第34話①「滅びた星から」
茶室。
畳の上で、カイはセラ博士と向かい合って正座していた。
セラは慣れた手つきで茶筅を置く。
すっ――。
湯気の立つ抹茶が、二人の間へ差し出された。
「そんなに構えなくていいわ」
セラが柔らかく微笑む。
「作法なんて気にしない。気軽に味わってくれれば、それで十分」
「……ありがとうございます」
カイは茶碗を手に取った。
軽く会釈。
茶碗を静かに回し、正面を避けて口をつける。
飲み終えると、もう一度茶碗を回し、元の位置へ戻した。
一連の所作には、ほとんど迷いがない。
それを見たセラが、意外そうに目を丸くした。
「……あなた、どこでその作法を覚えたの?」
カイは少し照れくさそうに頭をかいた。
「世界を放浪していた頃、旅先で知り合った人に教わりました」
茶碗へ視線を落とす。
「その場限りだと思ってましたけど……案外、身体が覚えてるもんですね」
「ふふっ」
セラが楽しそうに笑った。
「やっぱり、おもしろい人ね。あなたは」
庭を風が抜けていく。
つい先ほどまで、世界の命運を懸けて戦っていたとは思えないほど、穏やかな時間だった。
***
カイは茶碗を置き、セラを見た。
「セラ博士……あなたは行方不明だと聞いていました」
言葉が止まる。
「それに、ユナは……」
聞きたいことは山ほどある。
なぜここにいるのか。
シン統治システムとは何だったのか。
ユナと何があったのか。
どこから聞けばいいのか、自分でも整理できなかった。
そんなカイを見て、セラは穏やかに笑う。
「たくさん聞きたいことがあるのでしょう?」
カイはうなずいた。
「なら、順番に話しましょう」
セラは茶碗を置く。
「まずは、私たちセラ一族について」
カイの表情が引き締まる。
「一族には、代々こんな言い伝えが残っているの」
セラは庭へ目を向けた。
「――我々の祖先は、燃え盛る隕石に乗って、この星へやって来た」
カイが思わず眉を上げる。
「……宇宙から?」
「そう伝えられているわ」
セラは微笑んだ。
「もっとも、それが本当にあった出来事なのか、それとも何千年もの間に形を変えた伝説なのか。今となっては、誰にも分からない」
「ずいぶん壮大な話ですね」
「でしょう?」
少し楽しそうに笑ったあと、セラの表情が変わる。
「でも、一つだけ確かなことがある」
まっすぐカイを見る。
「私たち一族は、遥か昔から《仮想と現実をつなぐ技術》を受け継いできた」
カイは左手を見る。
《セラの指輪》が淡い光を宿している。
「この指輪も……?」
「ええ。一族が受け継いできた遺産の一つよ」
カイは指輪を見つめた。
ユナから託されたもの。
何度も自分を救い、仲間を救い、ここまで導いてきたもの。
その起源が、想像していたより遥かに古い。
「そして私たちは、歴史の表舞台へ立つことなく、人類の発展を支えてきた」
「影から?」
「ええ。時には知識を残し、時には技術者を導いてね」
カイは少し考える。
「でも、それだけ進んだ技術を持っていたなら……周囲が放っておかなかったでしょう」
セラを見る。
「特に、権力者は」
セラの目がわずかに伏せられた。
「その通りよ」
声に、わずかな寂しさが混じる。
「一族は長い歴史の中で、何度も侵略され、迫害され、弾圧されてきた」
「……でしょうね」
カイは茶碗へ目を落とす。
「理解を超えた技術は、人を惹きつける。でも同時に、恐れさせる」
「ええ」
セラは庭を見つめる。
「中世では、その力を《魔法》と呼ばれた。魔女として処刑された者も大勢いたと伝えられているわ」
カイは何も言えなかった。
風が松の枝を揺らす。
「だから、一族は決めたの」
セラの声は穏やかだった。
「人類を導いても、支配はしない」
カイが顔を上げる。
「技術だけを残す。どう使うのか、どんな未来を選ぶのかは、人類自身に委ねる」
その言葉には、長い歴史を越えて受け継がれてきた意志があった。
セラは指を折りながら、ゆっくりと言葉を並べる。
「二進法。真空管。トランジスタ。IC。コンピューター。そして――AI」
「まさか……」
カイの表情が変わる。
セラは小さくうなずいた。
「もちろん、それらを私たち一族が発明したという意味ではないわ」
「……」
「人類は自分たちの知恵で、長い時間をかけてそこへ辿り着いた」
セラが微笑む。
「私たちは、その歩みをほんの少しだけ後押ししただけ」
「何のために?」
問いかけたカイに、セラはまっすぐ視線を返した。
「すべては――」
穏やかに笑う。
「人類の意識を、仮想層へ渡す日のために」
カイは息をのんだ。
点だったものが線につながっていく。
コンピューター。
AI。
仮想層。
そして《セラの指輪》。
それらは偶然積み重なったものではなかった。
遥かな時間をかけた、一つの流れだった。
***
セラが再び茶碗に手を添える。
「でもね」
カイを見る。
「私たち一族は、人類がいつか大きな壁に突き当たることも知っていた」
「壁?」
セラは人差し指を立てた。
その表情は、難問を学生へ出す教授そのものだった。
「さて。その壁って何だと思う?」
カイは思わず苦笑する。
「……質問を質問で返すんですね。ソクラテス05みたいだ」
セラは目を丸くし、それから楽しそうに笑った。
「あら、ごめんなさい。もう癖なのよ」
「癖?」
「ユナにもよく怒られたわ」
セラは懐かしそうに目を細め、娘の口調を真似る。
「『大学教授のくせに、聞いてもなんにも教えてくれない!』って」
カイの脳裏にユナの笑顔が浮かぶ。
《ぜんっぜん合わないの、私とママ。それはもう見事なくらい》
質問するユナ。
答えず問い返すセラ。
頬を膨らませるユナ。
あまりにも簡単に想像できて、カイは吹き出した。
「……なんとなく目に浮かびます」
「でしょう?」
セラも笑う。
やがて、もう一度カイを見る。
「それで?」
「……?」
「あなたの答えは?」
カイは考えた。
そして、ゆっくり口を開く。
「……今の世界です」
セラは何も言わず、続きを待つ。
「AIが発達して、誰でも本物と見分けがつかない情報を作れるようになった」
カイの声が低くなる。
「フェイクが世界中にあふれる。何が本当なのか分からなくなる」
「……」
「人は他人を信じられなくなる。そして、争い始める」
セラはゆっくりとうなずいた。
「その通りよ」
カイが目を細める。
「やっぱり、それが……?」
「ええ」
セラは茶碗へ視線を落とした。
「一族に伝わる記録にも、同じことが残されている」
「同じこと?」
「AIの発達によって、フェイク情報が世界を蝕んだ」
セラの声から笑みが消える。
「何が真実なのか、誰にも分からなくなった」
庭を吹く風が、竹を揺らす。
「やがて人々は互いを信じられなくなり、争いは星全体へ広がった」
カイは動けない。
「文明は崩壊した」
セラが静かに顔を上げる。
「そして――その星は滅びた」
カイの目が見開かれる。
「……まさか」
「生き残った私たちの祖先は、新しい故郷を求めた」
セラはカイを見つめる。
「そして、この星へ辿り着いた。そう伝えられているの」
カイは言葉を失った。
遠い宇宙のどこかで。
今、この世界を蝕んでいるものと同じ問題が起きた。
フェイクが真実を奪い。
人が人を信じられなくなり。
その果てに――一つの星が滅びた。
「……そんなことが、本当に……」
カコン――。
鹿おどしの乾いた音が、庭に響いた。
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