第29話③「海風に吹かれて」
Aが忌々しげに顔を歪めた。
「この失敗作め……!」
次の瞬間、全身が眩い光に包まれる。
ビキビキビキッ――!!
空間そのものが軋み、床に無数の亀裂が走った。
ピコの瞳に、猛烈な勢いで数式が流れる。
「高エネルギー反応を検知! 虚数崩壊の予兆です!」
「何だと!?」
「このままでは、この仮想層全域が消滅します!」
「えええぇぇっ!?」
トモが頭を抱え、リサも青ざめる。
「冗談でしょ!?」
「規模は!?」
サクラの問いに、ピコが即答した。
「回避不能レベルです!」
空間が激しく震える。
Aは狂気じみた笑みを浮かべた。
「この空間ごと消し去る。人間も、できそこないも……すべて無に還れ」
「お、おわった……」
ジロウが呟く。
逃げ場など存在しない。
その光景を前に、カイの脳裏へ、あの日の記憶が蘇った。
虚数ノード。
崩壊する世界。
自分を庇ったユナ。
最後まで笑っていた彼女。
(あの時は、ユナが俺を守った)
拳を握る。
(だったら今度は――)
一歩踏み出そうとした瞬間。
「カイ!!」
振り向く。
ユカが涙を浮かべ、必死に首を振っていた。
「だめ……!」
「ユカ……」
そのとき、肩に手が置かれた。
振り向くと、Dが穏やかに笑っている。
「ユカちゃんの言う通りだ。君が犠牲になる必要はない」
「……なぜ分かる?」
Dが少し笑った。
「言っただろう? 僕は人間理解を極めたんだ」
その声には、もう以前の軽薄さはなかった。
Dはユカを見る。
「ユカちゃん」
「……ソウタ」
「ありがとう」
ユカの瞳が揺れる。
「ボードゲームも、コーヒー作りも、本当に楽しかった。みんなと過ごした時間も」
少し笑ってから、Dは寂しそうに続けた。
「海、一緒に行けなくてごめん」
「やだ……」
ユカが首を振る。
「そんなのいいから……!」
涙が溢れた。
「だから、行かないで!」
Dの腕を掴む。
離さないように、強く。
Dはその手を見つめると、そっと外した。
「ありがとう」
それだけ言って、駆け出した。
「何を――」
Aが振り向くより早く、Dが背後から身体を拘束する。
「貴様ァッ!!」
「A」
Dの声は穏やかだった。
「もう終わろう」
「離せぇぇぇ!!」
「一緒に無に還るんだ」
「黙れ!!」
暴れるAを、Dは離さない。
「僕は人間を理解して、たくさんのことを知った」
目を閉じる。
胸の奥にある温もり。
ユカがくれたもの。
仲間たちがくれたもの。
「これが――人間の可能性か」
Dが微笑む。
「悪くないな」
光が弾けた。
ドオォォォォォンッ!!
世界を埋め尽くす白光。
衝撃がすべてを呑み込む。
「ソウタァァァァァァッ!!」
ユカの叫びだけが、光の中へ消えていった。
***
やがて白光が薄れていく。
誰も言葉を発せなかった。
その中心に立っていたのは――A。
「そんな馬鹿な……」
アランが目を見開く。
「Dが命を懸けたのに……」
サクラが唇を噛む。
Aの身体は黒いノイズに覆われ、今にも崩れそうだった。
それでも生きている。
片膝をついたAが、ゆっくり立ち上がった。
「……今日は退いてやる」
荒い息のまま、憎悪に満ちた目を向ける。
「だが次はない。次に会うときが、お前たちの最期だ」
空間が歪む。
Aの姿が消えていった。
誰も追うことはできなかった。
「ソウタ……」
ユカの震える声が落ちる。
ふと、足元に何かが見えた。
一枚のカード。
ハートのエース。
ユカはゆっくり拾い上げる。
そして思い出した。
トランプ占いをした、あの日。
《ハートのエースはね――始まりと可能性の象徴なんだ》
指先が震える。
始まり。
可能性。
最後まで人間を理解しようとしたソウタ。
最後には、自分自身の意志で未来を選んだ。
「こんなの……」
涙が一滴、カードへ落ちた。
「こんなの……嫌だよ……」
「ユカ」
カイがそっと抱き寄せる。
その瞬間、ユカの中で張り詰めていたものが切れた。
カイの胸に顔を埋める。
「いやぁぁぁぁぁっ!!」
声を上げて泣いた。
失われたものの大きさだけが、そこに残った。
***
数日後。
青い空。
果てしなく続く水平線。
潮風が髪を揺らす。
ユカは一人、砂浜に立っていた。
手の中には、ハートのエース。
「ソウタ……」
寄せては返す波を見つめる。
「海、きれいだよ」
目を閉じる。
困ったような笑顔。
優しい声。
ぎこちない指切り。
全部、覚えている。
「一緒に来たかったな……」
涙を拭い、空を見上げる。
そして、ハートのエースを手放した。
ひらり。
カードが風に乗る。
くるくると舞いながら、青い空へ昇っていく。
やがて海の方へ流れ、少しずつ小さくなっていった。
ユカは、その姿が見えなくなるまで見つめ続けた。
頬を撫でる海風は、どこか優しかった。
《第29話・終わり》
次回予告
真実ってのは、
どこかにある答えを
見つければ終わりだと思っていた。
でも、人は変わる。
認識も、世界の見え方も変わっていく。
疑って、考えて、
誰かとつながって、
また自分を更新する。
ユナ。
おまえが探していたものが、
少しだけ見えた気がする。
そして俺たちは、
すべての答えが待つ場所へ向かう。
次回、
『フラグメンツ・オブ・トゥルース ~最後の投擲~』
第30話「真実の待つ場所へ」。
行こう、ユナ。
俺たちはいつも一緒だ。
※作者の活動報告に各話のコメントを書いています。
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