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黒猫ヴァレリーの事件簿Ⅱ  作者: 高橋 なぎ
遠藤酒造の悲劇
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第12話 冷え込みの夜の崩落

吐く息は白く、耳に当たる風は耳が千切れそうなほど冷たい。

しんしんと冷える本堂には煌々とストーブが焚かれているが外よりマシな程度でしかなかった。

初七日。

高坏の供物や花が祭壇を飾っていた。

僧侶が低い声で読む読経が広い本堂に響いている。

金田のこともあり、遺族と近親者、一部の従業員だけで執り行なうことにしたと正樹から恭介は聞いた。

本堂の隅で恭介はヴァレリーとその様子を見ていた。

ヴァレリーは使い捨てカイロを包んだ敷物の上に座っているからか寒さへの文句が少なかった。

その隣で喪服を着た恭介はカイロを持ってくれば良かったと痛感していた。

僧侶が焼香を促す。

正樹が立ち焼香をする。


「中々に複雑そうだな」


「正樹が酒蔵遠藤のことで悩んでた」


ヴァレリーが恭介の方に顔を上げる。


「どういうことだ?」


「いまだに姉の咲が義弟の継承に反対してる」


咲は圭吾を一瞥することもなく焼香台へ向かった。


「なるほどな……義弟に継がせるなら自分が継ぐとでも言いそうだな」


「お前、よくわかったな」


「ふん。人間の考えることは、大抵が安直だ」


「……猫に言われてもな……」


「第一、素人に老舗酒蔵の運営ができるわけがない。恨みや意地で経営ができるものか」


「……」


恭介が物言いたそうにヴァレリーを見ていた。


「なんだ?」


「そうなら俺が当主に立つことはないんじゃないかなと……」


「だから、私と藤堂が粗だらけのお前を補完しているんだ」


「いや、けどさ」


「どうせ、決裁書類の多さに辟易しているだけだろうが。サインぐらいで音を上げるな」


冷たくヴァレリーから睨み返された恭介の肩が下がった。

学は頭を下げる前の一瞬、喪主である正樹を見て口元を僅かに歪めた。

それは注意していないと気が付かないほどの動きだった。


「……歪みか……」


「なんか言ったか?」


「いや、やれやれ、人間とは業が深いものだ……」


「それで、正樹がいっそのこと形だけ自分が継いで、圭吾に全面的に任せることにするか、弁護士に相談するそうだ」


「それが最善だろうな」


遺族、親族の焼香が終わり、従業員の番となった。顔を引き締めた出島が遺族たちへ軽く頭を下げ、焼香台の前に座った。

低い身長から深々と下げられる頭。

焼香し、手を合わせ成仏を祈る顔には戦友を悼むような色が浮かんでいた。


「あの男は今回のことには、関係ないだろう」


「なんで、わかるんだよ」


「少なくとも、酒造りを理由に人を殺すようには見えんな。それに、あの男は酒造りにしか興味は持ってない。醪の匂いが濃いからな」


ヴァレリーは目を細めた。出島と入れ替わるように高村が焼香台に進んだ。

高村は一瞬だけ学へ目を向けたが、すぐ焼香台へ視線を戻した。


「恭介、見たか」


「高村が目を逸らしたって感じか?」


「……なにかありそうだな」


恭介も列の最後尾に並び、静かに焼香を済ませた。

太い眉、意思の強そうな目。

遺影の中の人物は正樹に似ていた。

初七日が終わり、この後精進おとしが場所を変えて行われることになっていた。恭介も声をかけられたが、ヴァレリーを同席させることができないため遠慮した。

会場のマイクロバスが境内の駐車場に待機している。

参列者がマイクロバスに乗るのを恭介とヴァレリーは見送りながら


「……何ごともなければ重畳だな」


ぽつりと呟いた。

その言葉は裏切られるのを知るものはいなかった。



精進おとしも無事に済み、正樹たちは家に戻っていた。

学は職場への土産を買いに外出したようだ。


(俺も店のスタッフたちへの土産を買わないとな……)


着替えて、少し休んだ正樹は仏間に入ると遺影の側に置かれている位牌を遺骨に目を伏せた。


チーン


リンを鳴らす。

正樹は蝋燭に火を灯し、線香を手向けた。

手を合わせる。


(明日、話そうと思う。親父、文句を言うなよ。あと、姉さんを抑えてくれ。頼むな)


カラン


外で軽い音がした。酒蔵の方から木が倒れるような音。


(?……なんだ?)


「正樹、どこに行くのよ」


喪服を普段着に替えた咲が縁側にいる正樹に声をかけた。


「物音がしたから確かめてくる」


咲は眉を顰めた。


「最近、物騒なんだから気をつけてよ」


「わかってるって」


「こんなときこそ、あの子の出番なのに、何処に行ったんたが。本当に役立たずなんだから」


「圭吾は圭吾で酒蔵の酒の熟成具合でも観に行ってるんじゃないか。今日一日、出てたからな」


「そんなの蔵人なんだから当たり前じゃない」


圭吾を毛嫌いしている咲も蔵人としての圭吾は認めているんだなと正樹は思った。


(姉さんも造酒屋の娘だったってわけか)


正樹は沓脱石にまだ置かれていた正隆のサンダルに足を入れ、音がした方に向かった。

母屋と酒蔵の間にある中庭には酒造りに使う井戸があった。

井戸の傍らには鳥居と祠があり、水神様を祀っていた。


「確か、こっちから聞こえてきたんだが……」


夜の闇の中、正樹は蔵の影に隠れている人物に気が付かなかった。手に木製の分師(ぶんじ)を持ったその人物は足音を立てないように正樹の背後に近寄った。


「なんだ、これが倒れた音だったのか?」


地面に転がっていたのは古くなり、廃棄する予定の櫂棒だった。

櫂棒を拾おうと正樹は体を屈めたその時、


ガツッ


後から分師が振り下ろされた。


「ぐっ!」


衝撃で膝が折れそうになる。

それでも正樹は歯を食いしばって振り返った。

顔は見えなかった。

その人物は再び分師を振り上げ、正樹を殴りつけようとしていた。

正樹は反射的に相手の腕を掴んだ。

もつれ合うように二人の身体がぶつかる。

揉み合った拍子に、相手の身体から蒸米の甘い香りと、醪が発酵する独特の匂いが鼻を突いた。

正樹の爪がその人物の手首を引っ掻く。

強引に腕を振りほどいた相手は正樹の頭に分師を力任せに振り下ろした。


ガツッ。


正樹は膝から崩れ落ちた。

額から生暖かいものが流れてくるのを感じながら、正樹の視界が徐々に暗くなっていく。


「……余計な真似を」


聞き覚えのある声だった。


(……誰だ……)


問いかけることさえできない。

正樹の意識は、静かに暗闇へ沈んでいった。


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