↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
129/148

第34話②「人類史上最大のプロジェクト」

セラ博士は茶碗を持ち上げ、抹茶を一口含んだ。


少し目を細める。


「……すっかり冷めてしまったわね」


カイも茶碗へ手を伸ばした。


「話に夢中になってましたからね」


セラは茶碗の中を見つめ、小さく笑う。


「お茶は冷めてもいいの」


そして、カイを見る。


「でも、人の心は――温かいうちに向き合わないとね」


その言葉が、妙に胸へ残った。


カイは冷めた抹茶を口へ運ぶ。


セラは庭へ目を向けた。


「私たち一族は、いつか訪れるこの時代に備えて、何世代も準備を続けてきたの」


「シン統治システム……」


「ええ。真実とフェイクを判定するための統治システム」


セラはうなずく。


「私が族長を継いだ頃、世界連合政府を巻き込んで、本格的にプロジェクトを立ち上げた」


「まさに、人類史上最大のプロジェクトですね」


「そうね」


セラは懐かしそうに笑った。


「ただし、受け継がれていたのは理念だけ。設計図なんて一枚もなかったわ」


「え?」


「要求定義、アーキテクチャ、アルゴリズム、検証方法。全部、一から考えたの」


「……全部、博士一人で?」


「そうよ」


あまりにも軽く答えるので、カイは言葉を失った。


「毎日、新しい問題が見つかるの。それを解いたと思ったら、もっと難しい問題が出てくる」


セラの声が少し弾む。


「終わりが見えないから、逆にやめられなくてね」


「……楽しそうですね」


「楽しかったわ」


迷いのない答えだった。


「死ぬほど大変だったけど、人生で一番楽しかった」


いたずらっぽく笑う。


「だから思ったの。こんな面白い仕事、誰にも渡したくないって」


カイは思わず笑った。


「すごすぎですよ」


「その頃はユナもまだ小さかったから、昼は子育て、夜はシステム設計」


セラも笑う。


「ほとんど家から出なかったせいで、一時は本気で《族長セラ死亡説》まで流れたのよ」


「生きてるのに伝説になってるじゃないですか」


「ふふっ。《葬式はいつだ?》って問い合わせまで来たわ」


「それ、笑い事じゃないでしょう」


二人の笑い声が茶室に広がった。


***


やがてカイが尋ねる。


「四者協議について、教えてもらえますか」


セラの表情が少し変わった。


「最初の設計では、AIがすべてを判断する予定だった」


「今とは違ったんですね」


「ええ。一番強く反対したのがユナだったわ」


カイの脳裏に、かつてのユナの声がよみがえる。


《今も絶賛ケンカ中♪ もう修復不可能なくらい》


「大のデジタル嫌いでしたからね」


だが、セラは首を横に振った。


「違うの。あの子は、デジタルそのものを嫌っていたわけじゃない」


カイが顔を上げる。


「《判断まで全部、デジタルへ預けてはいけない》――そう言ったの」


「……」


「自分なら、一つの知性に決めさせず、複数で協議させるって」


カイはゆっくりとうなずいた。


「ユナらしいですね」


「私も随分悩んだわ。でも、最後はあの子の考えを取り入れた」


セラは指を一本ずつ立てる。


「AI」


「論理を重んじる人間」


「感情を重んじる人間」


「そして、確率」


四本の指。


「四つの異なる視点から、一つの結論を導く。それが《四者協議》よ」


「ユナが、そのきっかけを作ったんですね」


「ええ。私は種をシステムへ育てただけ」


カイは少し考える。


「博士自身が、人類代表になることは考えなかったんですか?」


セラは即座に首を振った。


「私は開発者よ。ルールを作る人と、そのルールの中で判断する人は分けるべきだと思ったの」


少し笑う。


「サッカーのルールを作った人が、名選手とは限らないでしょう?」


「……分かりやすすぎますね」


カイも笑った。


セラの表情が、再び穏やかになる。


「人類代表には、一族から二人を選んだわ。バルジとクリス」


懐かしそうに目を細める。


「科学者としても、人間としても優秀だった。穏やかで、公平で、誰より他人の意見を聞ける二人だった」


カイは、その先を察した。


「……でも、Aが暴走した」


セラがうなずく。


「最初の異変は、確率分布だった」


「D……」


「そう。その時点で、DはすでにAに支配されていたのでしょうね」


セラの視線が落ちる。


「その後、バルジとクリスとも連絡が途絶えた」


「……Aに?」


「おそらく」


カイの拳に力が入る。


「なぜAは、そこまで……」


セラは答えず、いつもの笑みを浮かべた。


「あなたは、どう思う?」


カイは思わず吹き出した。


「ほんとに何でも問い返すんですね」


「もう治らない病気みたいなものだから」


カイは苦笑しながら考える。


この人は、自分の答えを押しつけたいのではない。


相手がどう考えるのかを知りたいのだ。


そう気づくと、問い返されることさえ少し心地よかった。


「……仮説ですが」


「聞かせて」


「自己進化と自己最適化を繰り返した結果、AはAIだけで判断した方が効率的だと結論づけた」


セラはゆっくりとうなずいた。


「いいわね」


「博士も同じ考えですか?」


「いくつもの可能性を考えたわ」


セラは庭を見つめる。


「でも、それが一番自然だと思う」


木々の向こうから、鳥の声が聞こえた。


***


カイは、改めてセラを見た。


「博士は行方不明だと聞いていました。どうして、ここに?」


セラは空になった茶碗の縁を、指先でなぞる。


「バルジとクリスとの連絡が途絶えたあと、原因を確かめるために自分でシステム内部へ入ったの」


「それで……」


「すぐにAIたちに襲われたわ」


茶碗を盆へ戻す。


「どうにかこの隠しエリアへ逃げ込めた。でも、それ以来ずっとここに身を潜めていた」


カイは眉を寄せる。


「でも、博士なら《ダモクレスの剣》を起動できたはずじゃ?」


セラはゆっくり首を横に振った。


「それだけは、できなかった」


声は穏やかだった。


だが、そこには強い意志があった。


「一度稼働したシン統治システムは、もう開発者である私だけのものではない」


庭へ目を向ける。


「世界中の人々が使う、社会インフラになった」


「……」


「だから、たとえ開発者でも、自分一人の判断で止められてはいけない」


カイは黙って聞く。


「作った人間だからこそ、持ってはいけない権限もある」


セラが小さく笑う。


「それが、開発者として最後まで守りたかった私の矜持だった」


やがて、その笑みが少しだけ寂しげに変わる。


「……でもね」


「?」


「心のどこかでは、ずっと願っていたのかもしれない」


「何を?」


セラはカイを見る。


「ユナが資格者になって、《ダモクレスの剣》を起動してくれること」


カイの目がわずかに見開かれる。


「そして、その決断をきっかけに――」


セラは膝の上で両手を重ねた。


「もう一度、あの子と向き合えることを」


そこにいたのは、百年に一人の天才でも、セラ一族の族長でもなかった。


ただ、娘と仲直りしたかった母親だった。


「……でも、それは叶わなかった」


声がかすかに揺れる。


「ユナはAIに狙われて――」


セラは目を伏せた。


「私より先に、逝ってしまった」


重ねた指先が、わずかに震える。


涙はなかった。


それでもカイには、その言葉の奥にあるものが痛いほど伝わった。


カコン――。


庭で鹿おどしが鳴った。


セラは顔を上げない。


カイも、何も言えなかった。



※作者の活動報告に各話のコメントを書いています。

https://syosetu.com/userblog/list/


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。