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黒猫ヴァレリーの事件簿Ⅱ  作者: 高橋 なぎ
遠藤酒造の悲劇
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第19話 蔵の始まり

「おい、退院して大丈夫なのか?」


恭介は酒蔵遠藤の応接間で、心配そうに正樹を見た。正樹はけろりとした顔でコーヒーを飲んでいる。隣ではヴァレリーが香箱座りをしていた。

事件が終わり、帰京前に挨拶をと病室を訪れたが正樹はおらず、別の入院患者がいた。病室が変わったのかと看護師に尋ねたところ、「退院なされましたよ」と言われたのだ。


「怪我したところが頭だったんで、いままで様子見てたんだが、もう大丈夫だろうって医者が言うんで退院することにした」


「いや、まぁ、医者がそう言うなら……無理だけはするなよ」


「おう。お前にも迷惑かけたな」


「俺は仕事をしただけだ」


「そう言う奴だったな……ありがとな。ああ、かかった経費と依頼料、ちゃんと請求してくれよ」


「わかった」


正樹はヴァレリーを見た。


「お前にも助けられたそうだな。出島さんが感謝してた。約束通り接待させてもらうから、千束と一緒に店に来てくれな」


ヴァレリーは鍵尻尾を機嫌よく振った。


「にゃあ」


ヴァレリーの返事に目を細めていた正樹が、寂寞とした声で、


「いろいろあった……」


そう言って、中庭に目を向けた。

恭介も正樹の視線を追うように中庭を見やる。

酒蔵が見えた。


逮捕された高村は警察の取調べで最初のうちは否認していたが、証拠を積み上げられていくうちに犯行について、喋り始めた。

先代の正隆が次代の杜氏として、圭吾を指名し、自分を他の仕事に回そうとしたことに、かっとなり、自分を認めない正隆を突き落とした。

金田については、いつものように人目につかない蔵の影でさぼっていた金田がその様子を見て、高村を脅してきので、酒蔵に誘い出し殺害した。

学については、野心が透けて見え、操りやすそうな人物だと思い、自分のいいように誘導しようとした。が、正樹が跡を継ぎ、圭吾に任せると言ったことを学から聞き、正樹を襲いその罪を学に被せようとした。

出島については、自分を認めず、圭吾を育てると言ったことに対しての犯行だったと話した。


「……なんだったんだろうな……たかが酒造りだったのにな……」


「そうだな……俺たちに取ってはたかが酒だが、酒造りにかかわる職人たちについては、されど酒になるんじゃないか」


「ははは、そうだな、親父がそうだったのを思い出した」


「お父さんは、根っからの職人だったんだな」


酒蔵に向かう頼りない背中の職人の後姿が見える。

その職人を見る正樹の目は春の陽射しのように暖かい。


「ああ、そうだ。この遠藤は圭吾が継ぐことになったよ」


恭介は驚いた。


「けど、よく咲さんが認めたな」


「親父が圭吾に継がせようとしてたこともあるし、義兄さんのこともあったからなぁ……ちょっと凹んでたよ」


「そうか」


「まぁ、姉さんも素直じゃないから、"株主として、少しでも遠藤の酒としての味が落ちたら、直ぐに解任動議をだすから"って言ってた」


「それは、圭吾さんも大変だな」


「圭吾も馬鹿正直に"ご期待に沿うよう精進します"って答えてたよ」


正樹は思い出したのか可笑しそうに表情を歪めた。


「俺は、あれには、姉さんなりに、遠藤(ここ)にいていいって言ってるんじゃないかと思ってるよ」


苦笑いを浮かべる正樹に釣られるように恭介も苦笑いを浮かべた。


「酒蔵遠藤も安泰だな」


「ああ」


「それじゃ、俺は帰るよ。怪我人は送らなくていいからな」


「すまん」


腰を上げた恭介はヴァレリーを抱き上げた。


「店の招待状を送るからな」


「楽しみに待ってる」


「にゃぁ」


「こいつも待ってるってさ」


そう言って、恭介は部屋を出た。

廊下に出た途端に、ヴァレリーが


「恭介、蔵だ」


「蔵?」


恭介が訝しげに尋ねた。


「まだ、なにかあるのか?」


「どんな酒ができるか、行けばわかる」


いまいち意味がわからず、恭介は首を傾げながら酒蔵に赴いた。



酒蔵では発酵が終わった醪が職人たちの手により酒袋に入れられ、棹に吊り下げられていた。

吊り下げられた酒袋から、透明な雫がゆっくりと滴り落ちる。

発酵の「ポコン、ポコン」という発酵の音に代わり、雫が落ちる音だけが静かに響いていた。


ポタ。

ポタ。


その雫を酒袋の下に並べられた巨大なガラス瓶が直接受け止めている。

圭吾は空になったタンクの前にいた。

タンクを愛おしそうに撫でていた。


「お疲れ。今回もありがとう。また、よろしくな」


造った酒を自分の手で最終工程である搾りまですることができた。一時は諦めていたことだった。

それが。

圭吾は充足感と喜びを覚え、自然と柔らかな笑みを浮かべていた。


「ここにいたか」


出島が蔵に入って来た。

圭吾はぺこりと頭を下げた。


「今年の酒はどうだ?」


「あんなことがあったのに、出来てました。この酒は強いです」


「そうか」


出島の目が綻んだ。


「圭吾、次の仕込みから儂につけ」


「えっ?」


「杜氏としてお前を仕込む」


「先輩の方々は……」


信じられないと圭吾は戸惑いと恐れを浮かべる。


「承知の上だ。遠藤の酒はお前が継ぐ。拒否は許さん。」


出島はそれだけを言うと、圭吾の返事も聞かずに蔵を出て行った。

残された圭吾は呆然と立ち竦み、暫くすると俯いて嗚咽を漏らした。


「すべて収まったな」


隠れるように見ていた恭介がヴァレリーに言った。


「搾りが終わったんだ。これからまた、仕込みをするのが酒造だ」


「そうだったな」


ヴァレリーは酒蔵から漂ってくる新酒の匂いに鼻をひくつかせた。


「やれやれ。『はじめは人が酒を飲み、次には酒が酒を飲み、最後には酒が人を飲む』とは、よく言ったものだ」


「なんか言ったか?」


ヴァレリーは尻尾を一度だけ揺らした。


「酒は変わらん。変わるのは、いつも人間の方だ」


そう呟くと、陽だまりの中を歩き出した。


「おい、待てよ」


恭介は肩をすくめ、その後を追った。


ポタ。

ポタ。


冬晴れの酒蔵には、今日も変わらず雫が落ち続けていた。

本日は2話投稿させていただき、この章は完結となります。

エピローグは19:30投稿予定です。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

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