琥珀第16話 ノン・チルフィルタード
翌日の午後に和明のマンション前で城戸と落ち合う約束をした恭介はヴァレリーと共に一条寺邸へと帰宅した。
「おかえりなさいませ」
使用人一同が出迎える様に恭介は今でもちょっと引く。
それが仕事だと言われれば、恭介には従うしかない。
ヴァレリーを見るが、ヴァレリーは当たり前の光景と泰然としている。
(これが庶民とお猫様の差か……)
いつか慣れる日が来るのだろうかと遠い目をする。
藤堂が優雅に頭を下げる。
「お食事はいつも通りに?」
「はい、それで。それまでは執務室にいます」
「わかりました。後ほど、お茶をお持ちします」
「お願いします」
廊下に敷かれた絨毯を踏みしめて執務室へと向かう。
鍵尻尾をピンと立てたヴァレリーが恭介の前を歩いている。
(……こいつ、家来を従えた殿様みたいだな。まぁ、間違ってはいないが、なんか面白くねぇ……)
「恭介、そう思うなら早く私を越えることだ」
ヴァレリーが振り返り言った。
「なんでわかるんだよ!」
「ポーカーフェイスを学ぶんだな」
「いいや、学んだところで、お前と藤堂さんには通用しないだろうが!」
「当たり前だ。経験値が違う」
「俺はその経験値とやらが怖いわっ!大体、猫の経験値が人並み以上って、おかしいだろうが」
「猫だから問題はない」
「問題だっての!」
ぶつぶつと言いながら、恭介は執務室の扉を開けた。
考え事をする場合、執務室を使うのがいつの間にか習慣となっていた。
そのことに気が付き、恭介は苦笑する。
応接セットのソファに腰を下ろす。
ヴァレリーは向かいのソファに座っていた。
この位置もそうだなと恭介は口元を緩めた。
「で、明日あの男の所に行き、なにをする気だ?」
ヴァレリーの問いに恭介は
「あいつの隠していることを洗い浚い話してもらう。そうしないと、次に進めない気がするんだ」
「そうか」
「えっ?それだけ?」
「なんだ、なにか問題でもあるのか?」
「いつもなら俺に、ああしろ、こうしろと言うじゃないか」
「操り人形希望か、お前は?」
「誰が希望するか!」
「なら問題はないな」
ヴァレリーになんか誤魔化されたような、交わされたような気がするが、こういうときのヴァレリーは絶対に答えない。
いままで付き合いで、それを嫌というほど学んでいる恭介は諦めた。
「半分だ」
香箱座りをしたヴァレリーのこの小さな呟きは恭介には聞こえなかった。
和明のマンション前で城戸と落ち合った。
城戸は同行者を連れていた。
同行者は作業着を着、工具箱を持っていた。
三人と一匹はエレベーターに乗った。
「城戸さん、あれから、佐田さんと志信さんは?」
「お二人だけでお話をされていました。会長も志信さんも落ち着かれたご様子で。千束様、ありがとうございました」
城戸が恭介に向かい、頭を下げた。
「よしてください。私は違うことを違うと言っただけですから」
「いえ、それだけではありませんから」
恭介は、「なにがです?」と尋ねようとしたが、タイミング悪くエレベーターが目的の階に着き、ドアが開いた。
城戸が和明の部屋のドアフォンを押した。
応答がないと見るや、カードキーを差し込み、ロックを解錠すると、城戸は同行者に目配せをして促した。
「失礼します」
そう言うと同行者は工具箱からドアチェーンカッターを取り出すと狭い隙間にそれを差し込んだ。
パチン。
カシャン。
いとも簡単にドアチェーンが切れた。
(えっ、力技?いいのか?)
「あ、あの城戸さん、こんなことをしても?」
「問題ございません。会長より許可は頂いております」
「けど、ここは佐田の個人所有ですよね?」
「いえ、会長の個人資産の一部です。和明さんは借り受けているだけですので」
「そうですか……」
(これだから金持ちは……)
と恭介は内心ごちる。
城戸は同行者に礼を言い、すぐに返した。
「和明さん、入りますよ」
城戸は玄関で靴を脱ぐと奥へと入って行った。
「臭いな」
ヴァレリーの声は嫌悪感を含んでいた。
よどんだ空気にアルコールの匂いとゴミの腐敗した匂いが混じって鼻につく。
部屋に入ると、テーブルの上とはいわず床にまでビールの缶やウィスキーのボトルが転がっていた。服もその辺りに脱ぎ散らかされており、雑然とし、埃やゴミが目に付いた。そこにモノトーンで統一されたスタイリッシュな部屋の面影はない。
城戸はカーテンを開け、窓を開け放った。
倒れるようにベッドに寝ている和明を容赦なく起こした。
「和明さん、起きてください。そして、さっさと身支度をして来なさい」
「ひっ、なんだ城戸か……誰に言ってんだよ」
「和明さんに言っています。会長からの指示です。従っていただきますよ」
「いくらじいさんの言い付けだろうが、俺の勝手だろう」
「そういう問題ではありません。従わないのであれば、懲戒免職の上、損失補填の賠償金を請求されるそうですが、よろしいので?」
和明は憎々しげに城戸を睨むとのろのろと起き上がりバスルームへと向かった。
「お見苦しいとこを失礼しました」
「いえ……」
恭介は城戸に虚勢を張る和明の姿が異様に映った。
城戸は和明が出てくるまでの間、散乱した部屋をてきぱきと片していった。
恭介の耳元でヴァレリーが
「あれは相当、やらかしているな」
「だな」
「狸も本腰を入れたか……」
城戸は恭介を片付けたソファへ誘った。
「どうぞ、こちらに」
「すみません」
恭介はヴァレリーと共に和明が出てくるのを待った。
その間も城戸は部屋を片付けていた。
暫くして、こざっぱりとした和明がシャツにチノパンという出で立ちで恭介の前のソファにどさっと座った。
髭を当たり、身なりを整えたせいもあり、一昨日よりはマシな姿になっていた。
城戸が恭介の後に立った。
「で、なんの用だよ」
居丈高な態度を取る和明を恭介はじっと観察した。
足を小刻みに揺すり落ち着かない。
和明は虚勢を張っているが目には怯えの色が滲んでいた。
「蒸留所でのことを聞きたい」
「なんでだよ」
「志信さんが、浩美さんを殺めたと佐田さんに告白した」
恭介の言葉に和明は「しめた」と思った。
(志信に罪を被せれば、あれも意味がなくなる)
「そうか。ならそうなんじゃないの?」
事もなげに和明は言った。
その態度に城戸の表情が微かにに歪んだ。
「あいつら、仲悪かったしな。あの後も浩美に注意されて、怒ったように走り去って行ったしな」
「あの後?」
「試飲の前だよ」
「試飲の後、どうだった?」
「……俺は飲んでたしなぁ」
(罪を着せるためには、決定的なものがいるよな。だが、あまりにそれっぽいとマズい……どうするか……)
和明は考えるふりをして志信に罪を被せるにはどう答えたらいいかを考える。
「なにか思い出さないか?」
恭介の声を聞き、和明はふと思った。
(こいつは警察じゃない。ただの探偵だ。しかも名の知られていないへぼ探偵……適当にでっち上げたところでバレるわけないか)
和明は心の奥底でにやりと笑った。
さも、いま思い出したというふうを和明は装った。
「あーそうそう、そういやぁ、志信が倉庫の二階から降りてくるところを見たわ。酔い覚ましに倉庫の一階にいたんだよ」
「それは本当か?」
その途端、恭介の表情が変わったのに和明はしめしめと思った。
倉庫にいたのは事実だ。真実味を増すには嘘の中に真実を混ぜることだとネットには書いてあった。
(もう一押ししとくか)
和明は態とらしく、ため息を吐いた。
「……ここだけの話しなんだが……」
和明が声を潜めた。
「浩美のやつ、妊娠してたんだよ。志信はそのことに腹を立てたんじゃないか?あいつ、ああ見えて潔癖症というか、そういうことが許せない質だからな」
「……」
「問い詰めて、思わず突き飛ばしたら、鉄柱に……なんてことになったんじゃないか?」
恭介が深い吐息を吐いた。
なにかを払うように軽く左右に首を降る。
その姿に和明は
(やった……ちょろいな。お前なんて、所詮は三流なんだよ)
「佐田、お前が犯人か?」
「はっ?なっ、なに言って……」
「浩美さんの遺体は一階で見つかった。なのになぜ、わざわざ二階なんて言うんだ?」
「そ、それはだな……見たんだからしかたないだろう」
「鉄柱にぶつけたなんて、誰も知らないぞ」
「想像だよ、想像」
「俺の一番の疑問だ。お前は浩美さんが妊娠していたことを誰に聞いた?」
「警察だよ、あの刑事だよ!」
「浩美さんが妊娠していたことは、佐田会長と警察だけしか知らないんだ」
「つっ!」
和明の顔から血の気が引いた。
恭介は和明に威圧をかけた。
真っ青な顔をした和明が座っていたソファの上で逃げるように後退った。
「佐田、本当のことを話せ」
(この男、語るに落ちたな)
ヴァレリーは黙って恭介たちのやり取りを聞いていた。
和明を問だだす恭介の様子にヴァレリーの機嫌を反映した鍵尻尾が揺れた。




