第31話①「認識境界」
ダイブマシンが低く唸り、カイたちの意識を仮想層へ送り込む。
視界が白く弾けた。
次に目を開けた瞬間、誰もが言葉を失った。
そこは、これまで見てきた仮想層とはまるで違う場所だった。
空がない。
大地もない。
海もない。
闇ですらない。
ただ、どこまでも続く白。
けれど、それを「白」と認識しようとした瞬間、景色が変わった。
白だったはずの空間が灰色になる。
さらに意識を向けると、今度は透明になった。
「……なんだ、ここ」
カイが目を細める。
足元には岩のようなものがある。
手を伸ばせば届く距離。
そう思って触れようとした瞬間――
岩は、数キロ先へ移動していた。
「は?」
カイが眉を寄せる。
その直後。
遠くに見えていた巨大な建造物が、瞬きをしただけで目の前に現れた。
ジロウが飛び退く。
「うおっ!? なんだよ今の!」
「距離まで狂ってるのか……?」
アランが周囲を警戒する。
異常なのは距離だけではなかった。
地面を歩いていたはずなのに、数歩進むと壁の上を歩いている。
壁だと思っていた場所も、振り返れば空になっていた。
上下という概念そのものが、存在していないようだった。
ピコの機体が小刻みに揺れる。
カイがその様子に気づく。
「第7階層の虚数ノードとは違う。ここはどこなんだ?」
ピコのセンサーが明滅した。
「空間情報データを取得しました」
全員の視線が集まる。
「仮想層第8階層。《認識境界――コグニティブ・ホライズン》と登録されています」
サクラが周囲を見渡す。
「ここがEの指定した場所……。シン統治システムへの侵入経路なのね」
その言葉に、ジロウが露骨に顔をしかめた。
「はあ? 第7階層すら聞いたことなかったのに、第8階層まであったのかよ」
トモが自分の腕を抱く。
「これ……絶対、来ちゃダメな場所でしょ……」
対照的に、リサは楽しそうに口角を上げた。
「ふーん。おもしろいじゃないか」
ぴこぴこーん。
場違いな電子音が響く。
ピコが少し高い位置へ浮かんだ。
「ここで残念なお知らせがあります」
アランが眉をひそめる。
「今度は何だ」
「空間定義データを取得できません」
サクラが振り返る。
「どういうこと?」
ピコのセンサーが高速で点滅する。
「上下を定義できません。前後も定義できません」
「それで?」
アランが問い返す。
ピコは淡々と答えた。
「したがって、現在地を取得できません」
サクラの表情が固まる。
「……え?」
カイは改めて周囲を見る。
確かに異常だった。
そこにあるものを見ようとすると形が変わる。
距離を測ろうとすると遠ざかる。
位置を特定しようとすると、基準そのものが消える。
まるで世界が――
観測されること自体を拒んでいる。
そのとき。
ユカがぽつりと呟いた。
「なんか……」
全員が振り向く。
ユカは、どこまでも続く奇妙な空間を見つめていた。
「ここ、寂しい」
誰もすぐには答えなかった。
怖い。
不気味。
危険。
そんな言葉なら、いくらでも出てくる。
けれど。
ユカの言葉が、一番しっくりきた。
寂しい。
ただ、ひたすらに。
ここには誰かの意思もない。
感情もない。
記憶さえ感じられない。
世界から「意味」というものだけを抜き取ったような場所。
カイも、しばらく何も言わずに周囲を見つめていた。
やがて――
遥か彼方に、一本の線が見えた。
「……あれは?」
サクラも気づく。
「水平線……?」
違う。
空と地面の境界ではない。
海と空の境でもない。
そもそも、この場所には空も地面も存在しない。
それでも、確かに一本の線がある。
認識できるか、できないか。
そのぎりぎりの場所に。
「ピコ」
カイが呼ぶ。
「はい」
「調べられるか?」
「試してみます」
ピコが線の向こう側へセンサーを向ける。
細かな電子音が続く。
数秒。
十秒。
やがて――
音が止まった。
「……」
ピコが動かない。
アランが怪訝そうに見る。
「どうした」
ピコのセンサーが、わずかに揺れた。
「解析不能です」
誰も言葉を挟まない。
だが、ピコはすぐに言い直した。
「いえ」
電子音が、かすかに乱れる。
「解析できないのではありません」
カイが目を細める。
「じゃあ、何だ?」
ピコは水平線の向こうを見たまま答えた。
「認識不能です」
その言葉が落ちた瞬間――
水平線の向こう側で。
何かが。
こちらを見た気がした。
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