↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒猫ヴァレリーの事件簿Ⅱ  作者: 高橋 なぎ
琥珀色の嘘 
PR
53/56

琥珀第18話 熟成

南アルプスの森を背後に控えるサンライズの蒸留所には所々雪の名残があった。遊歩道に植えられている石楠花(しゃくなげ)や白い花をつけた馬酔木(あせび)、赤い藪椿(やぶつばき)が春の訪れを感じさせていた。


「やはり、まだ寒いな」


車を降りると都会とは違う澄んだ空気はまだ少し冷気を纏って出迎えてくれていた。

ヴァレリーが専用の黒いダウンジャケットを着て言った。

そのヴァレリーを横目で見て、恭介は己のダウンジャケットとお揃いなのに些かモヤっとする。


(猫とお揃い……しかも、こいつのはオーダーメイドのブランド品)


藤堂の仕業だ。

祖父実淳の頃は、外出をすることは滅多になく、出ても殆どがキャリーバッグでの移動だったため必要がなかった。

だが、恭介は実淳とは違い、探偵事務所を構えているため外出が多くなり、ヴァレリーもそれに文句をいいつつ楽しんでいた。

猫なので冬毛に生え変わってはいるが、それまで空調で一定温度に保たれた屋敷にいたヴァレリーには冬から早春は寒いだろうと藤堂が作らせたのだ。


(……俺のダウンより絶対に高い)


「なんだ?」


ヴァレリーが恭介を振り返った。


「いや、それ暖かいか?」


「アイダーダッグを使っているからな。保温性が違う」


「アイダーダッグ?」


「北極圏周辺に生息する野生の鴨だ。確か環境保護のため捕獲は禁止されていたはずだ」


ヴァレリーの言葉に嫌な汗が背筋に流れた。ダウンを着ていても、ぞっとする。


「……それって、もしかしなくても滅茶苦茶貴重なヤツか?」


「飛び去った後に手作業で残された羽毛を採取するからな。それなりの値段はするだろう」


「数十万とか?」


「桁が違う」


「まさか、数百万……」


「そのくらいだな」


事もなげに言うヴァレリーを真っ青になった恭介が直ぐに抱え上げた。


「歩くな!汚れたり、破れたりしたらどうする」


「……お前、運動のために歩けと言っていたと記憶しているが?」


「忘れろ。それを着ているときは、絶対に動くな」


ヴァレリーは真剣な目をした恭介に呆れた目をし、ため息を吐いた。

緑に囲まれたビジターセンターが見えてきた。


「なあ、間違ってないよな」


戸惑いと不安を含んだ声で恭介がヴァレリーに尋ねた。


「自信がないのか?」


「自信なんてあるか。……これまで一人でやってきて、いつも綱渡りだったんだ」


恭介のヴァレリーを抱く腕に少し力が入った。


「……相談し、叱られる相手ができたのは久しぶりなんだよ」


「骨は拾ってやる」


「ひでぇ……」


恭介は苦笑する。


「安心しろ、間違った時点で皮肉っている」


「うん……そうだよな。お前はそういう猫だった」


「城戸に頼んだ使用者範囲はとどいたのか?」


「ああ、出掛けにメールできた。一定の部署や役付き責任者は、いざと言うときのために操作できる権限を持っているそうだ」


「なら、あの秘書も使えるということだな」


「パソコンと社用スマホが、手元にあればの話だ」


恭介はヴァレリーを抱いたまま、ビジターセンターに入った。

センター内は空調が効いていた。

恭介はヴァレリーを抱いた方と反対の手でダウンの前を開けると受付に向かった。

受付で所長の松島を呼び出して貰おうとしたとき、


「所長の松島さんにお会いしたいんだが」


と割り込むように男が受付の女性に言った。

恭介は男を見ると、刑事の猪熊だった。

猪熊も恭介に気が付いたようで、ちょっと、目を見開いた。


「どうも」


猪熊は訝しげに恭介を見た。


(洗いざらしのシャツに履き古されたジーパン?資産家だったよな、この男。だが、こっち方が性に合っているようだな……)


「にゃぁ」


ヴァレリーが鳴いた。

猪熊の恭介が抱いている猫に目をやった。


(……なんだ、この猫は……吸い込まれそうな目だな……嫌な猫だ)


猪熊は理由のわからない寒気が背筋に走り、ぷるっと震えた。


「刑事さんも松島さんに用が?」


「あんっ?探偵さんもなんか掴んだのか?」


「ええ、ちょっと」


「ほお。情報提供は大歓迎だぞ」


猪熊がにやりと笑う。

恭介は飄々と


「いいですけど、刑事さんの情報も教えてくれますか?」


「捜査情報の漏洩は厳禁なんだよ、悪いな」


「なら、俺の方は個人情報なんで」


「喰えねぇ、探偵だな」


猪熊が苦笑した。


「ご一緒してもいいですか?」


「駄目だ……と言っても、ついてくるのは自由だな」


「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」


猪熊はどうしても聞かずにはいられないと言うふうに


「……ところでよ、なんで猫にダウン着せてんだ?」


「防寒らしいです」


「猫に?自前の毛皮があるのにか?」


「ええ」


「はっ、お猫様だな」


呆れたような猪熊の声に恭介が同調するように


「お猫様なんです」


恭介と猪熊は顔を見合わせると吹き出した。

空気が解れたところに松島がやって来た。

サンライズのロゴの入った上着を羽織り、温和な表情で恭介と猪熊に挨拶をする。


「刑事さん、今日はなにか?」


「ちょっと、確認したいことがあってな」


「そうですか。……千束様は?もしや、ご一緒ですか?」


「いや、俺は……」


猪熊が遮る。


「まぁ、そんなところだ」


そう言って恭介を見るとにやりと笑う。

その笑みは恭介に「貸し一つだ」とでも言っているようだった。


「それで、確認とは?」


猪熊が肘で恭介を突いた。


「えっ」


戸惑う恭介にヴァレリーが恭介の腕に軽く爪を立てた。

恭介がヴァレリーに目をやる。


「貸しは返すものだ」


ヴァレリーの顔はそう言っているようだった。

恭介は頷くと、松島に向かい、


「福島さんの机を見せてもらいたいと思いまして」


「福島の?」


「ええ」


「刑事さんもそれでいいんですか?」


「ああ」


「わかりました」


松島は受付の職員に


「君、来客用パスを」


職員から二枚目の来客用パスを受け取ると恭介達に渡した。


「IDが入っています。部屋に入る時には必要となりますので付けていてください。では、こちらへ」


松島は先頭に立ち、事務室へと続く扉に向かって歩き出した。

窓から陽が入る廊下は明るく、人の口に入るものを作っている場所だけにごみ一つ落ちておらず、清潔感に溢れていた。

廊下を抜け、事務室の前に立つ。

松島が壁に取付けられているセキュリティリーダーに社員証を翳す。

ピッと音がしてドアロックが外れた。

松島はドアを押さえた。


「どうぞ、お入りください」


恭介たちは松島の前を通り、中に入った。

事務机が整然と並び、壁に沿うようにキャビネットが置かれていた。部屋の奥にはガラスのパーテーションで区切られた所長室があった。

松島に次ぐ役付きである福島の机は対向方式の一番奥にあった。

恭介は福島の机に近づいた。

机の上にはデスクトップが一台置かれているだけだった。

机の引き出しを開けると既に整理されていて、目立つものはなにもなかった。

猪熊も覗くようにして恭介の背後から見ていた。


「パソコンを開けてもらうことはできますか?」


「業務上、上の許可がないとお見せすることはできません」


「松島さん、許可があれば、見せてもらえるんですね」


「はい」


「そうですか……福島さんも社用のスマホを持っていたんですよね」


「ええ。社員は全員持っています」


「その福島さんのスマホはいまは?」


「こちらに保管してあります」


松島がキャビネットを指差した。

恭介がキャビネットを開けようとしたが、鍵がかかっていた。


「情報などが入っていますから、通常でも鍵のかかる場所に保管することが決まっているんです」


「鍵は誰でも開けられる?」


「基本、記録簿に記載すれば可能です。しかし、亡くなった福島さんのものは証拠品となりますから、私しか開けられません。鍵も別にしています」


「そうですか。ありがとうございました。猪熊さん、俺の方はこれで終わりです」


「そうか。……松島さん、悪いが、倉庫を見せて貰えるか?」


「あ、はい。鍵を持ってきますので、ここでお待ちください」


松島は恭介たちを残して鍵を取りに行った。

松島の後ろ姿を見送りながら、猪熊は恭介に


「付いてくるだろう?」


「はい」


「で、なにかわかったのか?」


「ええ、まぁ」


「勿体つけるな、探偵さんは」


「にゃあ」


ヴァレリーが鳴く。


「なんだよ、こいつは」


猪熊が眉を顰めた。

その鳴き声は「待っていろ。後で話してやる」とでも言っているように猪熊には聞こえた。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。