第11話①「花冠の約束」
白い光の中で、花々が揺れていた。
見渡す限りの花畑。
あたたかな風と、まぶしい陽射し。
幼いユナは、その中を駆け回っていた。
転びそうになっても、不思議と怖くない。
ここでは、何も失われない。
そんな気がしていた。
少し離れた場所から、母のユリが娘を見守っている。
「ユナ、そんなに走ったら転んじゃうわよ」
「だいじょうぶ!」
ユナは振り返り、満面の笑みを浮かべる。
「ママ、見て!」
空へ向かって、思いっきり手を伸ばす。
届かないはずなのに、届く気がした。
母に「大丈夫」と伝えたかった。
ユナは再び花畑へ戻ると、しゃがみ込んだ。
小さな手で花を選び、一本ずつつないでいく。
ほどけても、またやり直す。
何度も失敗して、それでも諦めない。
そして――。
「できた!」
ユナは完成した花冠を抱えて、ユリのもとへ駆けていく。
「はい、ママ!」
少し歪んでいて、不揃い。
それでも、一生懸命に編んだ花冠だった。
ユリは腰を落とし、娘からそれを受け取る。
「まあ……ありがとう」
ユナは背伸びをして、花冠を母の頭に乗せた。
花の香り。
その奥にある、母の匂い。
ユナが大好きな匂い。
「わたしね、大きくなったら――人の心をつなぐ仕事がしたいの!」
ユリをまっすぐ見上げる。
「ママみたいに、難しいことを考える人たちを笑顔にできるような人になりたい!」
ユリの瞳が、わずかに揺れた。
けれどユナには、それが嬉しそうな表情に見えた。
「きっとなれるわ、ユナ。あなたなら……」
ユリの手が、娘の頬に触れる。
あたたかい。
ずっと、このままでいたい。
そのとき、風が強く吹いた。
花びらが空へ舞い上がる。
ユナはそれを、ただ綺麗だと思った。
***
そして――十二歳になった日の朝。
「ユナ、ちょっと来て」
母に呼ばれ、ユナは書斎へ向かった。
扉を開ける。
そこには、いつもとは違う空気があった。
ユリは机の上に小さな箱を置いている。
そして、ゆっくりと蓋を開いた。
中に入っていたのは、青白いデータ光を放つ指輪だった。
「セラの指輪……」
ユナは息をのんだ。
仮想と現実をつなぐ力を操る一族の象徴。
族長セラの称号を継いだ者だけが持つ証。
それが今、自分の目の前にある。
ユリが告げる。
「これを、あなたに託したいの」
ユナは反射的に首を振った。
「なんで? 私、まだ子どもだよ? 族長にもなってないのに……」
言葉が詰まる。
「こんなの……重すぎるよ……!」
その重さが何なのか。
ユナ自身にも、うまく説明できなかった。
「ユナ、聞いて」
ユリの声には、迷いがなかった。
「私はこれから、あるプロジェクトを指揮することになる」
「プロジェクト……?」
聞き慣れた言葉なのに、胸の奥がざわつく。
「そう。人類の命運を左右するような、壮大なものよ」
ユリの言葉には、ほんのわずかな違和感があった。
「それが指輪と、どう関係があるの?」
ユナが問い返す。
ユリは少しだけ視線を落とし、寂しそうに笑った。
「私は、自分が正しいと思った道を進む」
そして、娘を見る。
「でも、それが人類を間違った方向へ導くものなら――」
ユリの声がわずかに揺れる。
「指輪の力で、私を止めてほしいの」
「……!」
ユナの息が詰まった。
意味を完全に理解したわけではない。
それでも、それが恐ろしいことだけは分かった。
「お願い、ユナ」
ユリは続ける。
「これは、一族の力を誰より強く受け継いだ、あなたにしか頼めないことなの」
母の声なのに、遠くから聞こえるようだった。
「そんなの……」
ユナは拳を握りしめる。
「勝手すぎるよ……!」
母を助けたい。
それなのに、母を止める役目を押し付けられている。
ユリは何も言い返さなかった。
ただ、戸惑う娘の手を取る。
その手は、あたたかい。
けれど、そこに込められた決意だけは冷たかった。
ユリは、ユナの指に指輪をはめる。
青白い光が、脈打つように灯った。
その瞬間。
ユナには、この指輪から逃げられなくなったように感じた。
***
ユナは自分の部屋へ戻ると、ドアを閉めた。
その瞬間、全身から力が抜ける。
ベッドへ潜り込み、顔を枕に埋めた。
声を殺そうとしても、涙が止まらない。
「ママなんて……」
言葉が途切れる。
胸の奥が痛い。
それでも、もう一度吐き出す。
「……大嫌い……!」
口にした瞬間、胸がさらに痛くなった。
部屋の中を、ドローンモードのピコが浮かんでいる。
「ユナ……」
困ったような声。
何を言えばいいのか分からない。
何をしてあげればいいのかも分からない。
だから、ただそばにいる。
ユナの小さな泣き声が、部屋の中に残り続けていた。
あの日、花畑で交わした約束。
「人の心をつなぐ仕事がしたい」
その夢のすぐ隣に――
母を止めるという、残酷な使命が置かれた。
十二歳のユナは、まだ知らなかった。
この指輪が、いつか自分の人生そのものを変えることを。
そして――
母との別れへ続く、最初の一歩になることを。




