第10話③「この世の果てのカフェ」
第82地区、廃墟エリア。
廃ビルの一室に、朝日が差し込んでいた。
割れた窓から入り込んだ光が、床に長い線を描いている。
「んっ……」
カイが目を覚ました。
寝ぼけた目で周囲を見回し、自分が横たわっているものに気づく。
キングサイズのベッド。
しかも、ふかふかの羽毛布団付きだった。
「カイ、おはようございます。よく眠れましたか?」
ピコが、ベッドの脇で浮遊している。
「ああ。これ以上ないくらいな」
体を起こしながら、カイは布団を押してみる。
「こんなベッドを作り出すなんて、ユナの指輪の力はすごいけど……なんか、逃避行感がないな」
「こういうとき映画では、コンクリートの床に雑魚寝ですもんね」
「背中バキバキになって、『これが現実だ』ってやつな」
カイが隣を見る。
そこではユナが丸まって眠っていた。
シルクのパジャマに、ナイトキャップ。
廃墟にはあまりにも似合わない、優雅な寝姿だった。
「うーん、もう食べられないよお……」
どうやら楽しい夢を見ているらしい。
「この状況で、どんな夢見てんだよ……」
カイは苦笑した。
「ほんと、緊張感ねえな」
外からは、遠くサイレンの音が聞こえている。
それでも、この部屋だけは不思議なほど穏やかだった。
やがてユナも目を覚まし、三人は今後の対応について話し合った。
「最終的には、システムの中枢に入り込む必要があるけど、そこに至るまで、どうするか……」
「昨日のドローンや警備ロボの数、見ただろ? システム中枢となると、あれ以上の数を突破しなくちゃならない。簡単じゃねえぞ」
「しばらくは潜伏先を変えつつ、逃げ続けるのが基本路線かと」
「その心は?」
「ドローンにしろ警備ロボにしろ、我々を拘束するために、あれだけのリソースを投入し続けるのはコスト面から現実的ではありません」
ピコは周囲の情報を確認しながら続けた。
「時間が経てば、捜索や警備の数が減る可能性が高いと予想されます。それまで待つのが得策です」
「そうだな。それに、逃げて時間稼ぎをしながら、並行してシステムの情報発信源を特定する必要もある」
「わかった。しばらくはアドレスホッパー生活だね♪」
そのとき、ガスバーナーにかけていたコッヘルが、しゅんしゅんと音を立てた。
「おっ、沸いた沸いた」
ユナは慣れた手つきでシェラカップにコーヒーを注ぐ。
「はい、逃避行モーニング♪」
「軽いなあ……。完全に指名手配犯だぞ、俺たち」
「現在、逃亡成功率は23%です」
「大丈夫大丈夫!」
「ほんと、悲壮感ねえな、おまえは」
カイは苦笑しながらコーヒーをすすった。
苦みの奥に、ほんの少しだけ甘みを感じた。
廃ビルでの潜伏生活は三日間続いた。
同じ場所に留まり続けるのは危険だ。
次の隠れ家を探すため、三人は再びホバービークルに乗り込んだ。
「さて、どこに向かう?」
「ん〜、海行きたーい」
「旅行じゃないんだぞ!」
「えー、逃避行ってそういうものでしょ?」
「どんな解釈してんだよ!」
ピコが地図を検索する。
「ここから南下したところに、閉鎖されたビーチがあります。周囲に建物が少なく、身を隠すには適しています」
「いや、あるんかい!」
「やったーっ! 海だーっ!」
ユナが車内で跳ねる。
「テンションが完全に夏休みなんだよ……」
ホバービークルは南へ向かって走り出した。
監視カメラに姿を捉えられないよう、ユナは指輪の力を使って周囲の認識を書き換えている。
「つくづく、おまえの能力はチートだな」
「ふふーん、すごいでしょ?」
ユナが得意げに胸を張る。
「まさに逃走には、これ以上ないくらい便利ですね。車の外見を変えたり、変装したりする必要もありません」
そのとき、カイが対向車を見て眉をひそめた。
「なんだあ?」
「どうしたの?」
「さっきから、すれ違う車に乗ってる人がみんな驚いた顔をしてるんだが、どんな姿を見せているんだ?」
「大丈夫! 絶対バレないように、カイは猿で、私は犬に見せているから」
「はあっ!?」
カイが絶叫する。
「猿が運転してたら逆に目立ちすぎだろ! いますぐ変えろ!」
「えっ、逆がよかった?」
「そうじゃねえ!」
ピコが淡々と告げる。
「ちなみに現在SNS上で、『天才すぎる猿ドライバー』が話題になり始めています」
「もう手遅れじゃねえか!」
「バズってるならセーフ!」
「アウトだよ!」
数時間後。
猿がホバービークルを運転する謎の映像が、ネットを騒がせることになる。
やがて三人は海へ到着した。
かつてホテルや店が立ち並んでいたであろう海沿いのメインストリートは、看板が色あせ、シャッターが閉ざされ、ゴーストタウンと化している。
人の気配はない。
聞こえるのは、波の音だけだった。
「どうして、こんなに寂れちゃったの?」
ユナが海を眺める。
「以前は多くの観光客が訪れるビーチだったようですが、タンカーの座礁によって重油が流出し、閉鎖されたとのことです」
「そうか、それで……」
見た目だけなら、美しい海だった。
しかし、潮に混じって、わずかに油の匂いがする。
ユナは海岸沿いに残された建物を指差した。
「ねえ、あの廃屋、カフェだったんじゃない?」
「確かに、それっぽいですね」
「よし! 次の潜伏先はあそこに決定!」
「相変わらず軽いな」
そう言いながら、カイはその建物を見つめた。
なぜか少し懐かしい。
ユナにとっても、カイにとっても、カフェは心のよりどころになっていた。
三人は建物の中へ入った。
ドアを開けると、砂が舞い上がる。
「意外ときれいですね」
ユナはカウンターをくぐり、キッチンを覗き込んだ。
「すごい。設備、そのままだよ」
「タンカーが座礁したときに、そのまま残されたのかな」
ユナはすでにキッチンを使い始めていた。
「おい、何やってんだ!」
「ふふ。逃げながらでも、おいしいものは必要でしょ?」
途中で調達した食材を使い、ユナは料理を始めた。
やがて、ロコモコと野菜サラダがテーブルに並ぶ。
カイが一口食べる。
「……うまい!」
その言葉が、誰もいない店内によく響いた。
「ずっとガスバーナーしか使えなかったから、ちゃんとしたキッチンで料理できるの、うれしいね」
食事を終えると、ユナはエスプレッソと一口サイズのアイスを取り出した。
「アフォガード・リベルタか……」
カイが呟く。
ほんの数日前まで、これを《Analog Mind Café》で客に出していた。
今では、ずっと昔の出来事のように感じられる。
「こういうときこそ、リベルターー。自由にいこうよ」
「いいですね。逃避行と自由がリンクする感じです」
外では波が寄せては返していた。
太陽が水平線へ沈み、空がゆっくりと色を失っていく。
カイは海岸に打ち上げられた流木を集め、焚き火を起こした。
火が灯る。
「……キャンプみたいだね」
「まあ、キャンプなんだけどな」
「もう、言いたいことわかるでしょ?」
「ああ、わかるよ」
二人は焚き火を眺めた。
やがてユナがカイの肩にもたれかかる。
「こうやって……ずっと逃げながら生活するのも、悪くないような気がしてきた」
「そっか……」
カイは焚き火に流木をくべた。
火が少し強くなる。
「それとも……システムが及ばないような山奥で、動物相手にカフェでもやろうかな。リスとか、キツネとか、クマ相手に」
「クマは怖いから嫌だな」
「ダメだよ、お客さん選んじゃ」
ユナが笑う。
火が爆ぜた。
その音に誘われるように、ユナがそっと顔を寄せる。
「んっ……」
二人の唇が重なった。
やがてユナが顔を離す。
「……ごめんね。私のせいで、こんなことになっちゃって……」
「珍しいな。ユナがそんなこと言うなんて」
「なによ。こういうときは『そんなことないよ』って言うもんでしょ」
「絶対、言わない」
「ケチ……」
ユナが頬を膨らませる。
カイは小さく笑い、ユナの肩を強く抱いた。
その温もりだけが、確かな現実だった。
二人が空を見上げる。
いつの間にか、満天の星が広がっていた。
世界から取り残されたような場所。
それでも、この場所には確かなぬくもりがある。
システムに追われる二人にとって、それは皮肉なほど穏やかな時間だった。
自由とは何なのか。
逃げ続けることなのか。
誰かに決められた世界から離れることなのか。
それとも――
誰かと一緒に、自分たちの未来を選ぶことなのか。
その答えを、まだ二人は知らなかった。
ただ、この夜だけは。
二人とも、自分たちの人生を自分たちで選んでいるような気がしていた。
《第10話・終わり》
次回予告
「守りたかったものは、こんな形でぶつかるためにあったわけじゃないのに。
真実を暴くための一手が、世界そのものを揺らし始める。
繋がるはずだったものは歪み、選ばなかった答えが牙を剥く。
踏み込んだ先は、“虚数”。
そこは、正しさすら保証されない場所。
それでも私は――
いや、私たちは止まらない。
次回、『フラグメンツ・オブ・トゥルース ~最後の投擲~』
第11話「突入、虚数ノード」。
私なりのやり方って、何だろう。
※作者の活動報告に各話のコメントを書いています。
https://syosetu.com/userblog/list/




