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第2話 エプルショナージュ――芽かき

 発表会はまだ続いていたが、信一は会場を抜け出した。

 人びとのざわめきや笑い声。

 元からああいった派手な場所は得意ではなかった。

 新酒の評価にほっとした。

 ロゼに近い色のオレンジワイン……

 自分で手掛けたものではないが、評価が気になるのは職業柄だ。

 外に出て、ほぼ収穫の終えたブドウ畑を眺めた。

 ワイナリーを囲むようにブドウ畑は広がっていた。

 カサ。

 カサカサ。

 ブドウ畑は風が葉を揺らす音しかしない。

 少し前迄は輝くような緑の葉で覆われていた畑は、いま、一面が黄色や赤に色づいている。

 そのブドウ畑の様子を亡くなった父は「黄金の丘」といつも呼んでいてなと信一は思いだした。

 もう少ししたら、この広いブドウ畑の収穫が終わる。

 秋が深まれば、この黄金に色づいた葉も落ちる。

 そうしたら冬が来る……


「はぁっ、剪定かぁ」


 脳裏に父の面影が浮かんだ。

 浅間山から吹き下ろす凍てつく寒風の中、悴む手に鋏を持ち、葡萄の枝を剪定していく父の背中。ブドウ畑で見せていた父の職人としての背中だけは、今も信一にとって絶対的な「正解」のまま、胸の奥に焼き付いている。

 信一の身体は父に教わった通りに動く。土の匂いを嗅ぎ、枝の節を見極め、最高の果汁を絞り出す。

 仕込み部屋から漂う発酵中の果汁の香りが、ふと信一をあの頃に戻す。


「信一、ワイナリーの規模なんて関係ない。樽の中でブドウを育てるのは、俺たち職人の腕だ」


 樽を前にした父は真摯な目でよくそう言っていた。

 ふと、自分の手のひらを見た。爪の間まで紫に染まったこの手は、あのとき誇り高かった父の手と、全く同じ色をしていた。


「父さん……」


 広く広がったブドウ畑を見る。

 ここは自分の畑ではない。

 だが、いつか父と同じように小さくとも自分の畑を持ち、父が愛した「最高のワイン」を作るのが信一の夢だ。


「よし、頑張るか」


 着慣れないスーツを脱ぎ、いつもの作業着に着替えて畑を見回ろう。


「葡萄の声を聴いてやるんだ」


 よくそう父が言っていた。

 父のようにはまだなれないが、毎日見回っている。

 葉枯はないか、カビてはないか。

 あの頃の父の心配が分かったような気がした。

 ワイナリーの裏手にある作業用の倉庫には誰もいなかった。

 手の空いている従業員は全員新酒の発表会に駆り出されていることを思い出した。

 ロッカーに向かう途中、何かの気配がした。


 ”……何だ?猪か?”


 足音を忍ばせて近寄っていった。

 言い争いに近い人の声がした。

 耳を澄ます。

 オーナーの久島とソムリエの加藤の声だった。


「だから、もういい加減にしてくれ!」


 加藤が鼻で笑った。


「何を寝ぼけたことを言っているんだ?」


「もう二十年も昔のことだろうが」


「時間など関係はない。それにバレて困るのはお前だ」


「貴様だって共犯だろうが!」


 苛立った久島の声。

 ただ事ではない雰囲気に信一は声をかけるのを躊躇った。


「共犯?おいおい、一緒にしないでくれないかな。私は私の意見を言ったまでだ。それをメディアや世間が勝手に解釈した。それだけだ。だが……」


 加藤の声は嬲るような響きを持っていた。


「盗んだだろ?」


「……」


「あの夫婦が長い年月をかけて作り上げた製造方法を」


「あ、あれは俺のものだ」


「違うな。山吹の雫の製造方法は滝沢夫婦が作り上げたものだ。それをお前が盗んだ。違うか?」


「……」


「そのせいで滝沢夫婦は自殺。借金は保険金とワイナリーの売却で無くなったらしいが、とんだ災難だ」


「貴様だって、金で評価を変えいるじゃないか。それを知った滝沢がうちは払わない。マスコミに何と言われようが、購入者を騙すような真似などできない。反対にマスコミに訴えると言われて焦っていたじゃないか」


「そうさ。だからお互い手を組んだんだろ?」


「……」


「それと、今年の新酒だが、あれは山吹の雫の足元にも及ばない。金を積まれたから、ああは言ったが、豚でも飲まないぞ」


「……あれは、俺の……」


「お前は及ばないのさ、すべてがな。まぁ、ひとつだけ優れていることがあるとすれば、金を作り出すことだな」


 加藤は嘲るように言う。

 久島がグッと両の拳を握り締めた。


「明後日までに金を用意しといて貰おうか、久島オーナーさん」


「……いくらだ」


「とりあえず、一千万」


「そ、そんな金」


「安いもんだろ?これからも山吹の雫で潤うんだからな。そうだ、金を貰うんだから、アドバイスをしてやろう。桜花の雫だったか?あれは製造中止にした方がいいぞ。不味い過ぎて豚でさえ飲まん。製造するだけ金を溝に捨てるようなもんだからな」


 加藤が久島の肩を叩いて出て行った。

 久島は加藤の後姿を憎々しげに見ていたが、暫くするとワイナリーの方へ歩き出した。

 一部始終を聞いた信一は壁に寄りかかると、そのままずるずると地面に座り込んだ。

 自殺に追い込まれた両親。


 ”……父さん、母さん……”


 あの日の母親のドヤ顔と子どものようにガッツポーズをする父親が信一の目に浮かんだ。


 ”父さんの夢は返してもらう”


 信一は覚束ない足取りで、倉庫を出た。

 目の前のブドウ畑を見る目は暗く沈んでいた。


 ”……許さない……”


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