第12話 再蒸留
愛車である軽自動車で高速道路を走りながら、恭介は不思議な感覚を覚えた。
以前の自分が白飯だとすれば、ヴァレリーにより勝手に香辛料を振りかけられ一つ上の料理にされているようだった。
成長させられているのだろうか。
愛車のハンドルを握りながら、助手席に座っているヴァレリーに声をかけた。
「なぁ、蒸留所に行ってなにがわかるんだよ」
「恭介、頭は使うためにあるんだ。身体の重しではない」
「頭が重しだったら、漬け物石代わりに置いとくは!」
「ウィットにしても残念だな」
「くっ……猫に評価されるなんて」
口惜しさにハンドルを握る手に力が入った。
横目でヴァレリーを盗み見ると、ヴァレリーはカーナビを見ている。
金色の目が座標を追っているようだ。
(猫がカーナビ……もう、なにがあったところで驚くもんか)
「カーナビを理解するってことは、パソコンも操作できるのか?」
「マウスの操作は難しいがな」
「……お前、猫だからな」
「猫だから問題はない」
「大有りだっていうの!」
騒いでいる恭介を尻目に窓の外に目をやったヴァレリーは
「蒸留所まであと一時間くらいか?」
相手にされていないと肩を落とした恭介は
「混んでなきゃ、そのくらいだな。で、蒸留所に行って、なにをするんだ?」
「この事件を最初から思い起こしてみろ、恭介」
「貯蔵庫の遺体、横領の発覚……」
「福島は本当に横領し、浩美を殺したのか」
「なぜ、浩美は殺されたのか。腹の子は誰の子か」
「恭介、浩美の遺体検案書にはどう書いてあった?現場の写真はどうだった?」
「頭部に打撲による裂傷、死因は窒息死……写真は……あっ!?」
床は大麦と埃以外には踏み台しかなかった。
どこで怪我をした?
頭部に外傷があるなら、傷から流れた血はどこにある?
「血痕がない……」
「それだけか?」
「付け爪が二枚目剥がれている……水分を含んだ大麦と乾燥した大麦が付着している……なぜ二種類の大麦があるんだ?」
ヴァレリーの髭がぴくりと動いた。
「蒸留所に行く理由がわかったな」
「ああ」
恭介はアクセルを少しだけ踏み込んだ。真実を調べるために。
春分が近いとはいえ、南アルプスを控えるサンライズ蒸留所は標高約700mの高地特有の冷涼な気候のため早春の候に近かった。
広大な敷地内を森の遊歩道に沿って歩いて行く。
佐田に予め連絡を入れて貰っていたため、入口のビジターセンターにて咎められることなく、蒸留所内の立ち入り禁止エリアに入ることができた。
途中で所長である松島が出てきたが、恭介はヴァレリーと勝手に行くので問題ないと断りを入れた。
恭介とヴァレリーがまず向かったのは、現場となった倉庫だった。
厚い石造りの倉庫は二階建てで、一階は大麦の麻袋が山積みされた保管場所、二階は発芽させるモルティングフロアになっている。
石造りの建物を支えるため剥き出しの鉄柱が何本も立っていた。
高いところの梁も太く頑丈そうだった。
入口近くでは湿った空気と共に階段や吹き抜けを通じて、大麦の発芽する青臭い匂いが一階にまで降りてきて漂っていた。
ヴァレリーが倉庫内を見回した。
「昔ながらの造りか……」
「効率化を重視した近代的な造りかと思ってたけどな」
「あの狸は、ものづくりには手間暇をかける」
「佐田さんはそんな感じだな。さて、どこから確認していく?」
「恭介、お前ならどうする?」
ヴァレリーが問い返した。
「そうだな……先ずは一階の現場だな」
「では、行こうか」
「ああ」
賽の目に区切られた倉庫内を奥へと進んでいくと、入口とは対照的に空気が乾燥していた。
床がコンクリートのため倉庫内はひんやりとしていた。床には麻袋からこぼれ落ちた大麦の粒や、細かい粉塵が薄く積もっている。
歩くと大麦を踏むたびにさくさくと音がした。
「ここだな」
ヴァレリーが梁を見上げた。
恭介は浩美が倒れていた場所を中心に見て回った。
倒れていた場所からパレットの位置までは距離がある。
ならば、コンクリートの床かと辺り一面の床を調べたが、血痕らしきものは無かった。
床にしゃがみ込んだときに付いた大麦を払う。
乾燥してかさかさしている大麦は軽く叩いただけで取れた。
「なにかあったか?」
「血痕らしきものはなかったな。そっちは?」
「梁の高さはどのくらいだと思う?」
恭介は梁を見て自分の身長から割り出した。
「床からニ.五メートル位かな」
「検案書によると福島の身長は百七十センチだ。踏み台の高さは三十センチ。これをどう思う?」
「福島が踏み台に立てば、首まで高さは……大体百四十五センチか?足すと地上から百七十五センチ。ニ.五メートルの梁からロープを垂らすにしても、落差は最低でも三十五センチはいるよな……」
恭介はじっと吊り下げられていた辺りを見た。
「とすると、首を吊るには、ロープの長さが足りなすぎるか、逆に足が完全に踏み台に着いて、首に体重がかからない」
「少なくとも、自ら首を吊ったとは考えにくい」
「……そうなると、浩美さんも別の人間に手にかけられたと考えた方がいいな」
「そうだな」
ヴァレリーの尻尾がゆらりと揺れた。
恭介は顔を上げた。
「……二階に行く」
恭介と並んでヴァレリーが歩いた。
階段を登ると壁際に浸麦槽があり、別に区切られた部屋があった。
浸麦槽の周りは床が広がり、浸麦槽の横には手押し車が置かれていた。
そのせいか一階とは違い、幾分か湿気があった。
「ここは?」
「浸麦槽で湿らせた大麦を床一面に広げて発芽させる場所とあの部屋は貯蔵庫だな」
ヴァレリーは床に鼻をつけて嗅ぎながら答えた。
所々に掬い忘れたのか水分を含んだ大麦と職員に踏まれたのか潰れた大麦が転がっていた。
鉄柱には木製のシャベルとパイプ椅子が立てかけられていた。
恭介は周囲を確認しようとして椅子をどかした。
パイプ椅子がシャベルに当たり床に倒れた。
がしゃん。
倉庫内に音が反響した。
シャーッとヴァレリーが威嚇する。
「すまん」
「気をつけろ」
恭介はシャベルを立てかけ元に戻した。
さて、動かしたパイプ椅子の辺りはと恭介が見たとき、鉄柱の色がついている個所が目に付いた。
気になり、恭介は目を凝らす。
「なんだ、これ?」
「おい、ヴァレリーちょっと来てくれ」
恭介はヴァレリーを呼んだ。
恭介の腰の辺りの位置に拭き残しような掠れた小さな染みが並んでいた。
恭介に呼ばれたヴァレリーがすたすたと近寄って来た。
「どうした」
「これなんだと思う?」
恭介はヴァレリーをひょいと抱き上げ、並んでいる染みにヴァレリーに見せた。
ヴァレリーは顔を寄せると、鼻をひくひくと動かして匂いを嗅いだ。
青臭い発芽麦の匂いに混じる微かな鉄錆の匂い。
「拭き残しか……」
「血痕と判断してもいいのか?」
「ああ。だが、浩美のものとは断定はできん……おい、下ろせ」
恭介はヴァレリーをそっと床に下ろした。
ヴァレリーは床の一箇所に興味を示した。
すり潰されたような大麦。
「ふん、なるほどな」
恭介がヴァレリーの横に片膝を付いた。
「これがどうかしたか?」
「床に落ちている他のものと比べてみろ」
水分を含みふっくらとした大麦、すり潰されたような大麦。
(すり潰されたのはなぜだ……?すり潰すには……)
「そうか、靴で踏み潰した」
「浩美はヒールを履いていた。滑ってバランスを崩してもおかしくはない」
「だから、鉄柱で頭をぶつけた」
「付いていた二種類の大麦についても説明がつく」
「ああ、乾いた大麦は一階のもの。水分を含んでいた大麦はここのものだったんだ。浩美はここから一階のあの場所に移動させられた……」
「だが、一階へ意識のない人ひとりを担いでいくには、相当な力がいるぞ。男でも簡単ではない」
「だよな。そうなると道具を使うしかないか……あの手押し車なんか使ったら轍が付くだろうし……」
恭介は辺りを見回した。
ヴァレリーは一箇所の壁を凝視していた。
恭介もそちらに目を向けた。
荷物の移動用エレベーター。
(人を立たせて乗せるには無理だが、身体を曲げれば乗せることができるかもしれない。あれを使えば……)
恭介は確認するためにエレベーターに近づいた。
開閉のスイッチを押し、扉を開けた。
麻袋を入れるため奥行きも高さもあった。
ひょいとヴァレリーが中に入り、匂いを嗅ぎながら歩いていた。
ヴァレリーの脚がぴたっと止まった。
「なにかあるのか?」
恭介が覗き込むようにして上半身を入れた。
ヴァレリーの顔の前には小さな桜色の付け爪が光を受けていた。
帰路、サービスエリアの駐車スペースに車を停めて、一旦休憩を取った。
平日にも関わらず、流通を担うトラックや観光バスが専用駐車スペースに停まり、レストハウスや道の駅は人で賑わっていた。
恭介とヴァレリーはテラス席の端に座った。
恭介はカップに入ったコーヒーを一口飲み、ヴァレリーは専用の深皿で水を飲んでいた。
(このコーヒーより絶対に高いな、あの水)
出かけに藤堂により持たされたお出かけセット。ジップロックの小袋に入ったカリカリ、ミネラルゼロの高濃度水素水のパック、カリカリ用の皿と水用の深皿、ウェットティッシュ。
恭介は至れり尽くせりに若干引いた。
(ホント、お猫様だよな、こいつ……まぁ、それも仕方ないか……)
「なぁ、なんで警察は二階を調べなかったんだろうな」
水を飲み終えたヴァレリーが一つ伸びをしながら
「推測だが、遺体が二体とも一階にあり、一見無理心中のように見えたことが関係していた。争った形跡もない。そうなると意識が一階にだけ集中してしまい、二階を除外してしまう。一種のバイアスだな」
事もなげに言ってのけた。
一流大学の教授並みの知能を持ち、皮肉屋でどこか達観している猫などヴァレリーしかいない。
なんだかんだ言いつつ、恭介はヴァレリーといるのが楽しかった。
猫が相棒……傍目から見ると人として情けないと言われるかも知れないが、恭介が相棒と呼ぶのはヴァレリーしかいないと思っていた。
「なんだ?」
「いや、不思議な縁だなと思ってな」
「合縁奇縁という言葉があるくらいだ。まぁ、お前とは奇縁だがな」
「ひでぇ……」
「奇縁だろうが、無いよりはいい」
「……まぁ、そうだな。お前に会わなきゃ、まだ俺はあの場所で、卯建の上がらない探偵だったかもな」
「いや、卯建はあがってないぞ」
「お前……」
「にゃあ」
恭介はがっくりと肩を落としたが、次第に笑いが込み上げてきた。




