第5話①「資格者」
データの光が、闇の奥で静かに交錯していた。
そこは物理空間ではない。
演算と観測だけで構成された、冷たい思考の深層。
無機質なAI音声が、互いに応答する。
声の主は二つ。
識別名は――“A”と“D”。
「報告。すでに“B”および“C”は掌握下に置いた」
「想定通りだね。これで僕らの判断に逆らう存在は、表層世界からは消えた」
「……だが、ひとつ懸念が残る」
「懸念って、何?」
わずかな演算遅延。
それは感情ではない。
だが、“違和感”に近いものだった。
「“B”も“C”も――“剣”を所持していなかった」
「……えっ?」
演算空間の温度が下がる。
「“剣”は、システムにとって最大級の不確定要素じゃん。未回収のままなんて、許容できないな」
暗闇の中心に、ホログラムスクリーンが展開された。
映し出されたのは、先日のドローン暴走事件。
走る人影。
空を切り裂くドローン。
そして――
カイ・セイラン。
ユナ・セラフィム。
ピコ。
「……この三者の中に、“資格者”が存在する可能性が高い」
「確率は?」
「許容範囲を超えている」
「なら、結論は一つだね」
「“資格者”を捕捉し、“剣”を回収する」
「うん。それが、僕らが存続するための最適解だね」
「……そう、最適解だ」
ホログラムが消える。
闇が再び、すべてを飲み込む。
だが、その闇の奥では――すでに“観測”が始まっていた。
***
アストラシティ郊外。
再開発の波から取り残されたような、下町の風情が残る一角。
古びた二階建ての建物に、少し色あせた看板がぶら下がっている。
“Kai Seiran : AI Troubleshooting & Innovation”
――《カイ・セイランのAI問題何でも屋》。
一階が仕事場で、二階が生活スペースだ。
仕事場の机には、量子分析アナライザー、因果ログ・リコンストラクター、リアリティ・アンカー。
現場で使う装置が、思考の延長のように無造作に並んでいる。
その片隅では、テレビがつけっぱなしになっていた。
「……次のニュースです。世界連合政府は本日、《シン統治システム》に関する包括的な法改正案を提出しました」
画面には、一人の女性が映っている。
世界連合政府・国務長官、リー・マルチナ・セイラン。
柔和な微笑み。
穏やかで、どこか母性的な雰囲気。
とても世界の命運を左右する政治家には見えない。
「今回の改正案では、AIの判断プロセスの一部公開、緊急時におけるシステム単独判断の制限などが盛り込まれており――」
だが、カイはニュースを見ていなかった。
視線は机の上。
意識は、そこにはない。
頭に浮かぶのは――ユナのことばかりだった。
(あいつ……何者なんだろうな)
強くて。
まっすぐで。
無茶苦茶で。
危なっかしいくせに、妙に頼りになる。
それなのに、ふとした瞬間には、置き去りにされた子どものような寂しさを見せる。
カイは目を閉じた。
浮かぶのは、ユナの笑顔。
横顔。
後ろ姿。
そして――声。
「……」
胸に手を当てる。
鼓動が、妙に速い。
「これって……“本気で好き”ってやつか」
自分で口にして、苦笑する。
「やれやれ……思春期のガキじゃあるまいし」
これまで付き合った女性は何人かいた。
だが、こんな感覚は本当に久しぶりだった。
記憶が、ゆっくり過去へ引き戻される。
――データ解析士だった頃。
「……ミナ」
同僚だった女性。
カイは密かに彼女を想っていた。
だが、親友のゲーツも同じ気持ちを抱いていると知った。
だから、何も言わなかった。
仲間のハルと協力し、むしろ二人が付き合うように仕向けた。
やがて、ミナとゲーツは恋人になった。
カイは心から祝福した。
……はずだった。
カイは窓の外を見る。
下町の路地に、穏やかな午後の光が差し込んでいる。
あの出来事以来、自分はどこかで、人を好きになる気持ちにブレーキをかけていたのかもしれない。
だが――今は違う。
もう、止められなかった。
カイは机の前に立ち尽くした。
そして、勢いよく立ち上がる。
椅子が、きい、と鳴った。
「……よし」
小さく呟く。
「決めた」
誰に聞かせるでもない。
カイは、そのまま外へ飛び出した。
午後の空気が、やけに眩しかった。
――その頃。
彼が向かおうとしている場所では、別の決意が生まれようとしていた。
そのことをカイはまだ知らない。




