第26話③「戦う理由」
翌日の《Analog Mind Café》。
昼下がりの陽射しが窓から差し込み、木製テーブルに柔らかな影を落としていた。
店内に客の姿はない。
カイとユカは向かい合い、ボードゲーム《ハイブ》を広げていた。
カイの前にはコーヒー。
ユカの前には、ミルク多めの抹茶ラテ。
ユナのレシピを復活させて以来、すっかりお気に入りになっている。
ソウタはカウンター席で退屈そうにあくびをし、ピコはユカの肩のそばをふわふわ漂っていた。
コトッ。
ユカが駒を置く。
「ふっふっふ……ほら、カイ」
盤面を指差し、得意げに笑う。
「だいぶ追い詰められてきたよ?」
カイは盤面を眺め、ようやく気づいたように眉を上げた。
「あれ、ほんとだ」
「気づくの遅っ!」
「まいったな……」
ユカが身を乗り出す。
「どうするどうする? 降参する?」
「まだしてねえよ」
「でも顔が負けてる」
「顔で勝負してないからな」
ユカがけらけら笑う。
「ほんとカイって面白いよね」
「面白がるな」
ピコが盤面を覗き込んだ。
「打ち筋が、まるでユナみたいです」
ユカがぱっと顔を上げる。
「ほんと?」
「相手をじわじわ追い詰めるところとか」
「なんか、うれしいかも」
照れくさそうに笑うユカを見て、カイも口元を緩めた。
「確かにな」
「でしょ?」
ユカは得意げに胸を張る。
「でもさ。カイってAIとの戦いではめちゃくちゃ冴えてるのに、ボードゲームだと全然勝てないよね」
「ほっとけ」
あまりに速い即答に、ソウタが身を乗り出した。
「でも、それ不思議ですよね。ユカちゃん相手だから手加減してるとか、別のことを考えてるとか?」
「いや。本気だし、めちゃくちゃ集中してる」
ソウタの顔が固まる。
「……本気だったんですか?」
「なんだその反応」
ぴこーん♪
ピコが軽快な音を鳴らした。
「解析完了しました。カイは追い詰められないと能力を発揮できないタイプです」
「なんだその分析」
「夏休みの宿題を最終日に片付けていたタイプでは?」
カイは目をそらした。
「……否定はしない」
「ええっ!?」
ユカが声を上げ、ソウタまで驚く。
「当たってるんですか!?」
「ギリギリまで遊びながら、最短ルートで宿題を終わらせる方法を最終日まで考えてた」
「ダメな子じゃん」
「ダメって言うな」
ピコが首を傾げた。
「その労力を宿題に使った方が効率的だったのでは?」
「あ……」
カイが人生で初めて気づいたような顔をする。
ユカは哀れむような目を向けた。
「今ごろ気づくなんて、カイ、かわいそう……」
「同情します」
「なんて言ったらいいか……」
ソウタまで困った顔をする。
「待て。なんで全員、俺をかわいそうな人認定してるんだ」
三人の視線が集まる。
「だって……」
「事実ですし」
「否定材料が見つからなくて……」
「お前らなぁ!」
カイのツッコミがカフェに響いた。
***
再び盤面へ向き直ったユカが、駒を指先で転がしながら尋ねた。
「リサさんたちから聞いたんだけど……シン統治システムに攻めるって、本当?」
ピコとソウタもカイを見る。
「ああ」
カイの短い返事に、ユカは笑おうとして、うまく笑えなかった。
「……そっか。いよいよなんだね」
「そうだな」
カイは駒を置き、ユカを見た。
「だが、ユカ。おまえは残れ」
「えっ……?」
ユカの表情が変わる。
「なんで?」
「今回だけは駄目だ」
「私が子供だから?」
「違う。子供扱いしてるわけじゃない」
カイは言葉を選ぶように続けた。
「おまえには、戦う理由がない」
「……戦う理由?」
アランとサクラには、AIに奪われたシステムを取り戻す理由がある。
カイには、ユナから託された“真実を求める”という理由がある。
リサたちにも、自分たちと同じようにシステムの末端で苦しむ人々を救いたいという思いがある。
では、自分は?
みんなの役に立ちたい。
カイを助けたい。
一緒にいたい。
けれど、それはシステムと戦う理由なのだろうか。
答えが出ない。
「だから残れ」
その言葉が、ユカには拒絶に聞こえた。
「でも……私がいないと、指輪が使えないじゃん……」
カイは自分の指輪へ目を落とした。
「最近は訓練してる。まだ完全じゃないが、俺一人でも使えるようになってきた」
「……」
「だから、大丈夫だ」
――おまえは必要ない。
そう言われた気がした。
「私だって……今まで役に立ってきた!」
ユカの声が震える。
「私だって戦ってきた!」
「それでもだ」
「なんで!?」
「危険だからだ!」
カイの声が跳ね上がった。
「ここから先は違う! 今までとは比べものにならない!」
「それでも行く!」
「駄目だ!」
「なんで!?」
カイの顔が歪む。
「――ユナは死んだんだ!!」
ユカも、ソウタも、ピコも動きを止めた。
「システム中枢で」
カイの声が震えている。
「俺は……もう二度と、目の前で誰かを失いたくない」
強く握られた拳。
「おまえに、そうなってほしくないんだ」
ユカはうつむいた。
カイが怖がっていることは分かる。
また大切な誰かを失うことが怖いのだ。
それでも。
自分だって置いていかれたくない。
守られるだけなんて嫌だった。
ユカは涙をこらえて顔を上げる。
「そんなの……そんなの関係ない!」
押し込めていた恐怖が、カイの中で弾けた。
「ユカッ!!」
聞いたことのない怒鳴り声に、ユカの肩がびくっと跳ねる。
目の前のカイを見て、気づいた。
怒っているのではない。
怖いのだ。
それは分かる。
分かるけれど――。
「カイのバカぁぁぁぁっ!!」
ユカは涙を振り切るように駆け出した。
カフェの扉が勢いよく開き、閉じる。
「ユカちゃん!」
ソウタがすぐに追いかけた。
カイは閉じた扉を見つめたまま立ち尽くす。
「……ユカ……」
盤上には、さっきまで遊んでいた《ハイブ》が残されていた。
もう誰も、駒に手を伸ばさなかった。
***
レジスタンス本部の倉庫。
積み上げられたコンテナの片隅で、ユカは膝を抱えていた。
「……カイなんて、大嫌い……」
そう口にした途端、また涙がこぼれる。
「ユカちゃん」
顔を上げると、ソウタが立っていた。
「……ソウタ」
「隣、いいかな?」
ユカが小さくうなずくと、ソウタは隣に腰を下ろした。
「カイさんの言い方も、きつかったと思う。でも、カイさんなりに考えがあったんじゃないかな」
「……うん」
怒りはもうほとんど残っていなかった。
「私も……悪かったんだ。かっとなって、ユナお姉ちゃんのこと、否定するみたいなこと言っちゃった」
ユカは膝を強く抱く。
「たぶん、それでカイ……あんなに怒ったんだと思う」
「そっか」
ソウタは責めずに受け止めた。
「私がもっと大人だったらな……。もっと強くて、もっと頼れる人だったら、置いていかれたりしなかったのかな……」
ソウタは考え込み、ふと顔を上げた。
「……そういえば、カイさんの指輪」
「指輪?」
「あれって、仮想と現実をつなげる力を使うためのものなんだよね?」
「うん」
「だったら、僕が解析できるかもしれない」
「えっ?」
「同じ仕組みのものを作れたら、ユカちゃんだって戦える」
ユカの瞳が揺れる。
「もちろん簡単じゃない。でも、もし成功したら……カイさんもユカちゃんを見直してくれるかもしれない」
認めてもらえるかもしれない。
一緒に行けるかもしれない。
その可能性に、ユカの表情が少しだけ明るくなる。
「……できるかな」
「やってみないと分からないよ」
ユカはしばらく考え、うなずいた。
「……うん」
そして、いつもの笑顔をほんの少しだけ取り戻す。
「やってみる」
「うん」
二人は顔を見合わせた。
この小さな決意が何につながるのか。
このときのユカには、まだ分からなかった。
※作者の活動報告に各話のコメントを書いています。
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