第6話 蒸留
サンライズ独自の木桶発酵から始まり、さまざまな形の蒸留釜に驚き、樽と原酒の薫りに包まれた貯蔵庫まで見学した恭介は、その規模とウイスキー造りへの情熱に圧倒されていた。
シングルモルトウイスキーとひと言で言ってしまえばそれまでだが、材料から焙煎、発酵、蒸留、熟成に至るまで大自然の恩恵と多くの人のの手をかけて作られていることを知ったいまはウィスキーの見方も変わった。
恭介は呆けたようにラウンジのソファに座っていた。
恭介の膝の上をヴァレリーは香箱座りで陣取っている。
ラウンジには他にも見学を終えた人々が話したり、壁の展示物を見たりしていた。
「いかがでしたか?」
松島が尋ねてきた。
「勉強になりました。特に、蒸留直後の原酒が無色透明であんなにも匂いが強いなんて知りませんでしたから」
「皆さんそうですよ。これから試飲をしていただきますが、アルコールは大丈夫ですか?」
「ええ」
「お帰りの運転はされないのでしたね」
「はい。けど、そんなことまで聞かれるんですか?」
「はい。飲んだら乗るな。乗るなら飲むな。楽しみが悲しみになってはならないと会長が徹底され、毎回、確認をしております。ご用意してまいりますので、いま少しお待ちください」
松島は確認のため和明の方へ向かった。
「束ねる狸だけはあるな」
「おい、佐田会長に辛辣じゃないか?」
「……それより、恭介。あの女を近づけるな。嫌な匂いがする」
ヴァレリーがこれほど嫌がるとは。
「浩美さんか?まぁ、俺もなんだか、ちょっと近づきたくなかったからな。お前がいたお陰で、変に近寄って来なくて助かった」
「ほう」
なぜだとヴァレリーが恭介の顔を見た。
「爪がな、長かったんだ。あの爪で引っ掻かれたらと思うとな……業務提携の担当なら志信さんの方がやりやすそうだな」
「……まぁ、それでいい」
「えっ?俺、なんか変なこと言ったか?」
「いや、狸爺も骨折り損でご苦労なことだと思っただけだ。気にするな」
「いや、お前が言うと気になって仕方ないんだ……」
「だから、少々量じゃ酔わないって、言ってるだろ!」
和明の声がラウンジ中に響いた。
「しかし、これは規則ですので」
「たかが試飲で、誰が酔うかよ」
和明は耳目を集めていることに気が付かない。
浩美と話しをしていた城戸が話しをきり上げて和明の元に行く。
「和明さん、創業家の一員であるあなたが我が社の社則をお忘れではありませんよね」
城戸の声には静かだが反論を許さないものがあった。
和明が忌々しそうな表情を浮かべたが、笑顔で直ぐにと、
「言ってみただけだ……千束、みっともないところ見せて割ぃな」
「俺に振るな!」と恭介は内心で思うが、この場の空気をどうにかするには引きつった愛想笑いを浮かべるしか恭介には手段がなかった。
ヴァレリーを見遣ると、
(やれやれ、これだから人間は)
といった目をしている。
(猫になりてぇ……)
試飲の用意が整ったと係りからの案内があり、ラウンジにいた人々がぞろぞろと移動を始めた。
「お酒、お強いんですか?」
浩美は恭介のヴァレリーを抱いていない方の腕にそっと指を這わせた。
「強いという程では……」
「そうなんですね」
「そうだったか?千束、今度、浩美も入れて、三人で飲みに行かないか?今までの詫びに奢らせてくれよ、な?」
「千束さん、和明さんはお詫びがしたいんです。私からもお願いします」
(えっ、これどうすれば……ヴァレリー、助けてくれ)
「千束さん、城戸さんが呼んでますよ」
志信が恭介に声をかけた。
渡りに船とばかりに、恭介は返事をしないまま城戸の方へ足を向けた。
「おい、志信。どういうつもりだよ」
和明が不機嫌に言った。
「べつに」
「まぁまぁ、和明さん。志信は仲間に入れなかったから拗ねているだけなの。ごめんなさい、許してあげて」
「はっ、子どもだな」
「ほら、志信もいつまでも拗ねてないで、早く大人にならないとね」
「拗ねてなんか」
「そうなの?反抗ばかりするのは、我が儘だからかと思ってたの。そうよね。もう大人だもんね。ごめんね、志信」
さも申し訳なさそうな浩美の姿がそこにあった。
そのやりとりを見ていた周囲は我が儘な妹とそんな妹を思いやる姉と映っていた。
「そうだ。和明さん、城戸さんにもご迷惑をかけてることだし、お誘いしましようよ」
「城戸もかぁ?」
嫌そうな和明に浩美は敢えて
「そんな表情しないで。城戸さん、優しくて礼儀正しくて良い方なんだから。私は好きだわ。あっ、志信も一緒に行きましょうね」
「……行かない……」
小さな声でそれだけいうと、志信は踵を返した。
「志信、どこに行くの?」
浩美の口元には嘲笑があった。




