第33話④「族長セラ」
暗闇の中。
カコン……。
乾いた音が、遠くで響いた。
頬を撫でる、やわらかな風。
草木の香り。
どこかで鳥が鳴いている。
カイはゆっくりと目を開けた。
「……ここは?」
身体を起こす。
目の前に広がっていたのは――。
青々とした苔。
大きく枝を伸ばす松。
丁寧に整えられた石庭。
澄んだ池には、色鮮やかな錦鯉が泳いでいる。
そして、その奥には小さな茶室。
「……和風の庭園?」
ついさっきまでいた、無機質なシステム空間とはあまりにも違っていた。
まるで別の世界だ。
カイは周囲を見回し――すぐに顔色を変えた。
「ユカ!」
少し離れた場所に、ユカとピコが倒れている。
駆け寄り、ユカの首元へ手を当てる。
呼吸はある。
脈も正常。
ピコもスリープモードのままだった。
「……よかった」
カイは息を吐く。
すぐに端末を取り出した。
通信圏外。
何度試しても、アランたちとの回線は繋がらない。
「アラン……サクラ……」
返事はなかった。
《ダモクレスの剣》は失われた。
仲間とも分断された。
Aは、シン統治システムそのものを支配している。
状況だけを並べれば、最悪に近い。
それでもカイは立ち上がった。
「……立て直す方法を考えるしかないな」
まずは、ここがどこなのか。
それを知らなければ始まらない。
カイはユカを背負い、眠ったピコを抱える。
そして、庭の奥にある茶室へ向かった。
「ここも……システムの中なのか?」
砂利を踏むたび、乾いた音が響く。
石灯籠。
竹垣。
静かに水面を揺らす池。
カコン。
また音がした。
カイが視線を向ける。
竹筒がゆっくり戻っていく。
「……鹿おどしか」
最初に聞こえた音の正体だった。
あまりにも穏やかな場所だ。
少し前までAと命を賭けて戦っていたことの方が、現実ではなかったように思えてくる。
茶室の前まで来る。
障子がわずかに開いていた。
カイは中へ声をかける。
「……すみません。どなたか、いらっしゃいますか?」
女性の声が返ってきた。
「奥にいるわ」
穏やかな声。
「ちょうど手が離せないの。そのまま上がってきて」
凛としている。
けれど、不思議と警戒心を和らげる声だった。
カイは靴を脱ぎ、中へ入る。
畳の香り。
奥へ進むと――。
シャカ……シャカ……シャカ……。
茶筅を動かす音が聞こえてきた。
一人の女性が座っている。
着物姿。
眼鏡。
丁寧に結い上げられた髪。
年齢は五十代ほどだろうか。
柔らかな表情とは対照的に、その眼差しには、相手の内側まで見通すような鋭さがあった。
女性は茶筅を置く。
そして最初に見たのは、カイではなかった。
背負われたユカへ視線を向ける。
「その子、大丈夫?」
「はい。気を失っているだけだと思います」
女性はすぐに座布団を二枚並べた。
「ここへ寝かせてあげて」
「ありがとうございます」
カイはユカをそっと横たえる。
その隣へピコも置いた。
ユカは穏やかな寝息を立てている。
女性はその寝顔を見つめ、柔らかく微笑んだ。
「かわいい子ね」
その優しい眼差しは、
まるで娘を見る母親のようだった。
やがて女性が、カイへ顔を向ける。
二人の視線が重なった。
「あなたがカイね」
「……俺を知っている?」
驚くカイに、女性はごく自然に答えた。
「ええ」
そして、背筋を伸ばす。
「私は――族長セラ」
カイの眉が動いた。
「族長……セラ?」
「《セラ》は、セラ一族の長が代々受け継ぐ称号よ」
女性は微笑む。
「そして私は――」
眼鏡の奥の瞳が、まっすぐカイを捉える。
「シン統治システムの設計者」
カイの表情が変わった。
「まさか……」
これまで何度も聞いた名前。
Eを生み出した人物。
ソクラテス05を残した人物。
そして、《ダモクレスの剣》を用意した者。
「あなたが……セラ博士?」
「みんな、そう呼ぶわね」
女性は、どこか楽しそうに笑った。
その瞬間。
カイは息を呑んだ。
笑ったときの口元。
優しい目元。
人を包み込むような雰囲気。
誰かに、あまりにもよく似ている。
脳裏に、一人の女性の笑顔が浮かんだ。
「……ユナ」
思わず名前がこぼれる。
女性の表情が、ほんの少しだけ変わった。
それだけで十分だった。
カイは悟る。
この人が――。
ユナの母親。
風が庭を抜けていく。
松の枝が揺れる。
カコン……。
鹿おどしが鳴った。
シン統治システムの設計者。
セラ一族の長。
そして――ユナの母。
長い間、すべての始まりにいた人物が。
今、カイの目の前に座っていた。
《第33話・終わり》
次回予告
茶室で語られる、シン統治システム誕生の秘話。
それは、ある星の滅亡に端を発した、
人類の壮大な歴史だった。
受け継がれてきた技術。
影から世界を導いてきた、
仮想と現実を繋ぐ力を操る一族。
そして――。
同じ滅びを繰り返さないために生まれた、
人類史上最大のプロジェクト。
だが。
真実を守るための仕組みは、
いつしか真実を支配するものへと変わっていった。
次回、
『フラグメンツ・オブ・トゥルース ~最後の投擲~』
第34話「真実審査」。
フェイクが世界を蝕み、人々は真実を失う。
俺たちは――
また同じことを繰り返すのか。
※作者の活動報告に各話のコメントを書いています。
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