第5話③「肩にもたれて」
《Analog Mind Café》。
店の前で、カイは足を止めた。
小さく息を吸い、ゆっくり吐く。
(……落ち着け)
一度だけ深呼吸をして、ドアを押した。
チリン……
鈴の音がやさしく鳴る。
午後の光がガラス越しに差し込み、店内を柔らかく満たしていた。
焙煎した豆の香り。
アナログレコードから流れる、少しかすれたジャズ。
いつもと変わらない、穏やかなカフェの空気。
その瞬間――。
(あっ……カイ!)
ユナの胸が、どっきーん! と大きく跳ねた。
鼓動が一気に速くなる。
顔が、みるみる赤くなっていく。
(き、来た……!)
慌ててカウンターの向こうへ視線を落とし、カイに気づかれないよう顔を背ける。
(これ……大丈夫ですかね……)
ドローンモードのピコがホバリングしながら、ユナを観察する。
しかし――。
「あら、いらっしゃい、カイ」
ユナはくるりと振り向いた。
その表情は、いつも通り。
柔らかな笑顔。
落ち着いた声。
「コーヒー、いつもの?」
(す、すごい……!)
ピコが即座に分析モードへ移行する。
(心拍数+25%。顔面温度+3℃。それでも表情制御100%……)
驚異的なデータが表示される。
(ユナの女優魂を見ました……!)
「あっ、ああ……」
一方のカイは、明らかにぎこちなかった。
視線が泳ぐ。
返事も少し遅れる。
ピコが、ひょいとカイへ近づいた。
(むっ……)
スキャン開始。
(心拍数上昇。視線不安定。発汗率、平常比+20%)
さらにデータを解析する。
(告白予想――80%)
ピコは小さく回転した。
(両想い確定じゃないですか)
どうやら、何も心配はいらないらしい。
(これは放っておいても成功するパターンですね)
ピコはカイの耳元へ近づいた。
「……カイ、がんばってください」
「……やめろ」
低い声が返ってくる。
「うわー、逃げろー」
楽しそうに言うと、ピコはふわふわと天井近くまで退避した。
その様子をユナがちらっと見る。
そして、また少しだけ顔を赤くした。
***
ドリップマシンから、ぽた……ぽた……と湯が落ちる。
店内には、レコードのかすれたジャズが流れていた。
ユナは手際よくコーヒーを淹れる。
「ユナ」
「ん?」
「それ、コーヒーカップじゃなくて、どんぶりだぞ」
「あっ」
ユナが手元を見る。
確かに、どんぶりだった。
「ああっ、ご、ごめんなさい!」
慌てて持ち上げる。
「な、なんでこんなところにどんぶりが……」
ぎこちない笑顔。
カイは何も言わない。
ユナも何も言えない。
(やはり……大丈夫ではないようですね)
ピコはふわりと浮かびながら、二人を観察していた。
ユナは咳払いをすると、もう一度コーヒーを淹れ直す。
今度は、少し大きめのマグカップ。
それをカイの前に、そっと置いた。
「はい」
少し得意げに笑う。
「今日は、いつもより濃くて苦くしてみたわ♪」
「ありがとう」
――コーヒーは、苦くてなんぼ。
二人だけの、ささやかな合言葉だった。
カイはカップを持ち上げ、一口すする。
「……うん」
小さく頷く。
「うまい」
「でしょ?」
ユナは嬉しそうに笑った。
そして自分の分のコーヒーを淹れる。
カップを持ってカウンターを回り込み、カイの隣に腰を下ろした。
「おい」
カイが少し驚く。
「店、いいのか?」
「お客さん来たら戻るから大丈夫」
ユナは肩をすくめた。
そして、少しだけ視線を逸らす。
「それに……今は、こうしていたい気分なの」
二人は並んで座った。
同じ方向を向いたまま、コーヒーを飲む。
レコードの針が、かすかに鳴る。
窓から差す木漏れ日が、テーブルの上で揺れていた。
穏やかな昼下がり。
なのに――。
二人の胸は、まったく落ち着いていなかった。
いつ切り出すか。
どんな言葉で伝えるか。
そのことばかりが頭の中を駆け巡る。
(とりあえず、隣に座ってみたけど……)
ユナがちらりとカイを見る。
すぐに目を逸らす。
(ここから、どうやって告白される流れに持っていけば……)
一方のカイは、カップを見つめていた。
(店内は二人きり。しかもユナが隣にいる)
小さく息を吸う。
(これは……チャンスだ)
ユナも必死に考えていた。
(なにか……盛り上がる話題とか……)
少しだけ身体を寄せる。
(軽くボディタッチとか……?)
想像しただけで、胸がドキドキする。
そして――。
(よし……今だ!)
カイとユナが、同時に口を開こうとした。
そのときだった。
(あれ……?)
ユナの視界が、ふっと揺れる。
(やば……)
昨夜までの疲れが、一気に押し寄せてきた。
(こんな……ときに……)
まぶたが重くなる。
(寝ちゃ……ダメ……)
すとん。
「……え?」
カイの肩に、わずかな重みがかかった。
横を見る。
ユナの頭が、カイの肩に寄りかかっていた。
「……」
すう……。
小さな寝息。
ユナは、いつの間にか眠っていた。
ピコがそっと覗き込む。
「相当、疲れていたようですね」
「……?」
「ここ最近、ずっと夜遅くまで新作メニューの試作をしていましたから」
「……そうか」
カイの肩に、ユナの温もりが伝わってくる。
規則正しい寝息。
その無防備な姿を見つめ、カイの表情が少しずつ和らいだ。
やがて、カイは小さく笑う。
この距離。
この時間。
今は――それで十分だった。
胸の奥にしまいかけていた言葉を、カイはもう一度、そっとしまい直す。
ユナの寝息が、首筋をくすぐるように続いていた。




