第3話 タイユ――剪定
恭介は結ばれているネクタイに指を入れ、ほんの少し隙間を作った。
普段しない格好の窮屈さに辟易する。
”まだ終わらないのか?”
会場では招待客が思い思いに今年できたワインを試飲していた。
「あはははは、今年もいいな」
「あら、こっちはまあまあね」
山吹の雫はさすがに人気で、他のワインより出ていた。
久島が自ら醸造したという桜花の雫は好みがあるのかそれほど出てはいなかった。
「お疲れですか、恭介様」
「ああ、ちょっとな……なぁ、久島オーナーがいない間に……」
藤堂の目が笑っていない。
「……駄目だな……」
いない間に帰ることはできないことを知る。
恭介は肩を落とした。
「……おかしいな……」
藤堂の腕の中でヴァレリーがぼそりと呟いた。
「そうでございますね」
でたよ、二人だけの会話。
分かるように話せっていうんだよと恭介は心の中で悪態をついた。
ヴァレリーが恭介を見て、ため息を吐く。
「恭介、覚えておけ。こういう場でホストが居なくなることはない。マナー違反となる。しかも今回は新酒の発表会だ。今後の業績を左右することもある場での離籍は基本あり得ない」
「ホストのオーナーがいないということは……」
「何かあったと考えるほうがいい」
「お前がそういうと、もの凄く嫌な予感がする」
恭介は苦虫を噛んだよう表情をして、天井を見上げた。
誰かが来たのか、会場の入口がざわめいた。
「そうですな、ボジョレーヌーボーを楽しむなら、少し冷やして飲むと、フレッシュな酸味と果実味がより引き立ちますよ」
加藤が若い女性たちに囲まれて、飲み方をレクチャーしている姿があった。
加藤は手に持っていたワイングラスが空になっているのに苦笑を浮かべた。
「楽しんでいらっしゃいますか?」
いつの間に戻ってきたのか、恭介に久島が声をかけてきた。
「ええ。盛況ですね」
「おかげさまで、業績も好調ですよ」
久島がにこやかに話す。
「お帰りには、山吹の雫と桜花の雫をお渡ししますので、是非、ご自宅でも楽しんでください」
「ありがとうございます。楽しみにしています」
久島は別の招待客に挨拶をするために離れていく。
招待客の影にすぐにその姿は隠された。
「いかがですか?」
コンパニオンがおかわりを勧めてきたので、恭介は水のグラスを取った。
「飲まないのか?」
ヴァレリーが恭介の手元を見ている。
「ああ。ワインは飲んだ気がしねぇ……ビールがいい」
「安上がりな男だな」
「庶民だからな、俺は」
一条寺家当主とならなければ縁のなかった世界。
自分とは違う階級の人々の笑い声や人のざわめきに置いてけぼりになったような気がして、居心地が悪かった。
招待客と久島が話しているところに加藤が加わったのが見えた。
空のワイングラスに気づいた久島が、近くのテーブルにあったワインを手渡した。
二言三言交わした加藤はその場を離れ、渡辺に声をかけていた。
ソムリエだから醸造技術管理に興味でもあるのかもしれない。
新酒ができたのだから当然かと恭介は思った。
「早く終わらないかな」
「退屈か?」
「ああ。書類仕事の方がマシだ」
恭介が辟易した表情をする。
ヴァレリーが目を細めて笑ったように見えた。
ガタンッ。
何かがぶつかる音がした。
ガシャン。
「きゃぁーっ」
女性の悲鳴に恭介とヴァレリーの視線が動いた。
招待客で見えにくい。
「おい」
「ああ」
藤堂からヴァレリーを受取り、恭介は人の輪の近づいて行った。
床に倒れている男性を囲むように人の輪ができていた。
「すみません、通してください」
ひとをかき分けて前に出る。
人の輪の真ん中で倒れていたのは加藤だった。
うつ伏せに倒れており、ワイングラスが側に転がっていた。
倒れた加藤はぴくりとも動かなかった。
加藤の足元には渡辺が青い顔をして立っていた。
久島が慌てて駆けつけてくる。
加藤の横に跪き、身体を揺すった。
「加藤さん、加藤さん」
加藤からの反応はない。
「お、おい、渡辺、何をしている。警察を呼べ!」
「あ、は、はい」
久島の指示を受けて、渡辺はスマートフォンを取り出した。
ヴァレリーが恭介の腕から飛び降りた。
床に顔を近づけて、くんくんと匂いを嗅ぐ。
次にワイングラス、そして加藤の順で匂いを嗅いでいた。
恭介は周囲の招待客に注意を配った。
驚いた表情。恐怖に引きつった表情。茫然とした表情。
ざっと見ても怪しい人物はいないように感じた。
テープが張られ、立ち入り禁止となった会場を見ながら、恭介はヴァレリーに尋ねた。
「何かあったのか?」
ヴァレリーは金色の目を光らせて、
「……ああ……これだから人間は面倒くさい」
と言った。




