なのよ」
迷いを削ぎ落とした声だった。
「こんなものを作って……神を気取るつもりなの?!」
思わず声が荒くなる。
その間を、ピコが落ち着かなげに浮遊していた。
「違うわ。今の人類が必要なものよ」
ユリは淡々と答える。
たった数歩しか離れていない。
それなのに、ユナには母が遥か遠くにいるように感じられた。
「ママは、間違っている……!」
絞り出した声。
それは母を否定する言葉でありながら、どこか祈りにも似ていた。
ユリはユナを見つめる。
そして、ゆっくりと言った。
「だったら……私を止めなさい」
ユナの視線が揺れる。
「今すぐ。指輪の力で」
胸が強く打つ。
ユナは自分の指を見る。
そこには、12歳の誕生日に母から託された指輪があった。
ずっと目を逸らしてきた役目。
母を止めるための力。
ユナは震える手で、指輪を掲げた。
「ユナ、いけない!」
ピコが叫ぶ。
「ピコは黙ってて!」
思わず怒鳴る。
(違う……)
指先が震える。
(私は、こんなこと……望んでいない)
視界が滲む。
それでも、指輪を下ろすことはできなかった。
ユリは穏やかに微笑む。
「あなたに止められるなら、本望だわ」
目を閉じる。
ユナの指が、さらに震えた。
そして――
ユナは、くるりと背を向けた。
「……?」
「ユナっ!」
ピコの声が響く。
ユナは振り返らない。
頬を涙が伝っていく。
「私なら、複数協議にする……!」
ユリは何も言わない。
「それに……ママを止めるのに、指輪の力を使わない」
ユナはドアへ向かって歩く。
「私なりのやり方で、止めてみせる……」
声は、もう震えていなかった。
ドアノブに手をかける。
それでも、振り返らない。
そのまま部屋を出た。
母の姿を最後に見ることなく、ドアが閉じられる。
その日を境に、母と娘は決定的に別々の道を歩き始めた。
***
「……夢か」
ユナは目を覚ました。
胸の奥に、言葉にできない重さが残っている。
隣を見る。
そこにはカイが眠っていた。
「うーん……もう食えねえよぉ……」
ごろん。
カイが寝返りを打つ。
「まったく……どんな夢見てるのよ」
思わず苦笑する。
周囲を見渡す。
ここは、廃屋となった海辺のカフェ。
ピコは充電中で、ランプが規則正しく明滅している。
外はまだ暗い。
ユナはカイを起こさないようにベッドを抜け出した。
上着を羽織り、ドアを開ける。
冷たい風が頬を撫でた。
砂浜まで歩き、腰を下ろす。
水平線の向こうから、太陽が昇ろうとしていた。
ユナは海を眺めながら、母との会話を思い出す。
「私なりのやり方……か」
口にしてみても、その答えはまだ見つからない。
母が作ったシン統治システム。
それに反抗するため、レジスタンスに身を投じた自分。
そして今、そのシステムから追われている。
「ママを止めることができなかったツケが、自分に返ってきちゃったのかな……」
自分を責めるような声が漏れる。
風が吹き抜け、ユナは肩を震わせた。
「寒っ……」
そして、ふと思う。
(コーヒーでも持ってくればよかったな)
その瞬間だった。
目の前に、大きなマグカップが差し出された。
白い湯気が立ち上っている。
「ほらよ。逃避行モーニングだ」
振り返る。
カイが立っていた。
「……ありがと」
マグカップを受け取る。
一口飲むと、冷えていた身体がじんわり温まった。
「ちょうどコーヒー飲みたいと思ってたところなんだ」
「そうか」
「さすがカイ。私が惚れただけあるね」
少しだけ、いつもの調子が戻る。
「褒めたって何も出ねえぞ」
「素直な気持ちを伝えただけだよ」
二人は並んで海を眺める。
やがて朝日が水平線から顔を出し、海面を黄金色に染めていった。
カイが口を開く。
「ユナ、おまえ、一人で抱え込みすぎてるんじゃないか」
「バレたか……」
ユナは肩をすくめる。
否定はしなかった。
「俺に協力できることはないのか」
その言葉に、ユナはカイの肩へ額を預けた。
「すごくうれしい」
少しだけ間を置いて、続ける。
「でも……私がいま抱えているのは、すごく個人的な問題だから。自分で解決しなきゃいけないことなんだと思う」
カイは何も言わず、ユナの頭を引き寄せた。
「……わかった。でも、無理すんなよ」
「……うん」
ユナは小さくうなずいた。
しばらく海を眺めてから、顔を上げる。
「どうしたら、人はわかり合うことができるんだろうね」
カイは海を見たまま答えた。
「日々のコミュニケーションと、感謝の気持ちだな」
「やっぱり、魔法の杖はないか……」
ユナは苦笑する。
それでも、少しだけ顔を上げた。
そして、大きく伸びをする。
「考えてたら、お腹すいた!」
「切り替え早えな」
「朝ごはんにしよっか。コーヒーのお礼に、私が特別メニュー作るよ!」
「特別って何だよ?」
ユナは満面の笑みを浮かべた。
「牛丼特盛りつゆだく!」
「朝から重すぎだろ!」
「あと豚汁大盛りに、卵、納豆、さらにキムチ!」
「おまえの胃袋どうなってんだよ!」
「えー、じゃあ普通盛りにしとく?」
「なんで牛丼前提なんだよ!」
ユナがくすっと笑う。
その笑顔には、もう先ほどまでの重さは残っていなかった。
迷いは消えていない。
母との問題も、シン統治システムも、何ひとつ解決していない。
それでも――
ユナはもう一度、前を向いていた。
「ほら、行こ!」
「はいはい」
二人は小突き合いながら、廃カフェへ戻っていく。
朝日が、二人の背中を照らしていた。




