第5話 ヴェレゾン――色づき
恭介とヴァレリーは都内の一条寺家本邸には帰らず、軽井沢の別邸の門を潜った。
一条寺家本邸と正反対の純日本家屋の広い屋敷の静寂な庭園は左右非対称の石と植栽で造られている。
玉砂利の敷かれた玄関先に車が止まる。
後席のドアが開かれると、車内に夜の冷気が侵入してくる。
車を降りた恭介の前にはこの別邸で働く使用人たちが玄関先に並び、頭を下げて恭介たちを迎えた。
”慣れねぇ……やめてくれないかな……”
気後れする恭介とは対照的にヴァレリーはさも当たり前のように並んでいる中央を歩き、玄関の上り框の前で振り返った。
早く来いと言っているように恭介には見える。
小さく吐息を零すと、恭介は使用人たちの間を歩いた。
藤堂が饗すの後に続き、上り框で待っていたヴァレリーを抱いて、屋敷の中へと入っていった。
応接室は折り上げ天井に、西洋のアンティーク調のシャンデリアが吊り下げられ、畳にはペルシャ絨毯を敷き、ソファが置かれていた。
恭介はソファに腰を下ろすと、すぐさま指で首元のネクタイを緩めた。
その横で足を拭かれたヴァレリーが香箱座りをしていた。
藤堂がワゴンの軽食を応接台に置き、紅茶をティーカップに注ぐ。
「東京に帰るんじゃなかったか?」
恭介がヴァレリーに尋ねた。
「屋敷からだと時間がかかる。ここからの方が近い」
「……ってことは、この事件に首を突っ込むわけか……」
恭介は肩を落とした。
「気になる」
「そうですか……で、お前は何が気になったんだ?」
「いろいろとだが……藤堂、こいつの舌はどうだった」
ヴァレリーが傍に控えている藤堂に視線を移した。
藤堂は恭介の前に赤ワインが入っているグラスを二つ置いた。
恭介は眉を寄せた。
「恭介様、大変申し訳ございませんが、こちらのワインをテイスティングしていただけますか?」
味覚を試されていることが分かり、恭介はおもしろくないが断るのも大人げないかと、左のワイングラスを手に取った。
一旦匂いを嗅いで、一口飲んだ。続いて右のワイングラスを取り同じように匂いを嗅いで口に含んだ。
「左のは渋みが少なく、ほんのり甘かった。酸味はあるが何だろう、まろやか?っていうのかそんな感じだった。右のは……渋みが強いけど嫌な渋みじゃない。飲んだ後も香りと味が残るな。飲みやすいのは左で右のは重厚だった」
「恭介様の味覚は優れております。久島ワイナリーでの評価は間違いはございません。私も先ほどテイスティングさせていただきましたが、桜花の雫は酸味が突出しており、ドライ系のロゼワインといったほうがよろしいですね。私なら買いませんが」
恭介は藤堂に褒められて面映ゆく、どう返せばいいのか分からなかった。
頬を掻き、視線を外した。
「ほう。お前にも特技があったな、恭介」
ヴァレリーのいつもの憎まれ口に助けられた思いで、
「お前なぁ……あれ?でもソムリエの加藤は絶賛していなかったか?」
「そうだ。評価がおかしい」
「それにニコチンを誰がどうやって入れた?入手経路は?……動機は?」
「調べていくうちに、おいおい分かってくるだろうが……」
ヴァレリーは起き上がり、ひとつ伸びをして座り直した。
「藤堂」
「承知いたしました。明日の見学でございますね」
”何で名前を呼ばれただけで用件が分かるんだよ。このひと信じらんねぇ……”
恭介が藤堂を一瞥すると、藤堂は細い目をさらに細め微笑む。
「恭介様、何か?」
「何でもないです。……ええっと、風呂、風呂入って来ていいですかね?」
恭介は誤魔化すように席を立ち、言った。
「はい。いつでもご入浴の準備は整っておりますよ。ご案内いたしましょうか?」
「いえ、大丈夫です。じゃぁな、ヴァレリー」
恭介はそそくさと部屋を出ていった。
部屋の残されたのはヴァレリーと藤堂の一匹とひとり。
「逃げたな」
「さようでございますね」
一匹とひとりは共犯めいた笑みを浮かべた。




