第5話④「俺と――!」
ユナは、カイの肩にもたれたまま眠っていた。
微かに上下する肩。
規則正しく続く寝息。
どれくらいの時間が過ぎたのか、カイにはわからなかった。
ほんの数分だったのかもしれない。
それでも、その時間は妙に長く感じられた。
まるで、二人だけの世界に閉じ込められたような、不思議な時間だった。
「……んっ」
ユナが小さく身じろぎする。
やがて、ゆっくりとまぶたが開いた。
「あれ……」
まだ眠気の残った声だった。
「私、寝てた?」
「ええ」
すぐそばからピコの声が返ってくる。
「それはもう、とても気持ちよさそうに」
ユナは横を見る。
そこには、ほとんど身動きせず座り続けていたカイがいた。
「あ……」
少し申し訳なさそうに笑う。
「ごめんね。動けなかったでしょ?」
「いや。休めたなら、何よりだ」
カイは照れくさそうに笑った。
ユナは立ち上がると、両腕を上げて大きく伸びをする。
「んーっ……!」
身体をほぐすと、カウンターへ戻ろうと歩き出す。
ところが――
ふと、足を止めた。
くるりと振り返る。
そこには、先ほどまでの眠そうな表情とは別人のような、満面の笑顔があった。
「ねえ、カイ」
「ん?」
「カイの隣で眠るの、すっごく気持ちよかった」
「……」
「また、枕がわりになってくれる?」
直撃だった。
カイの顔が、一瞬で真っ赤になる。
その横で、ピコのセンサーが高速回転を始めた。
(ユナ……この破壊力は絶大です! これでやられない男性はいません! 完璧な作戦です!)
ただし――本人には、作戦という自覚がまったくなかった。
カイは拳を握りしめる。
(ここだ……!)
(今しかない。今、言うんだ……!)
ピコの表示がさらに激しく点滅する。
(顔面温度、さらに上昇! 告白予想――120%!)
カイが勢いよく立ち上がった。
「ユナ。俺と――!」
ユナの目が大きく見開かれる。
(こ、これ……まさか……!)
そのときだった。
「ユナー、ちょっといい?」
カイとユナの動きが、同時に止まった。
カウンターの奥から姿を現したのは、サクラだった。
カフェの地下にある企業に勤める社員で、以前からこの店を利用している。
「サ、サクラ!? いきなり何よ!」
「ラテ飲みたくなっちゃって。作ってもらえる?」
にこにこと笑うサクラ。
ユナの眉がぴくりと動いた。
「ああもう、わかったわよ! ちょっと待ってて!」
ガシャン、ガシャン!
怒りをぶつけるような勢いでラテを作る。
「へい、お待ち!」
ドン!
カップがカウンターに置かれた。
「……なんか、居酒屋みたいね」
「今、忙しかったの! 空気読んでよね!」
「忙しいって……」
サクラは店内を見渡す。
客はカイとピコだけ。
そして、カイに視線を止めた。
「あれ? あなた、この前の……カイ、だっけ?」
「あ、どうも……」
なんとも間の抜けた挨拶。
その瞬間、サクラの目がきらりと光った。
「ははーん。あなたたち……そういうことね?」
「“そういうこと”って……何よ!」
ユナの顔が一気に赤くなる。
「付き合ってるなら、そう言えばいいのに」
「ち、違う! まだ、そんな……!」
必死に否定するユナ。
カイも気まずそうに視線を落とした。
サクラは楽しそうに笑う。
「はいはい。お邪魔虫は退散するわ。ラテ、ありがとね」
カップを持ち上げ、ウインクする。
「じゃ、ゆっくりどうぞ」
「もう! 違うって言ってるのに!」
サクラはそのままカウンターの奥へ消えていった。
ピコが二人を交互に見る。
(いや……むしろ、歓迎すべき後押しなのでは?)
どうやら、この二人の恋愛には、本人たち以外のほうが状況を理解しているらしい。
カイは先ほどのやり取りを思い返していた。
ユナは慌てて否定した。
けれど――本気で嫌がっていたようには見えなかった。
むしろ、顔は赤くなっていた。
(これは……脈ありだ)
カイの直感が告げる。
(行け。今行かないと、絶対に後悔する)
カイはユナを見る。
その瞬間、二人の視線がぶつかった。
「……」
「……」
互いに慌てて目を逸らす。
カイの胸が激しく鳴った。
(よし……!)
カイは一歩踏み出した。
そして――ユナの手をつかむ。
「えっ……!」
ユナの声が裏返った。
ピコのテンションが一気に跳ね上がる。
(キターーーッ! これはもうテッパン中のテッパンです! 成功率、ほぼ100%!)
カイはユナの目を見つめた。
「ユナ! 俺と――!」
「ひゃっ、ひゃい!」
ユナも完全に覚悟を決めた。
ところが。
ピリリ、ピリリ。
ポケットの端末が震えた。
カイの顔が引きつる。
反射的に通信を取ってしまった。相手は修理屋のマイク。AI関連の仕事のエージェントもしている。
「カイ、緊急依頼だ!」
「ああ! もう!」
「ど、どうした!? 何かあったのか?」
「い、いや……なんでもない。こっちの話だ」
カイは頭を抱えたくなった。
しかし、マイクの声はすぐに仕事モードへ戻る。
「AI異常の発生だ。データ改ざんの兆候が出ている」
「なんだって?」
「アストラシティ全域で、ニュース、監視映像、SNS……あらゆる情報がフェイク化し始めている」
カイの表情が変わった。
「規模がでかいな」
「データ管理省も動いているが、人手が足りない。フリーのおまえたちにも協力要請が出た」
「場所は?」
「アストラタワー。現場判断で動いてくれ」
通信が切れた。
カイが端末を下ろすと、ユナが尋ねる。
「事件?」
「ああ。大規模なAI異常だ。アストラタワーに向かう」
ユナは少し考え――すぐに笑った。
「じゃあ、お店は臨時休業だね」
「いいのか?」
「“トラブル・イズ・マイ・ビジネス”よ」
ユナはカイへ一歩近づく。
「それに――私たち、最高のコンビでしょ?」
カイも自然に笑った。
「……ああ。行くか」
「うん!」
店のドアに《本日、休業》の札が掛けられる。
カイは歩きながら、心の中で呟いた。
(残念だが……告白は延期だな)
その隣では、ユナも悔しそうに頬を膨らませている。
(ああもう! いいところだったのにぃーっ!)
そんな二人を見ながら、ピコはくるりと回転した。
(ここまで横槍が入るとは……確率論を超えています。神の意思が働いているとしか思えませんね)
三人は、アストラシティの中心部へ向かった。
目的地は――アストラタワー。
都市の中心にそびえ立つ、世界連合政府の中枢だった。
雲海を貫く巨大な塔。
世界中の情報、意思決定、監視網が集約され、人類の知性と権力を積み上げたその姿は、まさに現代のバベルの塔だった。
しかし、その正面エントランスには、人の姿がなかった。
警備ドローンも動いていない。
自動ドアも閉ざされたままだ。
「現場は……50階だ」
端末を確認したカイが言う。
「……静かすぎない?」
ユナが周囲を見る。
「なんか、嫌な予感する」
「AI異常の影響か」
カイとピコが、物理ポートと無線の両方からロック解除を試みる。
「アクセス要求、応答なし」
「くそっ。時間がないってのに……!」
するとユナが、塔を見上げた。
「ねえ……ジャンプして、50階まで行けないかなあ」
「……無茶言うな!」
「その手で行きましょうか」
「「……え?」」
カイとユナが同時にピコを見る。
「問題ありません」
ピコの目が、きらりと光った。
「ちびピコたち、集合~っ!」
次の瞬間。
ビルの影や空中から、無数の小型ドローンが飛来した。
「……なんだ、あれ?」
「きゃー! ちっちゃいピコじゃん! かわいい……♡」
丸みを帯びたボディ。
ピコそっくりの目。
「我が弟、妹――ちびピコたちです」
ピコが胸を張る。
「物理演算、最大出力。空力制御、開始!」
「おーっ!」
ちびピコたちが地表近くへ降下する。
六角形の機体が連結し、ハニカム状の巨大な足場を形成した。
「カイ、ユナ。そのまま上に乗ってください」
「これ、本当に大丈夫なんだろうな?」
「行ける行ける。落ちたら、落ちたとき!」
「フォローになってねえ!」
二人が足場へ乗る。
底部ユニットが唸り、超高速吸気システムが起動した。
周囲の空気が一気に吸い込まれ、圧縮された空気が強烈な推進力へ変換されていく。
「……おい。これ、ヤバくねえか?」
「安心してください。計算上は完璧です」
「“計算上”って言うな!」
「カウントダウン、開始します」
ピコの顔に数字が表示される。
「3」
「2」
「1」
「発射!」
――ドンッ!!
圧縮空気が一斉に噴射され、二人の身体が空へ打ち上げられた。
「わっ! わっ! わぁぁーーっ!」
「すごーい! カイ、見て! 私たち飛んでるよ!」
興奮したユナが、反射的にカイへ抱きつく。
「おいっ! こんなところでくっつくな!」
「まあまあ、いいじゃない♪」
二人は人間ロケットのように上昇していく。
「目的高度まで、あと少しです。しっかり掴まっていてくださいね」
「今さら言うなーーっ!」
眼下の街が、どんどん小さくなる。
「おい! どこに着地するつもりなんだ!?」
「50階には《空中庭園》と呼ばれるテラスがあります。そこへ降下します」
「それなら――」
ユナが指差した。
「あっ、見て! あそこ!」
ビルの中腹に、緑豊かなテラスが見える。
だが――
二人はそのまま通り過ぎた。
「おいおい! 完全に行き過ぎてるだろ!?」
「うーん……少々、出力が強すぎましたか」
「“少々”で済ませるな!」
「届かないよりはマシでしょう」
「そうそう。ご飯だって、大盛りのほうがうれしいもんね」
「今の状況とメシを一緒にするな!」
上昇が止まった。
そして――身体が落ち始める。
「……来るぞ」
「あ、これ、落ちるやつだ」
「うわーっ!」
「きゃー♡」
空中庭園が迫ってくる。
「やばい! このままじゃ――」
「ねえ、カイ! いいこと思いついちゃった!」
「どうせロクなことじゃないだろ!」
「ここから一回転して、ヒーロー着地すればいけるんじゃない?」
「マンガじゃねえんだぞ!?」
床が目前まで迫った。
その瞬間――
ふわり。
落下速度が急激に落ちた。
「……?」
「重力フィールドを展開しました。落下速度を完全に相殺しています」
「さすがピコ! ありがとう!」
「できるなら、最初から言え!!」
二人の身体はゆっくりと下降し、やがて空中庭園の床へ着地した。
「……生きてる」
「遊園地のアトラクションみたいで楽しかったね」
「二度とやらん」
「では、次は安全第一で参りましょう」
「信用できるか!」
三人は周囲を見回した。
都市の中心にあるはずの空中庭園には、人の姿がない。
警備ドローンも、監視カメラも動いていない。
「……ねえ」
ユナが小さく呟く。
「ここが現場ってわりには、静かすぎない?」
「ああ」
カイは表情を引き締めた。
「嫌な予感がする」
そのときだった。
庭園の奥にある自動ドアが、誰にも触れられていないのに、ゆっくりと開き始めた。
ピコのセンサーが警告音を発する。
「……カイ。ユナ」
二人が振り向く。
「内部ネットワーク反応――完全に“無音”です」
カイの表情が険しくなる。
AIが、一体も動いていない。
都市の中枢を支える巨大なシステムが、まるごと沈黙している。
開いた扉の向こうから、冷たい風が流れてきた。
その先には、光の届かないタワー内部が広がっている。
カイ、ユナ、ピコは顔を見合わせた。
そして三人は、未知の闇へ足を踏み入れた。
――アストラタワーで起きている異常。
それは、単なるAIの故障ではなかった。
世界そのものを覆い始めた「嘘」の入口だった。
《第5話・終わり》
次回予告
「嘘が世界を覆うとき、真実はどこにあるのか。
AIが生み出すフェイクの迷宮で、俺たちは“現実”そのものを試される。
仮想層に潜る俺とユナ。
チェスの盤上に広がる戦場。
そして、そこに現れる偽りの王。
その先で、運命は動き始める。
次回――
『フラグメンツ・オブ・トゥルース ~最後の投擲~』
第6話「リアライズ」
最後に信じられるのは、
この世界ではなく――おまえなのかもしれない。」
※作者の活動報告に各話のコメントを書いています。
https://syosetu.com/userblog/list/




