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第1話 オレンジヌーボー 山吹の雫

 一条寺家の外観は素朴でいて重厚。その様相はスコットランドの建築や英国の別荘建築に近い。

 煉瓦造りの本館建物を囲むように西洋庭園が配置され、秋薔薇が美しく咲いている。

 その美しい庭園を鑑賞することもなく、千束 恭介は今日も執務室でサインをしていた。


 ”肉球登録してぇ……”


 そう思いつつも手を動かす。

 秋の穏やかな陽射しを浴びているヴァレリーに盗み見るように目をやった。

 そのヴァレリーだが、鍵しっぽをびたん、びたんと床に打ち付けていた。


 ”不機嫌丸出しだな”


 今日は年に一度のワクチン接種日だった。

 数日前から藤堂が使用人へ入念な打ち合わせを行っていたのを恭介は知っていた。

 屋敷にヴァレリーがいると察知されてしまうため、藤堂に頼まれて、恭介の探偵事務所へ同伴願っていたのだ。

 そのかいあってか、見事にヴァレリーは捕まったのだ。

 主治医の岸が


「そろそろ年齢も年齢なので、採血して検査もしておきましょう」


 とワクチンのほかに採血までされたので一段と機嫌が悪くなってるのだ。

 藤堂がワゴンを押して執務室へ入って来る。

 不機嫌なヴァレリーち一瞥し、何事もないように紅茶を淹れ始めた。

 僅かな音もたてずに置かれるティーカップに恭介は毎度のことながら感心させられていた。

 恭介は小声で藤堂に話しかけた。


「あれ、どうにかなりませんかね?」


「今日一日は、あのままでございますよ」


 藤堂が目を細めて微かに笑みを浮かべて言う。


「仔猫なら可愛いんですが、うっとしいです。正直」


「大人げない猫とでも申しましょうか……」


「聞こえてるぞ!」


 ヴァレリーがこちらを睨んでいた。

 すたすたと歩き、ヴァレリーは執務机に飛び乗った。

 恭介と藤堂を睥睨する。


「お前さ、年に一回のことなんだから諦めろよ」


「なら恭介、お前が受けろ」


「悪いな、お前流に言わせてもらえば、人間だから問題はない」


「藤堂、目を通していない書類、そのまま恭介に持っていけ」


「あっ、お前、なんていうことを……」


「お二方、お遊びはそこまででございます」


 藤堂が抗い難い笑みを浮かべていた。

 ヴァレリーと恭介は口を噤んだ。


「恭介様、招待状が届いております」


 藤堂が招待状が載った銀のトレーを差し出した。

 受取り、差出人を見る。


「久島ワイナリー?」


「ああ、そんな時季か」


 差出人の名を聞いてヴァレリーが頷いた。

 金の縁取りのある招待状を開く。


「なんだ?新酒発表会?」


「ボジョレーヌーボーは知っているな?」


「ああ」


「そこのワイナリーには出資していてな。時期になると招待状を送ってくる。去年はそれどころではないと判断したしたから見せていなかった……藤堂、持ってきたということは……」


「はい、新当主として出席されるには適当かと」


「い、いや、おい」


 恭介は辞退しようと声を上げるが、ヴァレリーと藤堂は聞いていない。


「そうだな。あの規模なら問題はないな」


「はい。さっそく出席と連絡をさせていただきます」


 ”俺に拒否権はないのか!”


 と言ったところで無駄だと知っているが、おもしろくないことも確かだ。

 いじけそうになる。


 ”はぁっ、当主なんかにならなきゃよかった……”




 今回は一条寺家当主としての参加となるため、運転手つきの国産の高級セダン車での移動となった。

 助手席には藤堂が座り、後方席には恭介とヴァレリーが座っていた。

 恭介はいつもの洗いざらしのシャツにデニムといういで立ちではなく、秋物らしいシックなスーツ姿だった。髪もきっちりと整えられているため、若き当主として恥ずかしくない容姿になっていた。


「ふむ、孫にも衣装とは、よく言ったものだ」


「ほっとけよ」


 つい頭を掻きそうになり、「恭介様」という藤堂の声で手を下ろす。


 恭介たちを乗せた車は関越自動車道から上信越自動車道に入り、碓氷軽井沢ICで降り、国道を小諸市に向かって走る。

 浅間山の南麓、千曲川の流れに沿っている小諸市は、内陸性の気候で降水量が少なく、日照時間が長く、昼夜の寒暖差が大きい。標高や土質が様々に異なり、醸造されるワインの味わいに違いを生んでいた。

 この地は、個人や小規模な造り手が集まり、個性を活かした独自のワイン造りをしている。近年では、こだわりのある小規模なワイナリーやブドウ畑が増えていた。

 向かっている久島ワイナリーもここにあった。

 久島ワイナリーの外観は西欧のシャトーを小規模にしたモダンな醸造施設の周囲には、広大なブドウ畑が広がり、自然と融合した造りとなっていた。二十年近く前に出したオレンジワイン『山吹の雫』はこのワイナリーでしか醸造されていない。

 ワイナリー内部はワイナリー・ショップ棟とレストラン棟に分かれ、ガラス越しに発酵タンクや樽庫を見学できる構造になっていた。

 招待状を出すとすぐに担当者が付き、ワイナリー内部の会場へと案内された。

 招待客は地元の名士や著名人が多く、恭介にはいささか腰が引ける場所だった。

 恭介の隣には藤堂がヴァレリーを抱いて付き従っているのが支えだった。

 中背の恰幅のいい初老の男が、三十代半ばの青年を連れて挨拶に来た。

 藤堂が小声で「久島ワイナリーのオーナー、久島 秀夫様と醸造技術管理士の渡辺 信也様でございます」と教える。


「ようこそお越しくださいました。久島と申します。それとこっちが醸造技術管理士の渡辺君です」


「渡辺です」


 渡辺が会釈をした。

 日に焼けた朴訥とした青年だった。


「千束です」


「新当主として、初のお目見えに選ばれたのは嬉しいかぎりですよ」


 久島は窓の外に広がるブドウ畑を見ながら、畑を広げれば、生産性を上げるのだと熱心に説明した。


 ”――出資額を増やしてほしい、ということか”


 恭介は心の中だけで思った。

 恭介は気づかないふりをして、無難に挨拶をした。


「不慣れですが、よろしくお願いします」


「いや、堂々としていらっしゃいますよ。あとで是非、ワイナリーを案内……」


「ご歓談中、失礼いたします。オーナー……」


 と黒服を着た支配人らしき男が、久島に一言二言耳打ちをする。

 久島は頷くと、恭介に中座することを詫び、渡辺とその場を離れた。

 何気に恭介は久島の後ろ姿を追った。

 途中で久島が背の高い久島と同年代位の男と親しく挨拶を交わしていた。

 部屋の中央に設えられた舞台には司会者と久島が中央に立ち、隅に控えるように渡辺が控えていた。

 コンパニオンが来客に山吹色ワインが注がれたワイングラスを渡していった。


「皆様のお手元にあるのが、今年のオレンジワイン『山吹の雫』でございます。どうぞ、ご賞味を」


 久島がにこやかに言った。

 招待客がオレンジワインを口にした。


「今年は去年より出来がいい」


「甘いのにすっきりしてる」


 会場では招待客達が出来について、口々に感想をいっていた。

 その会場に久島の声が響いた。


「それと、今年は私が醸造した新作もご用意しております。こちらは”桜花の雫”。オレンジワインとなります」


 再度コンパニオンたちが配って回った。

 先ほどのものより色が赤みがっており、ロゼに近いかと恭介は思った。

 味も山吹の雫より酸味が強い。

 恭介が眉を僅かに顰めた。


「どうした。恭介」


 潜めた声でヴァレリーが尋ねてきた。


「いや、山吹の雫に比べると味がな……なんというか、青臭いし、酸っぱいし、苦味があって、ロゼに近いかなと……」


「お前、ワインの味が分かるのか?」


 訝し気にヴァレリーは恭介を見る。


「個人的な感想だ。個人的な」


「いや、これはアプリコットの凝縮感、そして……ワインの樽の香や芳醇な葉巻のような香りのオレンジワインだ」


 ひと際大きな声で褒める男がいた。

 会場の人々が手に持ったワインを見た。

 

「だが、山吹の雫に比べると些か酸味が立っている」


 理屈っぽい言い回しの背の高い男。先ほど久島と挨拶を交わしていた男だ。

 その台詞に渡辺の表情が強張った。

 会場がざわりとし、手元のワインを見ている。


「ソムリエであり、ワイン評論家の加藤 豊様です」


 藤堂が誰かを教えてくれた。


「しかし、それがいい。爽やかな飲み口なのに非常にスパイシーで力強い余韻。ロゼにはない白の特徴と赤の特徴の新しい融合性だ。とてもいい。今年の一番の一本だ」


 おおっと歓声が沸いた。

 舞台の端に立っていた渡辺がほっとしたような表情になった。


「お前と随分と見解が違うな」


「だから、俺の個人的な感想だっていっているだろうが」


「……藤堂」


 ヴァレリーが藤堂の腕の中から藤堂を見上げた。


「後ほど」


 まただ、こいつら。

 説明しろっていうんだよ。

 恭介が独りごちる。


 加藤は”山吹の雫”を飲みながら舞台に目をやる。


「……滝沢に、似ているな……」






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