第31話③「上に落ちる」
ユカは、遥か頭上に浮かぶ白い通路を見上げた。
探すのをやめたことで、ようやく姿を現したバックドア。
だが――。
「ねえ。入口、浮いてるよ?」
その言葉に、全員が改めて上を見る。
白い空間の遥か上方。
そこに一本の通路だけが、何にも支えられず浮かんでいる。
ユカが首を傾げた。
「どうやって行くの?」
トモも上を見たまま、不安そうに呟く。
「た、確かに……。ジャンプじゃ絶対届かないですよね?」
するとピコが得意げに前へ出た。
「でしたら、ここはピコがドローンモードで皆さんを――」
「必要ない」
カイが即答した。
ピコの動きが止まる。
ユカが振り返った。
「えっ?」
トモも身を乗り出す。
「いや、そこは説明して!」
カイは頭上の通路を見据えた。
「ここは《認識境界》だ」
ジロウが眉をひそめる。
「だから?」
「ここでは物理法則より、俺たちの認識が優先される」
「……それで?」
ジロウにはまるで分からないらしい。
カイは指を上へ向けた。
「上も下もないと思えばいい」
ユカが目をぱちぱちさせる。
「上も下も……ない?」
「ああ」
ユカはもう一度、通路を見る。
難しい理屈はよく分からない。
でも――。
「上がある」と思うから、あそこは上になる。
「下がある」と思うから、自分たちは下にいる。
それすらも認識にすぎない場所なのだとしたら。
「じゃあ……」
ユカは目を閉じた。
頭の中から「上」と「下」を追い出してみる。
「上も、下もない」
その瞬間。
すとん。
「きゃああああっ!?」
世界がひっくり返った。
いや。
ひっくり返ったのは世界ではなく、ユカの認識だったのかもしれない。
さっきまで頭上にあった通路へ向かって、ユカの身体が落ちていく。
下から――上へ。
「ユカぁーーっ!」
ピコが叫ぶ。
「なにこれぇぇぇーーーっ!!」
ユカ自身も絶叫しながら、ものすごい勢いで白い通路へ吸い込まれていった。
ジロウが目を丸くする。
「うおっ!?」
トモはさらに目を見開いた。
「ほんとに上に落ちた!?」
その様子を見て、カイが満足そうに口元を緩める。
「やっぱりな」
そして仲間たちを振り返った。
「行くぞ」
カイは「下へ落ちる」という認識を手放した。
すると――。
すとん。
その身体も、頭上の通路へ向かって落ちていく。
アランがそれを見送り、納得したように頷いた。
「なるほどな」
隣では、サクラが興味深そうに上空を見つめている。
「面白い世界ね」
二人も力を抜く。
重力そのものを忘れるように。
次の瞬間には、身体が通路へ向かって自然に落ち始めていた。
その場に残されたトモが青ざめる。
「いやいやいやいやいや!」
数歩、後ずさる。
「なんでみんな、そんな普通にできるの!?」
上を見る。
足元を見る。
もう一度、上を見る。
「どう見たって上じゃん! あれ!」
混乱するトモの肩を、後ろから誰かがぽんと叩いた。
「ほら」
リサだった。
トモが嫌な予感を覚えながら振り返る。
「……え?」
リサはにやりと笑う。
「行くよ」
「待っ――」
ぐいっ。
リサがトモの腕を引く。
「ひええええええぇぇぇっ!!」
すとん。
二人の身体が揃って上へ落ちた。
「だから怖いってぇぇぇぇ!!」
絶叫するトモとは対照的に、リサは涼しい顔だ。
「うるさいね」
その様子を見ていたジロウが大笑いする。
「はははっ! すげえな、ここ!」
両腕を大きく広げた。
「飛んでるみてぇだ!」
そのまま躊躇なく上へ落ちていく。
最後に残ったピコが周囲を確認した。
「全員の移動を確認しました」
いつものように上昇しようとして――機体が止まる。
「……ピコの場合、普通に飛べますね」
誰も聞いていなかった。
「では、ピコも雰囲気に合わせます」
ふわり。
いや――。
すとん。
ピコも上へ落ちていった。
最後の一人が通路へ入った、その直後。
ゴォォォ……。
白い空間に浮かんでいた入口が、ゆっくりと閉じていく。
やがて通路そのものが消えた。
あとに残ったのは、色も、距離も、上下も、意味さえも曖昧な世界。
《認識境界――コグニティブ・ホライズン》。
そこには、もう誰もいなかった。
***
カイたちは白い回廊を進んでいた。
どこまで続いているのか分からない。
だが今度は、足元も進行方向も安定している。
リサが前方を見ながら呟いた。
「この先に、いよいよシステム中枢があるんだね」
ジロウは腕を組んだまま首を振る。
「どうだかな」
「何よ?」
リサが横目を向ける。
ジロウは警戒するように先を見る。
「今まで散々ひねくれた仕掛けを見せられてきたんだ。まだ何かありそうだぜ」
その言葉にトモが即座に食いついた。
「やめてよ!」
ジロウが驚いて振り返る。
「なんだよ」
「それ、絶対フラグだから!」
リサが呆れたように笑う。
「あんたはいつも騒がしいね」
「だって嫌な予感しかしないもん!」
そんなやり取りを続けながら、一行は進んでいく。
そして――。
白い通路が、唐突に終わった。
「……着いた?」
ユカが、その先を覗き込む。
そこに広がっていたのは――巨大な黒い球状空間。
光すら吸い込まれそうな闇。
上下もない。
奥行きすら感じられない。
アランが慎重に足を進める。
「ここが第9階層か?」
ピコが前方へセンサーを向けた。
「座標情報を取得します」
電子音が続く。
やがてピコが告げた。
「確認しました。第9階層――《原点領域、オリジン・レイヤー》と表示されています」
ユカが黒い空間を見回す。
「でも……何もないよ?」
その通りだった。
建物もない。
扉もない。
端末もない。
シン統治システムの中枢らしきものなど、どこにも見当たらない。
そのとき――。
ガタガタガタガタッ!!
空間全体が激しく震え始めた。
「きゃっ!?」
ユカがよろめく。
サクラが周囲を見回した。
「何!?」
目の前の黒い球体が、みるみる小さくなっていく。
崩壊しているのではない。
空間そのものが削除されていく。
アランが即座に叫んだ。
「まずい! 全員、通路へ戻れ!」
全員が一斉に後退する。
カイがユカの腕を引き、サクラがトモの背中を押す。
一行が白い回廊へ戻った直後――。
第9階層は、跡形もなく消えた。
ジロウが目を疑う。
「……おいおい」
トモも、何度も瞬きをする。
「なくなったよね?」
リサが消えた空間を見ながら答える。
「ああ。なくなったね」
「さらっと言わないでください!」
ジロウが頭を抱えた。
「せっかく入口を見つけたってのに、肝心の第9階層が消えるとか……どうなってんだよ」
誰も答えられない。
一同は、先ほどまで第9階層が存在していた場所を見つめる。
ようやく辿り着いたはずの次の階層。
それ自体が――。
消えてしまった。
※作者の活動報告に各話のコメントを書いています。
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