琥珀第14話 ドラフ
「ここか……」
恭介は城戸からのメールに添付された地図に記されたタワーマンションの前にいた。
本来なら和明に連絡を取り、訪問すべきところなのだが、当の本人と連絡が取れず、些か強引だとは思ったが、佐田に連絡を入れた。
佐田は「わかった」とだけ答え、すぐに秘書の城戸に手配をさせた。
和明は会社へは欠勤の連絡を入れているそうだが、それ以外は一切、電話やメールに出ず、家族も心配して連絡をいれたが、「なんでもない」の一点張りで埒が明かずに困っていたことを恭介は城戸から聞いた。
お台場を望む立地に建つこのタワーマンションは、賃貸に出せば家賃相場は月数十万はくだらない。二十代の何の役も付いていないサラリーマンが住むには過ぎたものだった。
「あの男には分不相応だ」
サンライズ創業家に生まれた和明だからこその住まいで、和明本人の力ではないとヴァレリーは言っていた。
(それをいうなら、俺もだぞ)
と恭介は内心でこっそりと言った。
「恭介、お前は自分で仕事をし、稼いでいる。比べるな」
「お前……」
ヴァレリーに褒められたことに恭介は感動した。
「まぁ、サインをしているだけだがな」
「おい、俺の感動をどうしてくれる!」
「知らん」
(これだから、こいつは……)
恭介はもやもやとした感情を押し殺すように、ヴァレリーの入ったキャリーバッグの柄を握り締めた。
マンションの入り口にある共用エントランスのオートロックの扉を城戸から預かったカードとパスワードで解錠した。
光沢のある磁器質タイルの床材を使用しているためエントランスは優雅さを醸し出していた。
恭介とヴァレリーは正面に設けられたエレベーターに乗り、二十三階のボタンを押した。
「なにかあったな」
「俺もそう思う……怯えるようななにか。多分、浩美さんに関わることじゃないかと踏んでる」
「さて、鬼が出るか蛇が出るか」
ヴァレリーが呟いた。
と、同時に
チン。
エレベーターの扉が開いた。
和明の部屋のインターフォンを押す。
返事がない。
再度、呼び出して、少し待つことにした。
「もう一回押すか?」
「いや、大丈夫だ」
ヴァレリーの耳がドアの向こうの音を捉えていた。
ドアチェーンの分だけ、ドアが開いた。
部屋の中から溢れてくるアルコールに混じった饐えた匂い。日中にも関わらず部屋が暗いのは陽射しを遮っているからだろう。
落ち窪んだ眼窩。
延びた無精髭。
いつ着替えたのかわからない薄汚れて皺の寄ったシャツ。
隙間から見える和明の姿には以前の傲慢な面影はなかった。
「……なんだ……」
「話を聞きたくてな。佐田会長には許可をもらっている」
「俺には、話すことはない」
閉めようとするドアを押さえ、恭介は素早く足先を挟んだ。
一瞬、和明に怯えが浮かんだ。
和明は数歩後退った。
「……お前、どうしたんだ?」
「な、なんでもない……帰れ……」
「話を聞いたら帰る」
「警察には話した。お前に話すことはない」
「俺にはあるんだ。あの日、お前と浩美さんが蒸留所に来たのは、本当に偶然か?」
「……」
「あの後、お前は浩美さんと一緒にいたのか?」
「……なにを……」
和明の目が泳いだのを恭介は見逃されなかった。
「お前、浩美さんと随分親しかったらしいな」
「う、うるさい!もう帰れ!帰らないんなら人を呼ぶぞ!」
「呼べよ」
恭介のその言葉に和明は一旦部屋の中に戻ると、ナイフを手に戻って来た。
震える手でナイフを身体の正面に構えると、追い詰められた人間のように恭介を睨みつけた。
異様な状況にヴァレリーが
「引け、恭介」
「ああ」
恭介はドアに挟んでいた足を外に出し、手もドアから離した。
ドンッ。
ドアが勢いよく音を立てて閉まった。
がちゃん
鍵を掛ける音が静かな廊下に響いた。
恭介は表情を顰めると乗ってきたエレベーターで下に降りた。
「最後のあれ……お前、鎌をかけたな」
問うヴァレリーの声には満足気な色が滲んでいた。
「ああ。浩美さんの名前を出したとき、あいつの目が泳いだんだ……」
「どう思う?」
「あの怯え方は異常だ。怯えないといけないほどのものをあいつは隠している……それも重大ななにかを……」
「多分、浩美さんと最後に会ったのはあの男だな」
「俺もそう思う」
「これからどうするんだ、探偵」
「調べるしかないだろう」
「まぁ、頑張るんだな」
「えっ?手伝ってくれるんだよな、当然」
「猫の手は忙しいときしか貸さないものだ」
「ヴァレリー、そう言わずに頼むよ……相棒」
「猫だからな、私は」
キャリーケースの中で、ヴァレリーはわずかに口元を綻ばせ、恭介も笑みを浮かべた。
マンションを出ると、陽射しは西へ傾き始めていた。
オレンジ色の光の中を歩きながらも、浩美の名を口にした瞬間、怯えた目で自分を見た和明の姿が、恭介の頭から離れなかった。




