第14話 濁り酒の正体
部屋の真ん中にスチール製の机と向かい合わせにパイプ椅子があり、学と取り調べにあたる中年の刑事が座っている。
部屋の奥には記録を取る若い刑事が座っていた。
部屋は殺風景だが、明るく清潔感があり、パソコンや小型のプリンターが置かれていた。
その部屋の中で背を丸めた学は項垂れていた。
「まるで覚えがないと。でもね、あなたが現場に居たのは事実ですよね。しかも、側には血のついた分師がある。私にはどう見てもあなたが襲ったとしか考えられないんですがね」
「だから、酒を飲んで……気がついたら、あそこで寝ていたんだ!」
学は何度目かわからない説明を繰り返した。
「それは何度もお伺いしました。けど、状況がねぇ……あなたではないという証拠でもあれば別なんですが……」
「証拠、証拠があればいいんだな?!」
「ええ。証拠があればですがね」
刑事はそんなものあるものかと鼻から疑っている態度だった。
「高村さん、遠藤の従業員の高村さんに聞いてくれ!あの日、俺は高村さんと飲んでいたんだから!!」
「その確認はもう済んでますよ。高村さんにお伺いしたところ、確かにあなたと飲んでおり、酔ったあなたを遠藤に送って行ったとね。あなたが買った土産も遠藤にありました」
学の顔色がぱっと明るくなる。
「なら!」
「けど、それはあなたを遠藤に送っていったという事実だけです。しかも、あなた、義理の弟さんを疎ましく思っていらっしゃいましたよね?」
「な、なんのことだ?」
「酒蔵遠藤の後継のことですよ」
刑事が切り出した質問に学はぎくりと身体を強張らせた。
刑事の目はその動揺を見逃さなかった。
「菅谷さん、あなた被害者の正樹さんが後継になるのを面白くなかったんじゃないですか?」
「そ、そんなことは……」
「正直に話しましょうよ。会社を辞める話をしていませんでしたか?」
学はぎゅっと拳を握った。
「……」
「奥さんの代わりに、あなたが社長の椅子に座るつもりだったんじゃないですか?」
「誰がそんなことを……」
「何でも、後継で揉めていたそうじゃないですか。奥さんは義弟の圭吾さんに継がせるなら、自分が継ぐとまで言っていたそうですね」
「……咲にすれば、当然です……」
「だが、酒蔵を継がないと言っていた正樹さんが、跡を継ぐなら咲さんが反対する理由はない。そうなると、いろいろと計画していたことが駄目になる。そう口にしていたと聞いたんですよ、我々は」
学はなぜ刑事が知っているのか不安になった。
「だから正樹さんを襲った……我々はそう見ているんですがね……」
刑事が入ってきて、取り調べをしている刑事にぼそぼそと耳打ちした。
中年の刑事は耳打ちされながら、鋭い目で学を見透かそうとしていた。
「鑑識から連絡です。分師からあなたの指紋が検出されました……菅谷さん、これでも、まだ話す気になりませんかね?」
「それは、目が覚めたときには握っていたんだ」
「そうですか、目が覚めたときに。それは知らないうちに握っていたと?」
「そうだ」
「それでもいいでしょう。けど、現場にいたことの否定にはなりませんよ」
刑事は学が犯人だと思い自供を待っていると学は感じ取った。
状況は学の犯行を示している。
目の前が真っ暗になる学だった。
病院の廊下は消毒液や特有の医療的においが微かにし、ナースや清掃人などで人が忙しなく廊下を行き来していた。
恭介はナースステーションで正樹の病室を聞き、足を向けた。
病室に入ると人工呼吸器の、低く無機質な機械音が狭い病室に響いていた。
シューコホ
規則正しく繰り返されるその音。
ベッドに横たわる正樹の頭部は、幾重にも巻かれた白い包帯で倍近くに膨れ上がっていた。
恭介は一歩も動けずに立ち尽くした。
正樹の右腕から伸びる透明な点滴の管。
胸元から覗く心電図のコード。
枕元で緑色の波形を刻み続けるモニターは、冷徹なテンポで「ピッ、ピッ」と音を立てている。
正樹が誰かの恨みを買うような人間でないことは、自分がよく知っている。
恭介は躊躇いながらも、ベッドの傍らに一歩一歩み寄った。
咲は、夫が正樹を襲ったと警察から疑われたことで精神的なショックを受け、寝込んでいると聞いた。
酒蔵遠藤の従業員はまだ動揺はしているが、出島を中心に、蔵人たちは仕事を再開した。
「遠藤……」
絞りだした恭介の声は人工呼吸器の規則正しい作動音に溶け、正樹の耳に届いたかどうかさえわからなかった。
正樹から返事が返ることはなかった。
呼びかけにも指一本動かさない。
正樹の身に起きた「異常事態」。
恭介は暗闇の中で息を潜めている犯人に憤りを覚えた。
(誰だろうと見つけてやるからな、遠藤)
恭介は踵を返した。
病院の入口では藤堂がヴァレリーの入ったキャリーバッグを持って待っていた。
「すみません」
恭介がヴァレリーを受け取る。
キャリーバッグを目の高さまで上げ、ヴァレリーに目を合わせた。
「頼む。教えてくれ」
ヴァレリーはふうっと息を吐いた。
「先ずは、酒蔵遠藤に行くぞ。謎は順に解いていく……お前は、少し我慢しろ」
「……わかった」
法被を着た蔵人たちが休憩室で、正樹の事件についてこそこそと話していた。
その話を圭吾は休憩室の外で聞いていた。
「聞いたか?」
年配の蔵人が隣の同僚に話しかける。
「ああ。なんだかなぁ……」
「正樹さんを襲ったのは咲さんの旦那って話だろ?」
窓際にいた別の蔵人が話の輪に入ってきた。
「無事なのは圭吾さんだけだな」
「それもなぁ……」
「おい、なにかあるのかよ?」
「圭吾さんに都合がいいなってな」
「おい!」
「そうだろ。学さんのことで咲さんは継げない。正樹さんはもともと継ぐ気は無かった。しかも今、入院中だ。そうなると……な」
なんとなく気まずい沈黙が流れた。
その空気を高村が破る。
「まだ決まったわけではないですから、噂話はそれくらいにしましょう。それより、タンクが一つ駄目になって、損失が出てしまいました。駄目になった酒のタンクを洗浄して、新しい酒を仕込みましょう。酒は待ってくれませんからね」
高村の言葉に被せるように出島がぼそりと呟いた。
「酒は生き物だ。手間ひまかけてやらなきゃ育たんぞ。儂らは蔵人だ。酒を造ることだけを考えればいい。人の噂より、醪の機嫌を見ろ」
「それもそうか」
「杜氏の出島さんがいうんじゃなぁ」
「よっしゃ、休憩も終わったことだし、行くか」
「そうだな」
蔵人たちは腰を上げ、休憩室を出て行った。
出島は部屋を出ようとする高村の背に向かい、
「高村、お前には悪いが、儂は圭吾を育てようと思う」
高村は苦笑した。
「そうですか……出島さん、誰を育てるかは出島さんの自由ですよ」
高村は後ろを振り返らずにそう言って酒蔵へと歩いて行った。
高村のその声は感情が読み取れなかった。
(やはり、駄目だ……)




